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ゾマホン大使就任の道
はじめに・・・
ゾマホンさんが駐日ベナン共和国特命全権大使に就任しました。
ゾマホンが大使として落ち着くまで、「きときとアフリカ」はお休みをしておりました。申し訳ございません。
これからは、なるべく頻繁に更新してまいります。
つたない文章ですが、どうか読んでいただけましたら幸いです。
一昨年、もう外は寒くてコートを着始めた頃だった。
あれは忘れもしない新大久保駅改札前の蕎麦屋での事だった。
ゾマホンさんから「私はもうやるしかないと思っています。」と話を受けた。(僕らの仕事の打合せは、中央線、総武線沿線のホームか、余裕があれば蕎麦屋などに入って仕事の打合せをしていた。)
ベナン共和国においてゾマホンさんは、決して裕福な家庭で育ったわけではなく、(日本国内の貧富の差とは比べ物になりません)努力の塊でここまでやってきた人だった。
そんなゾマホンさんは、ベナンの多くの人々の憧れでもあり、人気もあった。そして、ゾマホンさんはこれまで何度も、国から政治家としてのオファーがあったが、断り続けてきた。「自分には他にやる事がある。」と言って、頑として6畳の風呂なしのアパートに住み続け、断ってきた。(どこかの国とは大違いかもしれない。)
そのお陰で、小学校を建てたり、井戸を掘ったり、給食を提供することができた。もし、国からのオファーを受入れていたら、きっと今のIFEの活動はなかったと思う。
しかし、IFEの活動が広がれば広がるほど、国の人々と大きな意識の差が生まれてきた。
それゆえ、このタイミングで大使にならざるを得なかったというのが実情だ。僕はとうとうこの日がやってきたか・・・・と半ば信じられない気持ちで、ゾマホンさんの話を聞いていた。ゾマホンさんもかけ蕎麦を注文したものの、ほとんど口にすることができないようだった。
これまで一緒に歩んできたゾマホンさんの立場が変わってしまう。
大使となれば公人になり、IFEからも離れなくてはいけない。
これまでゾマホンさん中心で活動してきたIFEがどうなっていくのか・・・
僕はその時、嬉しいという気持ちよりも、寂しさと不安で心がいっぱいだった。
そして、一昨年から今年の7月まで、これまでに経験した事が無い、険しい道が始まった。
続く