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No. 027
ベナン共和国体験記
〜「たけし小学校」を訪ねて〜
農村部の子供たち
朝から一生懸命働く
たけし小学校の子供たち
ゾマホン先生登場!
江戸小学校の子供たちと
「是非、この光景を忘れないでください。」
ベナンの商業的首都コトヌー市を離れ、一路ベナン北部にあるコロボロル村の「たけし小学校」(コトヌー市から700キロ)に向かっている途中、ゾマホンが急に車を止め、そう言った。「ベナンでは義務教育といえども、有料です。彼らの家族はその学費を払う事ができないからこうして子供が働いて学費を稼いでいるんです。」それでも学校に通える子供はまだ良い方。なぜなら近くに学校があればいいが、近くにないと行きたくても行けない。そんな状況がまだまだベナン北部では続いている。
「たけし小学校」に到着すると村を挙げての歓迎式に驚かされる。そして子供達のなんともイキイキとした表情がとっても印象的。勉強も楽しいとの事。そんな子供達や「たけし小学校」の先生方を見て、改めて教育の大切さと素晴らしさを実感した。子供たちにとって親や先生は神様だという。物事を教えてくれる事は子供たちにとって生きる権利を与えてくれる事と同じなのだ。
そんな話を聞き、思わず今の日本の教育について考えてみた。
多くの日本の学校では、ひとつの学校に色々な専門分野の先生がいて、たくさんの参考書があり、また大きな図書館やきれいな保健室、食堂もある。そして現在ではコンピュータールームなども、どこの学校にもあたり前のようにある。世界から見れば、教育環境が満たされているニッポン。一見何の問題もなさそうだが、実際には「いじめ」「学級崩壊」「不登校」などの教育問題は山積みである。ちなみにベナンでは日本のような問題は考えられないとの事である。
私個人の意見として僭越ながら書かせていただくと、日本の学校では、勉強ができることへの感謝、教壇に立てることへの感謝という、学校教育の精神的な原点が失われつつあるのではないかと思う。ただそれだけが原因で現在のような問題が出てきたとは思わないが、「学べる事と、教えられる事への感謝の気持ち」はどんな学校教育が進歩しても忘れてはいけない精神だと思う。学校があってあたり前、そこには先生がいて、何かを教えてくれるのがあたり前、生徒がいて、教科書を持っているのがあたり前・・・それが現在の日本の学校教育ではないのだろうか。そこに感謝の精神が生まれるだろうか。
私は大学時代に恥ずかしながらも教育学を専攻してきた人間として、ここベナンで教育の原点を見たような気がした。
そんな貴重な体験をした「たけし小学校」を後にし、私たちは「明治小学校」「江戸小学校」へと向かった。
2004年8月7日 ベナン共和国 ジャパンハウスにて記す
特定非営利活動法人 IFE(イフェ)
山道 昌幸
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