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アフリカニュース

Category "Report" の記事一覧

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スワヒリ文化の地を訪ねて ザンジバル島訪問

スワヒリ文化・・・世界史の教科書でも取り上げられることのある、数少ないアフリカに関する世界史の事項の一つである。「スワヒリ」とは、「海岸、岸辺」を意味するアラビア語の単語「サーヒル」が変化したものである。そして、スワヒリ文化のスワヒリが意味するところとは、ソマリア南部からケニア、タンザニア、モザンビーク北部までのアフリカ東部の海岸を指すのである。この地域には、アフリカ固有の文化とアラブ・イスラム文化が混合した独特の文化が存在する。

ザンジバル島ストーンタウンの街並みこれらの地域は、8世紀ごろに始まったとされるインド洋貿易で栄えることになった。当初は東アフリカ沿岸部の諸都市と、アラビア半島との交流といった小規模のものであった。後に東アフリカ沿岸部の諸都市では、内陸部との交易が始められた。象牙や金などのアフリカ内陸部の産品が、スワヒリ沿岸諸都市を経由し、アラビア半島にとどまらず、ペルシャ、インド、スリランカ、中国等とも貿易が行われた。こういった地域からの産品もまた、アフリカにもたらされたのである。

こうしたインド洋を拠点に広がった貿易で栄えた場所の一つが、ザンジバル島である。ザンジバル島は、タンザニアの東方40kmの沖合に浮かぶ島で、インド洋貿易が行われていたころは、拠点港の一つとして大きな役割を担っていた。この島は15世紀末からはポルトガル、16世紀からのアラブ(オマーン王国)、19世紀以降のイギリスというように、多くの国の支配を受けてきた。そのため、特に島内のストーンタウンというエリアでは、アフリカ、アラブ、ヨーロッパのそれぞれの様式が混在した建築を垣間見ることができる。このような独特の街並み、および景観は、ユネスコの世界文化遺産に登録されている。

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ベナンの出版・図書事情

ベナンの出版物の現状

ベナン関連の書籍を探そうと思うと、ベナンにある本屋に行くのが最もよい。数が多く、日本やオンラインショップではお目にかかることのできない本とたくさん出合えるからだ。ただ、ベナンの公用語はフランス語であるため、書籍のほとんどがフランス語表記である。フランス語に堪能な人を除いて、何が書いてあるのか理解できない。まれにフランス語と英語の両方を併記している本があるので、フランス語ができない人は、せいぜいこのような本を手にとって読むしかないのがつらいところである。日本語の本は、言うまでもなく販売されていない。フランス語、英語以外の外国語の本となると、スペイン語、ドイツ語などの欧州の主要言語の学習書、辞書については販売されている。中国語、韓国語など、アジアの言語の本は見当たらなかった。

ところで、ベナンで売られている多くの本の価格は日本並みの価格である。特に、カラーページの入った本やカラー表紙の本は、1冊 5000CFA(¥1000)以上は当たり前で、中には数万CFAもする本も売られている。ベナンで製本した白黒刷りのみの比較的安い本もあるが、それらはむしろ少数である。現地の人でもまあ買える価格のものといえば、新聞300CFA、薄いマンガ500CFAなどがあるが、このような価格でも庶民には少し割高感があり、ここに挙げたもの以外の本は高級品といってもよいだろう。多くの教科書も例外ではなく、教科書が1冊数千CFAもする。そのため、市内や大学構内では、教科書や辞書を中心に路上で古本が売られている。限られた予算で本を手にしようと思えば、こういった古本を利用するのだろう。

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ベナンの現在 ~2年半前との比較~

ベナンの道路事情ベナンの道路事情今年3月に、2年半ぶりにベナンを訪問した。2年半前と比較して、一部のところでは大きく様変わりしていた。特に大きく変わっていたのは、道路だった。

ベナン最大都市のコトヌーでは、市内の一部の道路が拡張され、中央分離帯や照明、白線などが整備された道路が増えていた。また、舗装が痛んで凸凹になっていた道路も少なくなり、新たにアスファルトが敷かれている。さらに、コトヌーの商業地区であるガンヒと、大使館街や空港に通じるカジェウンとに、ドイツの援助で建設された立体交差の道路が2箇所完成していた。今年1月から使われ始めたこの立体交差は、渋滞解消に大きく貢献している。日本では当たり前の立体交差だが、ベナンでは最近になって、交通量、都市人口が増加したため、立体交差の必要性が高まってきたのではないだろう。

現在、コトヌー郊外のゴドメーには、中国の援助で立体交差の建設が始まっている。このゴドメーは、ナイジェリアからトーゴ、ガーナ方面に向かう道路と、ベナン北部やニジェール、ブルキナファソに続く道路とが交わる大きな較差点がある。しかしながら、現在のこのゴドメーの交差点には信号機が無く、日本の都市部の駅前にあるようなロータリーの形状で車の流れを誘導している。そのため、全ての車が必然的に減速せざるを得ず、交通量が多くなると停止することもしばしばある。特に朝夕のラッシュ時の渋滞が深刻な問題で、数キロも車の列が続くこともある。警察官が誘導して、事故が起こらないように配慮はなされているが、渋滞を解消する解決には至っていない。現在建設中の立体交差が完成すると、現在の渋滞がどれだけ解消されるものか、注目したいところである。

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コーヒーでおもてなし ~エチオピアのコーヒーセレモニー~

コーヒーセレモニー日本人に身近な存在であるコーヒー。このコーヒー、アラビカ種という豆を炒ったもので、エチオピア南西部のカッファ地方が原産地だとされている。エチオピアも毎年多くのコーヒー豆を生産しており、その生産量は2005年で26万トン、世界の生産量の3%を占めている(ちなみに、生産量1位はブラジルで、217.9万トン、世界の生産量の28%を占めている)。ブラジルやベトナム、コロンビアなどの多くのコーヒー生産国は、外貨獲得源として生産したコーヒー豆のほとんどを輸出しているが、エチオピアについては、生産量のおよそ半分が国内で消費されている。つまり、多くのエチオピア人がコーヒーを飲んでおり、エチオピア人の生活において、コーヒーは身近な存在であるということである。

コーヒーセレモニーエチオピアでは、コーヒーは客人をもてなすために出されるものである。エチオピアで色々な場所を訪問した際は、多くの場所で、コーヒーを用意して出迎えてくれた。日本では茶道、英訳するとティーセレモニー(tea ceremony)があるが、エチオピアには、コーヒーセレモニーなるものが存在する。外国人観光客が訪れるような中級以上の一部のレストランでは、このコーヒーセレモニーの過程を見ることが可能である。店や地方によって多少方法は異なるが、お香をたき、コーヒー豆を炒って粉状に砕き、粉状にしたコーヒー豆をお湯の中に入れ、煮立て、小さな湯飲みのような容器にコーヒーを注ぐ、というのが主なコーヒーセレモニーの流れである。ちょっとした茶菓子(伝統的なものやポップコーンなど)がついてくることもある。

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エチオピアの首都・アディスアベバという街

アディスアベバエチオピアの首都はアディスアベバ。アディスアベバとは、エチオピア固有の言語のアムハラ語で、「新しい花」を意味する。この街には、アフリカ連合(AU)の本部も置かれている。アディスアベバの主要道路沿いや公園、大学を中心に、多くの花が咲いていた。道路沿いにはそれほどゴミが落ちておらず、清潔感を感じさせるところもある。

アディスアベバアディスアベバは、アフリカの中でも最も標高の高い首都のひとつで、海抜2500メートル前後の高地に位置している。そのため、普段日本にいる感覚で走ったり、階段を駆け上がったりすると、数秒のうちに息が切れてしまう。また、密封した日本のお菓子の袋も、気圧の関係で大きく膨らむ。それくらい空気の薄いところである。さらに、高地ということで日光が非常に強く、簡単に日焼けする。ただ、日中の気温は30度を上回ることはそれほどなく、日陰なら非常に快適だが、朝晩は10度以下まで気温が下がり、厚手の服が必要になる。2月は乾季でかなり乾燥しているのもあり、夜に部屋に干した洗濯物が翌朝には乾いてしまう。

アディスアベバの人口はおよそ300万人で、これは大阪市の人口を上まわる規模である。市内は人と車であふれており、中層、高層ビルも比較的多く見受けられる。市内の主要道路もかなり整備されており、片側2車線はあたりまえで、最も広いところで片側7車線の道路もあった。

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