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NPO法人IFE

ベナン共和国について

竹本直一先生とゾマホンの対談

2005年の暮れ、衆議院議員の竹本直一先生とゾマホンが対談をしました。竹本先生にはお忙しい中、時間を割いていただき、実りの多い対談となりました。なお、この対談は竹本先生が発行されている『バンブー52号』に掲載されました。この場を借りて改めて御礼申し上げます。

「The・対談」母国ベナンのために

アフリカの小国ベナン出身で「ここがヘンだよ日本人」や「TVタックル」などで知られるゾマホン氏と、竹本直一が対談いたしました。昨年末に訪れたゾマホン氏の母国ベナンでの思い出や、現在の日本に対する思い、そして世界平和の願いなどについてお話し頂きましたので、ここでご紹介いたします。

(以下、敬称略)

竹本 お久しぶりです。本日はようこそ。ゾマホンさんには昨年のベナン視察の際にお世話になり、本当にありがとうございました。

ゾマホン こちらこそベナンへわざわざお越しいただき、本当にありがとうございました。これはとても大事な話ですが、竹本先生をはじめ平沢先生、原口先生、松木先生、渡辺先生は私財をなげうってベナンまで来て、日本との国交に尽力してくれました。私はそのことに大変感謝していると共に、尊敬に値すると感じています。

竹本 昨年訪れたベナンへの旅は非常に印象深いものでした。特に、悲惨な歴史の足跡を残すグレイ海岸からさらに七〇〇キロ奥地へ入って、アフリカの大地をこの足で踏みしめたことは、とてもいい思い出です。また地元の人達から大歓迎を受け、お土産にたくさんのタロイモを頂きました。みんなで一緒になって喜ぶという機会が最近の日本では少ないだけに、社会的・経済的には貧しいけれども、人間の喜びの原点がそこにはあると感じました。それはまるで五十年前の戦後間もない子供の頃にタイムスリップしたような感覚に似ていたと言えるかもしれません。

ベナンを訪れた際、他の議員も言っていましたが、子供たちの目が澄んでいるということが印象的でした。教育も物も十分行き届いていませんが、気持だけは非常に澄んでいる感じがしました。もちろん日本の子供も澄んでいないとは言いませんが、社会的に刺激が多い環境だけに、彼らが夢を持っていないのではないかと感じています。人間の教育の原点をもう一度見出した感じがしました。

ゾマホン 私が十二年間の日本の生活で感じたのは「日本は先進国だけれども、心の喜びが足りないのではないか」ということです。笑顔はまだまだ深くないでしょう。経済的、物質的に豊かではあっても、心はベナンより貧しい。これは非常に悲しい現実です。日本は少しずつ文化的アイデンティティをなくしていると思います。人間を中心に国を発展しようという考え方はなかなか出てこないのではないのでしょうか。ベナンは経済的、物質的には貧しいけれども、人間的には多くの先進国より豊かだと思います。国の発展のためにも、先進国の有識者は、先進国のみならず途上国の人々も含めた世界の人々を研究するべきでしょう。

その点では、竹本先生はアフリカだけでなくインドなどにも訪問して途上国との関係を深めようとしています。そのような考え方も持っている竹本先生は本当に素晴らしいです。

竹本 「日本は先進国だけれども、心の喜びが足りないのではないか」というのは私も同感です。確かに人々は迷っているし希望がない、憧れがない。国の舵取りをする立場としては、その憧れを作ってあげなければならないのかもしれません。

ベナンを訪れてもう一つ私が感じたことは「ゾマホンという男はすごい男だな」ということです。というのもゾマホンさんは母国ベナンに、日本で稼いだお金で日本語学校を建て、自分の国の人に希望を与えています。日本も百三十年前の明治の初め頃にはそういう人達もいましたが、最近ではそのような義侠心や正義感を持った人が少なくなりました。これはとても残念なことだけに、ゾマホンさんのこの行動には感銘を受けたのでした。

ではまず、ゾマホンさんのいままでのプロフィールというか、日本に来られた経緯などをお話いただければと思います。

ゾマホン 私は平成六年に留学生として日本にやってきましたが、元々、日本という国は我々にとっては来日しづらい国であり、日本に来るなどということは考えられないことでした。それはベナンには日本の大使館がなく、日本人と知り合う機会がとても少ないからです。

一九八七年に、まず私は中国から奨学金を頂き、北京語文化大学へ留学しました。そこで七年間勉学に励み、大学卒業論文では孫文の民主思想について、修士課程の論文では孔子の教育思想についてテーマにしました。その後、少しの間北京にあるアフリカ各国の大使館に通訳として勤めましたが、留学中のクラスメイトである日本人の一人が私の保証人になってくれることになり、日本へ来ることが出来たのです。

来日後の最初の二年間は江戸川区にある日本語学校に通い、その後、上智大学へ通うようになりました。そして修士課程に進み、一九九九年に「母国ベナンにおける初等教育の思想」というテーマの修士論文を提出しました。これは日本と中国とベナンにおける初等教育の現状を比較したもので、ベナンの現状がいかに遅れているかを論じたものです。二〇〇二年からは博士課程後期の論文を「途上国における職業問題」というテーマで書いています。

日本への留学は自費だったため、金銭的な面でなかなか大変でした。そのためいろいろなアルバイトをしました。そんな中、TBSでビートたけし氏がやっていた「ここがヘンだよ日本人」という番組のおかげで私に限らず、多くの外国人がテレビに出る機会を得ることが出来たのです。これは私にとって大きな幸運でした。さらにはテレビ番組での人気により『ゾマホンのほん』を出版することが出来ました。『ゾマホンのほん』は日本でベストセラーになり約三十万部の売り上げを記録。私は多くの印税を得ることが出来き、この印税によって母国ベナンにたけし小学校、明治小学校、江戸小学校を建設することが出来たのです。

またこの人気のおかげで日本全国の会社などに呼ばれ講演をする機会も得ました。それにより私は母国ベナンに井戸を掘ったり、学校の先生の給料の一部に充てることが出来たのです。

私はこのような機会を与えてくれたビートたけし氏はもとより、日本人一億三千万の皆さんに大変感謝しています。私がいま日本にいられる事はとても幸運なことであり、とても大きな恵みです。きっとアメリカやヨーロッパに留学していたらこうはならなかったでしょう。

私はテレビの出演によって日本全国に知られることとなり、出版した本によって印税を得ることも出来ました。しかしそれは日本の皆さんのおかげであって、私自身の力によるものではないと感じています。また日本の国会議員と一緒に来たということで、今のベナンでは大統領にも国民にも知られることとなりました。しかしこれも私自身の力によるものではなく、ベナンをもっと知ろうとするために来てくれた竹本先生をはじめとする国会議員の皆さんのおかげにほかなりません。

ところで、ベナンにおいて「日本で一番有名な、そして素晴らしい政治家は誰か?」とたずねると「それは森喜朗です」と言われます。それはなぜかと言うと日本の首相として始めてアフリカ大陸を訪れたからです。森先生が訪れたのは南アフリカとケニアとナイジェリアだけではありましたが、そうであってもアフリカ大陸の住む人々にとっては歴史的なことでした。つまり、それだけ昔から日本とアフリカとの交流がなかったとも言えるのです。まだまだ偏見もたくさん残っているでしょう。

そんな状況の中で、竹本先生を含めた五人の先生がベナンというアフリカの小国へ自腹で来てくれた事は、これまた歴史的なことです。ベナンは途上国ですので移動手段は限られます。道路さえも整備されていないような北部の砂漠に近い場所まで、先生方は車で七〇〇キロの移動をしてくれました。これは二十代の若者でも大変なことです。そんな遠くまで来てくださり先生方は現地の日常生活を体感してくれました。そこで現地の人々の生活様式、特に現地の子供たちの教育の現状や、ベナンにおけるODAの使われ方などを視察してくれたのです。

きっと現在のベナンでは竹本先生はみんなが知る存在でしょう。なぜなら先生方が訪れた時は国営テレビ以外にも民間テレビも放映していましたから。都会のみならず田舎においても、知識人のみならず農民においても、それは変わらないはずです。

竹本 それはとても光栄なことです。

先ほど七〇〇キロ奥地へ入ったことは大変なことだと言っていましたが、私にとってはとても楽しい体験でした。私は昔アメリカの大学に在学中、十三日をかけてサンフランシスコからニューヨークへ、一人で車を運転して旅をしたことがあります。六〇〇〇キロにも及ぶ旅でしたが、二〇代でのそのエキサイティングな経験を今回の旅でも思い出しました。途中の沿道では、大きな蛇を首に巻いている子供がいたり、自分が捕まえてきた獲物や木を組んで作った籠や壺を売りに出している人もいました。すべてが珍しい経験で非常に楽しい思い出です。

日本はODAを毎年海外へ一兆円程度出していますが、おそらくベナンにはあまり出ていないはずです。ベナンは昔フランスの植民地であったため、現在においても政治的・経済的に深い関係にあるので、ODAもフランスからが多いのではないでしょうか。しかしそのODAは大きな教会を作ることに使われています。しかしベナンの人達は誰も教会には行かない。ベナンの人々が求めているのは教会ではなく、読み書きを教えてくれる学校であり、働ける工場などです。残念ながら宗主国であるフランスはそれをやっていません。逆にそういうことをこれからやってあげるのが日本であると私は思っています。

世界には中東問題、イラク問題、イラン問題、アフガニスタン問題、テロリスト問題などいろいろな問題がありますが、その原点は貧困にあると思います。だから貧困を救って世界を平和にするためには、ベナンのようなアフリカの小国に対して日本がしっかりと援助をして支えてあげる必要があるでしょう。昨年のグレンイーグルのサミットで小泉首相が「日本のODAを今後十年間で一兆円増やす」と言っていました。その主力はアフリカに置くようなので、日本はアフリカに対していまよりもっと力を入れることが出来るのではないかと思うし、またやるべきでしょう。

ゾマホン 人と人がいい関係になるためには、お互いがよく理解することが一番大事です。例えば、竹本先生の性格や考え方などいろいろ詳しく知らないと、先生とはいい関係にはなれないのです。だからわざわざアフリカまで出向いてアフリカを知ろうとしてくれた先生方が素晴らしいのだと、私は考えています。日本とアフリカとのパイプを作ってくれた先生方には、まさに日本の柱でしょう。

現地に来ていただいていろいろと感じていただいたと思いますが、アフリカを知るにはまずアフリカの歴史を知ることが大事だと思います。四百年間にわたる奴隷商売とその後三百年間にわたる植民地政策は、アフリカにとって悪い影響を与えました。この七百年間における搾取政策の時代を知ることはとても大事です。なぜアフリカは地下資源が豊富にあるにもかかわらず、政治的、経済的、文化的、社会的に発展できないのか。これを判断するには、アフリカの歴史を詳しく知らないといけないでしょう。

竹本 私は二十八年前の昭和五十二年にナイジェリアに一ヶ月ぐらいいたことがあります。当時、ナイジェリアに新しい首都を作るという計画があったので、建設省に勤めていた私は技術者をつれてナイジェリアの各地を訪れました。昨年のベナン訪問があまり苦にならず違和感がなかったのは、この時の経験があったからかもしれません。そしてコートジボワールのアビジャンにも一週間ほど行きました。我々日本の教科書では、アフリカの植民地政策はイギリス、フランス、ドイツによって行われ、イギリスの植民地政策はわりと成功しているがフランスの植民地政策はあまり上手くいかなかったと教わりました。しかし現地を見ると、確かにそうだと思われる面も、まったく違うと思われる面もありました。そして今はすで独立しているはずなのに、相変わらず支配されているという印象を受けました。例えばタンザニアに新しい道路を作るとした場合、道路を作ると地図を変えなければいけない。しかし原版がロンドンにあるためロンドンで地図を変えないとならなくなる。となると地図を変えるだけでもロンドンにお金が流れることになる。だから形は独立であっても実態は独立していない。これはいいことではないと私は思っています。

日本は台湾や韓国をいわゆる植民地化しましたが、台湾ではそれほど反感を持たれませんでした。しかし韓国には同じ様なことをしていても反感をもたれています。このように文化が違えば難しいわけで、一国が他国を支配することは絶対にいいことではない、ということを歴史から感じます。

ゾマホン 母国ベナンにとって最大の問題はやはり教育問題です。詳しくいうと、ベナンの教育内容はフランス植民地時代と同じで、土着の教育とは言えません。私もベナンで受けてきた教育はフランス人になるための教育です。このような教育では誰も国のために頑張ろうとする人はいません。みんなフランス寄りになってしまいました。かく言う私も、最初に行きたかった国はフランスでした。

他の問題にも、我々が受ける教育は文系的の教育しかありません。例えばフランス語の上手な話し方や、行政機関でどのような仕事をするかなど、公務員になるような教育しか受けられません。その教育は植民地時代とほとんど変わらないのです。

この点をみると日本の植民地政策は欧米のものとはまったく違います。日本は台湾や韓国に住んでいる人々に、ボールペンの作り方から自転車の作り方などといった技術も教えていました。もちろん名前を変えさせたり現地の言葉をしゃべらせないといった間違った政策もありましたが、ちゃんと人間として扱っていました。欧米の植民地政策を受けたベナンでは人間としてさえ扱われなかった。こういったことはちゃんと理解しないといけません。

このような教育であったため、ベナンでは技術の発展が遅れてしまいました。そのために竹本先生たちは昨年の旅行で七百キロを自動車で走らなければならなかったり、現地の水に苦労しなければならなかったとも言えます。アフリカに対するODAが一割弱程度でしかない現状を、自らの目で確認し、その身で感じてくれたことを考えると、頭の下がる思いでいっぱいです。

さらにはこの体験のレポートを政府に提出し、二月に原口先生が小泉総理にベナンに関しての質疑を行いました。これが功を奏したのでしょう。四月のサミットで小泉首相は二〇〇七年までアフリカに対するODAを二倍にすると決めてくれました。これは本当に竹本先生、平沢先生、原口先生、松木先生、渡辺先生、皆さんのおかげであり、感謝の気持でいっぱいです。

竹本 非常にありがたい言葉ですが、日本にとっては当然といえます。

現在、日本は国連の常任理事国なろうとしており、それは投票によって決まります。だから世界には二百近い国があるのですから、一票でも多くの票をもらわなければなりません。昨年のベナン訪問の際には、ケレク大統領が日本に投票すると言ってくれました。日本の外交上、この友好関係はとても大事にしなければなりません。

またベナンは七百年にわたる奴隷売買の歴史を持つ大変な被害者です。そんな歴史を持つ国の大統領が、日本人の北朝鮮による拉致に対して涙を流さんばかりに憤りを示し、「日本の国民のために我が国から北朝鮮に担当大臣を送って、金正日と交渉させる」と言ってくれました。なぜそう言ってくれたかというと、ケレク大統領の二人の子息は北朝鮮に留学されており、また本人も金正日のことをよく知っているからです。これは金正日の父である金日成と友達であったからです。そしてベナンの外務大臣と在日ベナン大使が北朝鮮派遣されました。拉致問題において、そこまでベナンにお世話になっている以上、日本はその恩返しをしなければならないでしょう。

百三十年前の日本も貧しい国でした。現在においてもアメリカに比べれば日本は人口が半分で国土面積は25分の1。こんな小さい国が経済的にアメリカと同じだけの力を持つようになったのはなぜか。それは国民それぞれがしっかりとした教育を受け、技術を身に付けたからにほかならないでしょう。だからベナンがこれから大きくなるためには一にも二にも教育をしっかりやるべきです。そのためにも日本はODAをどんどん出すべきでしょう。

小泉首相が一時期よく使った言葉に「米百表」というものがありました。あれは昔、大名が藩を立て直すのに、食料であるお米を売って資金を作り、教育に力を入れた。そこから優秀な人材が育ち、地域を支える結果となったのです。それが日本の発展の原型である、といえるかもしれません。

ゾマホン ベナンのケレク大統領は「これから核兵器の廃棄をするためには北朝鮮のみならず、核を保持している国すべてが廃棄しなければならない」と述べていました。二十一世紀に本当の平和な世界を作るためにはそこまでしなければならないということです。

そして日本は世界を救える力があると私は思っています。苦しい戦争を経て得たこの平和憲法は世界中に広められなければいけません。欧米諸国の憲法では理想的な人間社会は作れません。世界を指導出来るのは平和な憲法を持っている国だけなのです。日本はこれからアフリカ諸国との関係をより深め、さらなる発展をもって平和のために活躍していただきたい。そのためにも竹本先生には重要なパイプ役として今後も貢献していただくことを期待します。

竹本 世界の先進国の中でしっかりとした平和憲法を持っているのは日本だけですが、この憲法を、理想に走らず現実に則して変えようという考えもあることは事実です。しかし現在では万が一、核戦争を起こしたら世界が滅ぶわけですから、絶対に起こせるわけがない。だからこの模範的憲法を大事にしていかなければならないでしょう。そして他の国も日本と同じ様な構造に変えていけばいいのではないかと思い、その指導的な国として日本が役立てればいいのではないかと考えます。

本日は、どうもありがとうございました。

ゾマホン どうもありがとうございました。竹本先生の今後益々のご活躍を期待しています。

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