本文へジャンプする

NPO法人IFE

きときとアフリカ

Published on

ゾマホン大使就任の道(続編) ~道程~

ベナン共和国の大統領の任期は5年。
NPO法人IFEがベナンで活動し始めた時の大統領はマチュー・ケレク大統領だった。

ケレク大統領の偉業は、インターネットでも色々検索できるが、そんなケレク大統領とゾマホンの絆は深い。

2002年にゾマホンに国民栄誉賞を与え、そして2004年には大統領特別顧問として自らの傍においた。
中国に6年留学、その後1994年から今日にいたるまで日本で生活しているゾマホンを大統領特別顧問に就任させたのは、ベナン共和国でも全くの異例の出来事だった。

超学歴社会、そして、一般国民と一部のエリートで完全に分かれているベナンにおいて、フランスの大学での留学経験が無く、ダサヅメという田舎育ちのゾマホン。さらに就任当時、ゾマホンの年齢は40歳だった。
そんな彼を特別顧問に就任させるのは、国内でも大きな反発があったが、ゾマホンの国に対する貢献がケレク大統領に信頼された。

いくら日本のテレビでちょっと有名になったからと言って、ベナンはそんな事で国の重要な役職を与える事はない。何しろフランスの旧植民地のベナンは、超保守的な国なのだ。

ケレク大統領はゾマホンを登用する事で、真面目に国の事を考えている人に対しては、いかなる身分であろうと、国のリーダーになれる事を国民に対して示したかったのだと思う。

愛情あり、ユーモラスあり、強い信念ありの偉大な政治家だった。

そんなケレク大統領は、ベナン共和国憲法に法り、大統領を三期努めた後、退任した。絶大な人気があったにもかかわらず・・・

 

そして、その意思をついで、2006年にヤイ・ボニ大統領が就任した。
ゾマホンは新しい大統領の下でも、大統領特別顧問に再任した。

・・・・・

ヤイ・ボニ大統領については、大統領就任前に一度日本で会ったことがある。
その時は、大統領に立候補するなど、思いもよらなかった。

都内のホテルでゾマホンと石田さんと木下さん(2期目たけし日本語学校日本語教師)4人で会った。
2時間近く一緒にいただろうか。その時は「偉い人なんだな~」くらいで、ヤイ・ボニ氏とゾマホンの会話を聞いているだけであった。

その時ゾマホンがIFEの活動、日本語学校の事、留学生の事を熱弁し、それに対してヤイ・ボニ氏が身を乗り出して熱心に聞いていたのが印象的だった。

その時の「ヤイ・ボニ×ゾマホン」の対談が、現在でもIFEの活動が継続できている一つの要因だと思う。もし理解を示さないリーダーが大統領に就任していたなら、IFEの活動もかなり足を引っ張られていただろう。

ヤイ・ボニ大統領は、2006年に初等教育の授業料を完全無料として、就学率は飛躍的に向上した。しかし、フランスと距離をもって接そうとしているヤイ・ボニ大統領は、国内経済にかなり苦戦を強いられた。

やはりベナン経済はフランスに頼らざるを得ないというのが現状のようだ。

一期目の任期を終える2011年。再選を目指すヤイ・ボニ大統領にとって試練が訪れた。
ヤイ・ボニ大統領の再選が危ぶまれたからだ。

反対勢力の野党がフランスの財力を借りて、選挙戦を戦ったことが、落選危機に拍車をかけた。野党勢力は大統領特別顧問のゾマホンも批判した。

そして、ゾマホンがベナンに帰省中、ゾマホンが乗っていた車が襲撃される事件が起きた。
車は廃車となったが、ゾマホンが車に乗っていなく無事であった。
僕はその時、今度は「たけし日本語学校」の先生や、IFEの職員が狙われるのではないかと、かなりの不安を感じていた。

続く

コメントする

※管理者が承認したコメントのみ表示されます。

コメント投稿フォーム

« 前の記事 | 次の記事 »

ページトップへ戻る

サイトマップ