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NPO法人IFE

きときとアフリカ

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新年明けましておめでとうございます。

皆様、新年明けましておめでとうございます。

たくさんの方の支えと、優しさ、温かさのおかげで心身共に健康に2015年を迎えることが出来ました。心より御礼申し上げます。

そして、今年はもう少しベナンから情報を発信していきたいと考えております。食など、偏った(?)ブログになってしまうかもしれませんが、今後ともどうぞ宜しくお願い致します。

2015年お正月の夕陽 日本大使館の裏にあるObamaビーチにて

2015年。今年の元旦は近所の人たちと迎えました。ベナンでお正月を迎えるのはこれで2回目です。ジャパンハウスから少し離れた所で花火が上がる中、近所の子供たちは待っていましたとばかりに、博打をバンバンバンバン鳴らし、これがまた結構な迫力で・・・。驚いたシャイニー(イレネーさんの娘)は泣いてしまい、でも、そんなことはお構いなしに、子供たちはあちこちに博打を投げては鳴らし、投げては鳴らし、なくなると今度は手花火に火をつけ・・・。相当に?存分に?この特別な時間を楽しんでいました。去年は近所の教会で祈りと共に新年を迎えたので、今年はまた一味違う新年の迎え方をしました。

博打・花火がようやくひと段落した頃、近所の人達がイレネーさんの家の前(Japan Houseの隣)に集まりはじめ、ちょっとした挨拶の後、ベナンの音楽やお隣、ナイジェリアの音楽に合わせて踊り始めました。曲に合わせるというよりは、体が自然に動き出すような感じで、老若男女皆さん、これまた絶妙な肩&腰使い。どこをどう動かしたらあんな動きになるのか・・・。子供に指導を受けながら、見様見真似でやってみても、半テンポずれた様な(に感じる)ベナンミュージックのリズムに乗り切れず、滑稽なダンス姿と分かりつつ、輪から外れるタイミングがうまく掴めないまま、恥じらいを捨て(たつもりで)、しばし踊っていました。

2015年1月1日午前零時 Japan Houseの前にて

早いものであれから1週間、今年の授業が始まりました。色々な思いを胸に通ってきている生徒達。そんなみんなが少しでも目標に近づけるように、私も一緒に精進していきたいと思います。

さて、今回は前回に引き続き、生徒の紹介をしたいと思います。今回紹介するのは、茶道に詳しい英語の先生、メリクさんです。たけし日本語学校では子供のクラスと漢字のクラスの先生をしてくれています。

ある日、世間話をしている時に日本語を始めたきっかけを話してくれました。それがとても面白かったので「文にしてください」と、お願いしました。

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皆さんこんにちは。たけし日本語学校の芽陸です。どうぞよろしく。

今日は皆さんに日本語の勉強を紹介したいです。『どうやってにほんごをみつけましたか』、『いつはじめましたか』、そして『今まで何が変わりましたか』です。

初めて。。。

2005年、私は中学校の4年生でした。その日、教室で私の仲間アトマベと話していて、当然大きい声で私の名前を呼びました。

— アトマベ:「メリク!」

— 私:「なに?」

— アトマベ:「先週、新しくて、面白いものをみつけました。」

— 私:「どんなことそれ?」

— アトマベ:「日本語、今からにほんごをはなせます。」

— 私:「あなた、日本語?フランス語はまだ上手じゃない。英語は4年勉強していてもあまりはなさない。でもがんばってね。」

— アトマベ:「冗談じゃないよ。たとえば「Bonjour」は「こんにちは」と言います。「Je m'appelle Boniface」は日本語で「わたしはボニファスです」と言います。」

— 私:「えっ、どうやってわかりますか?ベナンで日本語を勉強することができないよ?」

— アトマベ:「でもわたしは勉強しています。見て、見て。これは日本語の本です。日本から来ました。「NHK World」にもらいました。」

— アトマベ:「「NHK」にメールを送って、一週間ぐらい後にもらうそうです。」

つぎのしゅうまつ、わたしも「NHK」にメールを送って同じ本をもらいました。そして自分で「あいうえお」とあいさつを勉強し始めました。でもすぐ止めました。モチベーションがどんどんなくなりました。なぜならいくら勉強しても、上手になりません。誰と話しますか?アクセントがわかりません。そしてベナンで日本語がっこうがなかった。

しかし、2006年か2007年、日曜日スタジアムでジョギングをしながら、たけし日本語学校ののむら先生に会って話してから、サントリタにあるたけし日本語学校で日本語を勉強することができると分かりました。その日に面白く話しました。のむら先生はフランス語が話せません。私の英語もまあまあでした。でも二人ともおたがいのことが分かりました。であいはぐうぜんではありませんでした。私が日本語を勉強する時間はそろそろでした。そして、もう一度「NHK World」にメールを送りました。少し後、新しい本をもらって、中に日本のはがきと「NHK」のスケジュールがありました。後はインターネットでその本の会話をダウンロードしました。そして自分でもう一度日本語の勉強を始めました。その間のメールは全部フランス語で送っていました。

2008年、十一月、たけし日本語学校を始めました。2010年に「NHK World」がコンテストをしました。トピックは「大きい休みはどこに行って、どうやって行って、そしてどうでしたか」です。私はフランス語でメールを送って、後「NHK」から日本のきれいなお皿とはしと小さいまねき猫をもらいました。うれしかった。あとは、毎月日本の新しい歌手の歌詞をもらいました。最初はフランス語と日本語で書いてありました。日本語がぜんぜん分かりませんでした。でも「いつか自分で読んで分かります」と自分にやくそくをしました。

勉強中。。。

最初、さんかしたクラスは八十人で多かったので授業は面白かったです。先生方は山下先生、きとう先生、そしてとトス先生でした。あとは、ふじなみ先生、いちかわ先生、かさい先生、ながた先生、はらだ先生、いわかわ先生、そしていまのあゆみ先生に日本語と日本文化を教えてもらいます。1年1年、七年間、日本語を勉強するのはそんなに簡単ではありません。難しくて、大変になってそしてやめたかったです。でもゾマホンさんの話し、山道さんの話し、やませさんの話を聞いた後、イフェ財団の皆さんががんばっていることが分かりました。ほかのたくさんのイベント「ジャパンデイ」や「スピーチコンテスト」などがモチベーションを強くしました。そしてみんなのおかげであたらしいゆめを見つけました。この夢をかなえるためにいっしょけんめい勉強して、がんばります。

もっとがんばっているのは今の歩先生です。私たちのきれいな先生だけではなく、仲間です。

一年間で生徒全員、日本語が上手になって、日本に行くチャンスをみつけるためにたくさんしました。学校で大きいパーテイーがみっつありました。パーテイーで新しい生徒と古い生徒とたけし日本語学校で私たちのために働いているみんなと、遊んで、食べて、飲んで、そして仲良くしました。だから、今学校でみんな、家族に似ていて、元気になっています。

一年間でも日本大使館の人たちと映画ショウをしたり、日本の大使そして、日本の政府の人に私たちが日本語と日本文化を学でいること、そして私たちの夢を紹介したりしました。

今。。。

本当に前より私の日本語が上手になりました。いつ、そしてどうやって分かりますか?

私の誕生日の次の日、七月九日に部屋をきれいにしていた時、いっさつめの日本語のノートを見つけました。読んで、面白かったです。同じ箱の中で「NHK World」にもらったかしも見つけました。びっくりしました。長い間見ませんでしたね。いちばんに読んだのは「お日様 - 大切なあなたへ」です。100パーセント言葉が分からなくても、言いたいことが分かって、嬉しくなりました。

今も日本のアニメを見て、日本の歌を聞いて、分かりやすくなっています。イフェの人たち、先生、みなさん、いろいろお世話になっております。みなさんのおかげで私は日本語が分かります。でも今も日本語のほんをあけて、分かりにくいです。私の夢、日本語を教えることを考えると、今の日本語のレベルは土の上にあると思います。日本語が日本人のように分かりたいし、日本人のように話したいし、もっと上手になりたいです。

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いつも色々助けてくれるメリクさん。
ベナンの大学で日本語を教える夢が叶いますように ∞∞∞∞∞∞∞

2015年1月8日 ベナンより

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