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NPO法人IFE

きときとアフリカ

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ゾマホン大使就任の道(続編) ~2004年の頃~

僕がベナンで生活している時は、ゾマホンが建てたジャパンハウスという建物に住んでいた。
ベナン コトヌー国際空港から車でおよそ10分のところにその建物はあり、敷地内に「たけし日本語学校」があった。

部屋は4部屋あり、日本人が住んでも不自由がないようにと、お風呂にはバスタブがあり、ベナンではめずらしく温水が出るようになっていた。それで驚くことなかれ、日本のニュースも視聴したいだろうと、フランスから技術者を呼んで、パラボラアンテナを設置し、いつでもNHKのニュースが視聴できる環境になっていた。

そこでのゾマホンのコメント

「フランスから技術者を呼ぼうとして電話をすると、エールフランスのビジネスクラス席を準備しないとベナンには行かないと言われたよ。」

・・・これがフランスとベナンの関係なのかと、それを聞いた時、僕はゾッとした。

さて、いつもは日本にいるゾマホンが、年に6回以上ベナンに帰国し、自分が建てた小学校などに足を運び現地調査をしていた。

現地調査の目的は、村人たちの意見を聞くためだった。
それは、小学校を建てるということは、そこに生活している人々にもかなりの面で影響するからだ。

そのため、ゾマホンは一つ一つの村を訪ね、村人(特に長老)に最大限の敬意をはらい、時間が許す限り村人の話をじっくり聞いていた。

「小学校建設」とひとくくりに言ってしまえばそれまでだが、想像以上に様々な事に気をつかわなければならない。

それは、一番最初にゾマホンが「たけし小学校」を建設しようとした際、小学校建設に反対した住民が途中まで工事が進んだ小学校を焼き討ちにされた経験があったためだ。

村にはそれぞれ伝統教育が根付いている。それは日本の職人さんの世界と同じように、職業からなる徒弟制度のようなものだ。

その「伝統教育」と小学校という「近代教育」とを連立させていかなければいけないわけだが、近代教育には反対も多い。なぜなら徒弟制度と違い、近代教育はまったくの生産性がない教育だからだ。

小学校が無い田舎では、「近代教育」の反対があり、一方でベナンのエリート層にとっては、平等に近代教育が施されると、自分たちの特権が奪われると思い、反対する人々がいた。端的に言うと、教養が身につくと、エリート層は国民のコントロールが難しくなるからだ。
それは日本でも言えることであり、僕たちは字が読めるし、書けるから、テレビのニュースも聞けるし、意見したい時は、文字で訴えることもできる。(だから日本の内閣は苦労する。)

そんな両方に反対されてまでも、自分の稼いだお金を教育のために使おうとしているのがゾマホンだった。普通だったら、「バカバカしい。俺だけはあんな人間にならないでおこう。」と思ってもおかしくはない。でも、それをしない。それがゾマホンだ。

村人、一人一人に教育の大切さを伝え、そしてエリート層には、なるべく彼らの鼻にかからないよう、無駄に敵に回さないよう、気を配っていた。

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