本文へジャンプする

NPO法人IFE

きときとアフリカ

September 2012 の記事一覧

Published on

ベナン人留学生来日!!

今年もベナンから1名の留学生を日本に迎えました。名前はイダヤツ・ザッカリさん。
今日から1年間、共立女子大学様でお世話になります。

共立女子大学様には、今年の留学生を含めて、これまで6名受入れていただいています。
この場を借りて、改めて御礼申し上げます。

・・・・・

僕は、今日来日したイダヤツさんに会ってきましたが、若干緊張気味の顔でした。
彼女はベナンから約20,000円を握り締め、フランス経由で日本にやってきました。
どんな気持ちで、海を渡ってきたのかな~と想像しました。

僕はイダヤツさんのような留学生に会うだびに、その佇まいに清清さを感じ、と、同時にどんな困難な道に出会っても、彼女たちを励みに、自分も頑張ろうと思うのです。

皆さん、イダヤツさんの事、これから1年間よろしくお願いします。
 

2012092601.jpg

 

Published on

ゾマホン大使就任の道(続編) ~道程~

ベナン共和国の大統領の任期は5年。
NPO法人IFEがベナンで活動し始めた時の大統領はマチュー・ケレク大統領だった。

ケレク大統領の偉業は、インターネットでも色々検索できるが、そんなケレク大統領とゾマホンの絆は深い。

2002年にゾマホンに国民栄誉賞を与え、そして2004年には大統領特別顧問として自らの傍においた。
中国に6年留学、その後1994年から今日にいたるまで日本で生活しているゾマホンを大統領特別顧問に就任させたのは、ベナン共和国でも全くの異例の出来事だった。

超学歴社会、そして、一般国民と一部のエリートで完全に分かれているベナンにおいて、フランスの大学での留学経験が無く、ダサヅメという田舎育ちのゾマホン。さらに就任当時、ゾマホンの年齢は40歳だった。
そんな彼を特別顧問に就任させるのは、国内でも大きな反発があったが、ゾマホンの国に対する貢献がケレク大統領に信頼された。

いくら日本のテレビでちょっと有名になったからと言って、ベナンはそんな事で国の重要な役職を与える事はない。何しろフランスの旧植民地のベナンは、超保守的な国なのだ。

ケレク大統領はゾマホンを登用する事で、真面目に国の事を考えている人に対しては、いかなる身分であろうと、国のリーダーになれる事を国民に対して示したかったのだと思う。

愛情あり、ユーモラスあり、強い信念ありの偉大な政治家だった。

そんなケレク大統領は、ベナン共和国憲法に法り、大統領を三期努めた後、退任した。絶大な人気があったにもかかわらず・・・

全文を読む »

Published on

ゾマホン大使就任の道

はじめに・・・

ゾマホンさんが駐日ベナン共和国特命全権大使に就任しました。
ゾマホンが大使として落ち着くまで、「きときとアフリカ」はお休みをしておりました。申し訳ございません。
これからは、なるべく頻繁に更新してまいります。
つたない文章ですが、どうか読んでいただけましたら幸いです。

一昨年、もう外は寒くてコートを着始めた頃だった。
あれは忘れもしない新大久保駅改札前の蕎麦屋での事だった。
ゾマホンさんから「私はもうやるしかないと思っています。」と話を受けた。(僕らの仕事の打合せは、中央線、総武線沿線のホームか、余裕があれば蕎麦屋などに入って仕事の打合せをしていた。)

ベナン共和国においてゾマホンさんは、決して裕福な家庭で育ったわけではなく、(日本国内の貧富の差とは比べ物になりません)努力の塊でここまでやってきた人だった。

そんなゾマホンさんは、ベナンの多くの人々の憧れでもあり、人気もあった。そして、ゾマホンさんはこれまで何度も、国から政治家としてのオファーがあったが、断り続けてきた。「自分には他にやる事がある。」と言って、頑として6畳の風呂なしのアパートに住み続け、断ってきた。(どこかの国とは大違いかもしれない。)

そのお陰で、小学校を建てたり、井戸を掘ったり、給食を提供することができた。もし、国からのオファーを受入れていたら、きっと今のIFEの活動はなかったと思う。

しかし、IFEの活動が広がれば広がるほど、国の人々と大きな意識の差が生まれてきた。
それゆえ、このタイミングで大使にならざるを得なかったというのが実情だ。僕はとうとうこの日がやってきたか・・・・と半ば信じられない気持ちで、ゾマホンさんの話を聞いていた。ゾマホンさんもかけ蕎麦を注文したものの、ほとんど口にすることができないようだった。

これまで一緒に歩んできたゾマホンさんの立場が変わってしまう。
大使となれば公人になり、IFEからも離れなくてはいけない。
これまでゾマホンさん中心で活動してきたIFEがどうなっていくのか・・・
僕はその時、嬉しいという気持ちよりも、寂しさと不安で心がいっぱいだった。

そして、一昨年から今年の7月まで、これまでに経験した事が無い、険しい道が始まった。

続く

全文を読む »

ページトップへ戻る

サイトマップ