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NPO法人IFE

きときとアフリカ

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マンゴーの木の下で 第1回「一緒にやりましょう。」

マンゴーの木はベナンの人にとってすごく身近な木だそうです。その木漏れ陽の下で子どもたちは笑い遊び育まれていく。この話を聞いて私は日本の桜を思い出します。ベナンでも木と共に人が暮らしている、私たちと同じように。

そんな、遠いけれど温かそうな国、ベナンに想いを馳せてくれたら嬉しいです。ちょっと話しませんか、マンゴーの木の下で・・・。

この対談は、NPO法人IFEの代表理事山道昌幸さんと、学生時代にベナンに1週間滞在した、現在は主婦の齊藤佳奈のやりとりです。ベナンという国について、またIFEの活動についてわかりやすく色々な人に伝えたいという山道さんの想いから実現しました。

山道さんはベナンと日本の架け橋を作りたいとIFE(イフェ)というNPO法人を立ち上げ、これまで10年間、ベナンに日本語学校を作り、ベナン人留学生を日本の大学へ迎える手助けや現地での小学校作りを行ってきました。アフリカ初といわれる民間の日本語学校立ち上げには想像を絶する苦難の道が続いたそうです。そこまでして実現させたいベナンと日本の国際交流とは何なのでしょう?

今回は、その原動力となったゾマホンさんとの出会いを聞きました。

第一回「一緒にやりましょう!」

聞き手: そもそもゾマホンさんとはどうやって知り合ったのですか?

山道: バスの中で!(笑)僕は学生で、飛行機で富山に教育実習に行った帰りに羽田空港から新宿まで帰るバスの中。もともとは、僕は社会科の先生になるつもりだったんだよ。

聞き手: え!?そうなんですか、意外と普通ですね・・・!?だってNPOとかやる人はもともと国際協力やりたい!っていう気持ちが強い人なのかなって思って。

山道: いやいや、僕は小さいころから先生と呼ばれる人にすごく恵まれてたのね。何かやる気にさせてくれたり、頭の固い僕を受け入れてくれたりする先生に出会っていたから、今度は恩返しの気持ちで将来絶対先生になろうと思ってたんだよね。

聞き手: そんなときにゾマホンさんと出会った。

山道: そう。そのバス満席でね、ゾマホンの隣だけが唯一空いてたわけ(笑)うわ!ゾマホンや!外国人の隣だよ俺~!って焦ったんだけど、ゾマホンがアフリカに小学校を建ててるのか知ってたから、教育のこと聞いてみたいと思ったの。

聞き手: 山道さんから話しかけたんだ!?

山道: そうそう忘れもしない!「宮崎で講演をした帰りで眠いですよ・・・、だからね、寝たいです、僕は」と言いながらも、30分ぐらいなら話しましょうか?って答えてくれて。

聞き手: (ゾマホンさんのモノマネが上手いな・・・と心で思う)

山道: でね。僕社会科の先生になろうと思うんです、って切りだして。それからゾマホンさんに言われたことにはっとさせられたの。

聞き手: どんなこと?

山道: まず「では、あなたはアフリカの歴史はよく知っているのか?」って聞かれた。そのときに、え!?って思って、頭の中に教科書が出てきて、アメリカの独立戦争、フランス革命、産業革命とか出てきたけど・・・あれ?アフリカが抜けてる!って思ってね。それでアフリカの歴史を知らない人が教壇に立つのかと問われたときに、この人が言わんとしていることが分かった。

聞き手: ドキッとくる言葉ですね。

山道: そう。アフリカ史を知らないで俺は世界史なんか教える資格はないなって、強く思ったんだよね。それとね、ゾマホンが「山道さん知ってる?森総理って偉いんだよ」と話し始めた。

聞き手: 森総理?!

山道: うん。森総理は、日本で初めてアフリカに行った総理大臣なんだって。だから日本はアフリカに対する外交はまだ全然だめなんです、っていう話をしてくれたんだよね。

聞き手: アフリカって人類誕生の地とも言われるほど、長い歴史があるのに、私たち、知らないことばかりですね・・・

山道: そうだよね、ゾマホンさんと話して自分の視野ってすごく狭いことが分かった。もうちょっとこの人と関わりを持ちたいなって思ったの。

聞き手: それで意気投合?

山道: そう!その場で連絡先交換して(笑)

聞き手: でも、山道さん、アフリカの勉強しながらでも教師はやれたのでは?

山道: あああ、なるほどね、それは考えなかったね。ゾマホンと一緒に話していると、就職とか進路ということ以上にもっともっと自分の目で確かめたいという、そういう感じになったかな。とにかくこの人について行きたいなって。

聞き手: すごい出会いだったんですね。

山道: あれだけ有名なタレントとしてテレビにも出ていて、ゾマホンさんにお金を寄付してくれたりアドバイスをくれたり、色んな協力者がいる中で、具体的にNPOの活動を計画していく仲間が当時のゾマホンさんにはいなかったのね。そしたらなんかこう自分がやるしかないかなっていう、そういう思いこみ?天命?(笑)

聞き手: それで、あのアフリカ初の民間日本語学校「たけし日本語学校」作りが始まるんですね。

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