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NPO法人IFE

日本語教師の窓

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お便り 61 - 11月後半

藤波先生 編

2009年11月16日(月)いってらっしゃい寺嶋さん。

今日、ジャパンハウスで一緒に生活しているIFEスタッフの寺嶋さんが、小学校の視察のためにベナン北部へ出発しました。今回は1週間ほどの予定で、私達が住んでいるコトヌーから430km程北にあるParakou(パラク)という町と、同じくコトヌーから200km程北にあるDassa- Zoumé(ダサズメ)という町の近くにある、たけし小学校といのうえ小学校の視察をするそうです。
全て車で移動するわけですが、舗装されていないデコボコ道が多いのでかなり過酷な旅になることは間違いありません。
私もベナンの小学校でどのような授業が行われているかということについてはとても興味があるので、いつか見てみたいなと思っています。一度だけたけし小学校といのうえ小学校には行ったことがあるのですが、残念ながらその時は授業がありませんでした。寺嶋さんが帰ってきたら、どんな様子だったか話をたくさん聞きたいと思います。
それから寺嶋さんが現在栽培中の白菜の水やりはまかせておいてください。

藤波

2009年11月20日(金)今日のトップニュース

今日のベナンの夜8時のニュースでトップニュースとして報道されたのが、「来年1月にベナンに日本大使館ができる」というニュースでした。今日は1月から着任される大使の方が、ベナンのヤイ・ボニ大統領と会談をしている映像と、インタビューを受けている映像が放送されました。

日本大使館ができることで、日本への留学の道が少しでも広く通りやすいものになってくれればと思います。また、アルバイトを含め大使館関係の仕事につく生徒が出てくれれば、さらに日本語を勉強するモチベーションが高まるのではないかと思います。
もちろんいきなり劇的な変化を期待するつもりはありませんが、大使館の設置は日本とベナンの距離がさらに近くなる、大きな一歩であることは間違いないと思います。

藤波

2009年11月21日(土)自分がベナンにいられる理由

今日は、生徒のお父さんのお葬式に行ってきました。場所はコトヌーから車で3時間ほどの距離にある街です。ベナンに来て、「お葬式」という言葉を聞く機会が本当に増えました。生徒はしょっちゅう家族や親戚のお葬式に行きます。私がベナンに来てから、お父さんが亡くなった生徒は今回で2人目です。20代、30代の生徒の親が亡くなってしまうのがベナンの現実です。

葬儀に参列して生徒の本当に悲しそうな顔を見ながら、私は自分の祖父のことを思い出さずにはいられませんでした。私のじいちゃんは、私がベナンに来る直前に亡くなりました。じいちゃんは私が大学に入る前の年に脳梗塞で倒れて、それから10年近く歩くことも満足に話すこともできない状態でした。じいちゃんが脳梗塞の後遺症と闘っている間、私はずっと実家から離れた場所で暮らしていました。私はじいちゃんが亡くなるまで、東京に約5年半、イギリスに約2年半住んでいました。ベナンに出発する6か月前に日本に帰国し、6ヶ月間だけ実家で暮らしていました。じいちゃんは、私が実家で暮らしていた、その6か月の間に亡くなりました。その時期がもう少し早ければ、私はイギリスにいたし、もう少し遅ければアフリカにいました。私がこの8年間で実家にいたのはわずか6か月だけです。その6か月の間にじいちゃんは亡くなりました。
私は、特に理由はないけれど、じいちゃんが私をベナンに行かせてくれたような気がずっとしています。そして、じいちゃんだけじゃなく、私は親や友達の助けがなければ私はベナンに来ることができませんでした。
きれいごとじゃなく、私は自分の力でここにいられるわけじゃないということを改めて感じた一日でした。

藤波

2009年11月22日(日)ありがとうございます。

私事ではございますが、昨日、27歳になりました。
「ありがとうございます」という言葉しか出てこないのですが、各クラスの生徒の皆さんが、私の誕生日を祝って歌を歌ってくれたり、ケーキを持ってきてくれたり、布やワインのプレゼントをくれたり、至れり尽くせりの誕生日でした。教壇に一人で立って、生徒全員に日本語とフランス語と英語とフォン語の「ハッピバースデートゥーユ〜♪」を歌ってもらうというのは何とも言えず恥ずかしいというかくすぐったい感じでしたが、本当にどうもありがとうございました。これからもよろしくお願いします。

藤波

2009年11月23日(月)子どもたちが見ているものは。〜給食プロジェクトの現在〜

給食プロジェクト昨日、ベナン北部の町Palakou(パラクー)とDassa-Zoume(ダサズメ)の小学校を調査・視察しに行っていた寺嶋さんが無事、ジャパンハウスに帰って来ました。今回の視察の主な目的は、今年から始まった給食プロジェクトがどのように行われているのかを実際に現地で確認することです。

給食プロジェクトは、日本人の方々から頂いた寄付でベナンの小学生に1年分の給食をプレゼントしようというもので、北野たけしさんの発案によりはじまったプロジェクトです。IFEが主体となって現在進行中のこのプロジェクトは、たくさんの方々のご協力により、ベナンのたけし小学校といのうえ小学校で給食をスタートさせるに至りました。ご協力いただいている皆様、本当にありがとうございます。

寺嶋さんが撮ってきてくれたビデオで給食の様子を見ました。子どもたちの顔を見ると、給食が彼らにとっていかに楽しみなイベントであるかがわかります。たけし小学校の生徒は校舎から我先にと給食室へ走って行きます。いのうえ小学校の生徒達は学年ごとに整列して給食を受け取りに向かいます。学校ごとの個性が出ていておもしろいのですが、給食を食べている時の子ども達の顔はどちらの小学校も同じでした。どちらの小学校の子ども達も本当に楽しそうに給食を食べていました。

ビデオの中には、給食以外の授業風景もありました。小学生達はその日、算数の授業で九九の練習をしていました。生徒達が順番に前に出て九九の暗唱をします。他の生徒はそれを聞いています。その時先生は教室にいませんでした。どうやらベナンの学校では、先生が教室にいないことも多いようです。会議をしたり、テストを作ったりしているようです。

給食プロジェクトその後、寺嶋さん達が向かったのは、いのうえ小学校から少し奥に行ったところにあるもうひとつの小学校。そこはIFEが建てた小学校ではなく、ベナン政府が建てた小学校です。その小学校の校舎は細い杭の柱と植物の葉でできた屋根のみ。生徒は約30名前後、先生は一人。いのうえ小学校との差に愕然としました。その学校にはきちんとした校舎さえありませんでした。

日本の小学校に通っている子ども達は、程度の差こそあれ、先生や教科書、その他のいろいろなメディアを通して、いろいろな可能性を見て、知ることができます。例えば、世の中にはどんな職業があるのか、どんな国があるのか、どんな人種の人がいるのかなど、そういったことを知ることができます。その情報を将来どう活かすかは本人達次第ですが、少なくともいろいろな可能性を見ることができます。では、ベナンの子どもたちはどれだけの可能性を見ることができているのだろうかと考えてしまいます。たけし小学校といのうえ小学校の子供たちは、給食によって間違いなくひとつの可能性を見ることができていると思います。日本という国や日本人の存在、給食というシステムについても知ることができるからです。
私はベナンの小学校の先生のレベルや授業内容については詳しくわかりませんが、校舎や給食と同じくらい大切なことに、「教育のシステム」と「教師の質」というものがあると思います。情報を与えたうえで、それに対してどういうリアクションをするかは子ども達次第ですが、そういった情報さえも得ることができないというのは、なんというか・・・フェアじゃないような気がします。
ベナンの子ども達がもっといろいろな可能性を見ることができるようになるように、今私達にできるのは、大人達に日本語と日本を通して、ひとつの可能性を見てもらうことです。

写真は、給食を食べているいのうえ小学校の子ども達と、給食の準備をしているお母さんたちです。

藤波

2009年11月24日(火)アフリカはゴミ捨て場ですか。

毎週火曜日と木曜日の午後は、会話クラスです。生徒はセポンさんとダベデさんとアムスさん。3人とも、たけし日本語学校で一番上のレベルのクラスで勉強している生徒です。会話クラスはいわばこの3人のための特別授業です。ダベデさんはIFE・ジャパンハウスの秘書として、セポンさんとアムスさんはそれぞれ畜産と機械について学ぶために将来日本へ行く生徒として、ある意味最も日本に近い3人です。

今日は、ベナンの環境問題についてディスカッションをしました。コトヌーの町はバイクと車の排気ガスで、常に視界が白く濁っています。その原因のひとつは、バイクと車が古いことにあります。すでに数十万キロ走っている車や、一昔前のエンジンを積んだバイクが平気で道を走っています。ジャパンハウスのトヨタも、すでに20万キロ以上を走破しています。
なぜ、アフリカにそういう車やバイクが集まるかというと、当然アフリカの人々が安い車やバイクを買いたがるからです。確かに買う時はいいかもしれませんが、長期的に見ると空気は汚れるし、修理にもお金がかかるし、あまりいいことはありません。それでも外国から輸入されてくる安い車やバイクを買わざるを得ない現実があります。
輸入されてくるのは車やバイクばかりではありません。冷蔵庫などの家電製品も運ばれてきます。もちろん、一昔前のフロンガスを使用している冷蔵庫もしっかり運ばれてきます。

「アフリカはゴミ捨て場ですか。」とセポンさんは言いました。それは、ベナンが抱える問題について、その一側面を的確についた意見だと思いました。もちろん、原因は他にもあります。国外に全ての原因があるわけではなく、ベナン国内にもその原因はたくさんあると思います。でも、「アフリカはゴミ捨て場ですか。」という言葉に、ハッとさせられました。その国のために何をするのがいいことなのか、それを常に考えなくてはいけないと感じました。

藤波

2009年11月25日(水)ヨボとシノワ

コトヌーの町を歩いていると、ベナン人によく声をかけられます。何と声をかけられるのか、大まかに2パターンあります。

  1. 「シノワ」=仏語で「中国人」、「チャイニーズ」、「ニイハオ」、「フンハオ」、「ジャッキーチェン」など・・
  2. 「ヨボ」=ベナンの言葉で「白人」

1.は、私達日本人を中国人として見ている場合、2.は白人として見ている場合です。1.と2.の使用頻度を年齢別にみてみると、幼児から小学校低学年の子ども達は「ヨボ」の使用頻度が圧倒的に多く、小学校高学年から大人にかけては「シノワ」が多いです。
2.の「ヨボ」は、「ヨボヨボ、ボンソワ〜(白人さん白人さん、こんにちは)」という歌のようなものがあって、子ども達は私達を見ると、それをリズムに乗って歌います。厳密に言うと日本人は白人ではありませんが、別に不快感などはありません。むしろ、あまりにも小さい子どもに声をかけられるので、ちょっとしたスター気取りで手を振ってみたりもします。

問題は1.の「シノワ」です。別に「中国人」と言われることがいやなわけではありません。その言い方が問題なのです。馬鹿にしたような口調で「シノワ〜」、「ニイハオ」と言われるので、その度にちょっとムカッとしてしまいます。向こうにはおそらくその気はないのでしょう。その証拠に、「中国人じゃなくて日本人だよ。」とこちらが言うと、「そうなの?あ〜、ジャポネ〜!おれの友達が日本の会社で働いてるよ。」というような感じで会話が弾んだりもします。しかし、しかしです。どうしてもその口調が人を小馬鹿にしているとしか思えないような言い方なのです。おそらく、言葉の響きの問題なのでしょうが、暑い中を汗だくで歩いている時に、「ニイハオ」などと言われると、思わずむきになって、「中国人じゃない。」と言い返したくなります。はい、私は小さい人間です。
しかし私は、ベナン人の「シノワ〜」の中に、どうしても中国人を蔑む気持ちが含まれているような気がしてなりません。実際こんなことがありました。ある日、中学生くらいの女の子に「シノワ〜」と言われたので、私は手を振ってこたえてみました。すると、その子は地面に大の字になって笑いだしました。その態度は明らかに人をばかにする時のそれでした。なぜか中国人はいろんな所で評判があまりよくありません。例えばロンドンに住んでいるイギリス人には、中国人嫌いの人が多いように思います。一部の中国人の行動がイギリス人に嫌悪感を抱かせるわけですが、それと同じような感情がベナン人にもあるのかもしれない、と私はずっと思っていました。

ある生徒曰く、おそらく「シノワ〜」にそれほどの悪意はないが、中国人を軽蔑するような気持ちは少しはあるのではないか、とのこと。その理由は中国のベナン進出によるところが大きいとのことです。現在、ベナンの大きな道路や橋を作る工事は、中国企業が請け負うことが多いようです。ベナンの利益というか富を横取りしていくようなやり方が、ベナン人の反感をかうこともあるようです。たしかに中国のベナン進出の勢いはかなりのものです。国をあげてベナンと関わろうとしています。その関わり方は、政府からの援助であったり、企業の進出であったりするわけです。コトヌー市内でもよく中国人を見かけます。そのようなわけで、ベナンにおける中国と中国人、およびジャッキーチェンの存在感がすごいので、アジア=中国というイメージが出来上がってしまい、アジア人っぽい人を見ると、とりあえず「シノワ」と言ってみるのではないか、とその生徒は言っていました。

そんなこんなで、私達は日々「中国人!」と呼ばれ続けています。気持ちに余裕のある時は、笑って「違うよ〜。」と言ったり、開き直って「ニイハオ」などと返したりしますが、あまり気持ちに余裕がない時はイライラしてしまい、「小さいな、おれ。」などと思ったりして、道を歩くだけでも結構忙しいです。毎日私は人間としての器の大きさを試されているのです。

藤波

2009年11月26日(木)笑いのツボ

ベナンで一番愛されているスポーツはおそらくサッカーです。W杯には残念ながら出場できませんが、予選の時の盛り上がりは、数年前の日本でのそれと全く同じでした。ベナンにプロのサッカーリーグはないようですが、欧州でプレーしているベナン人選手もいたりして、欧州のサッカーリーグはかなり人気があります。そして欧州サッカーと言えば、チャンピオンズリーグというヨーロッパNo.1のクラブチームを決めるトーナメントが毎年開かれ、ヨーロッパは大変な盛り上がりを見せます。その盛り上がりはベナン共和国コトヌー市セント・リタのジャパンハウス周辺でも同じです。

ジャパンハウスの近くに、スポーツバーのようなお店があります。店と言ってもほぼ屋外に近い感じで、広いスペースにテーブルといすが並べられ、欧州で試合がある日はプロジェクターを使用して白い壁にサッカーの試合を映します。その店は試合がある日は大繁盛で、特にチャンピオンズリーグの試合がある時は、店の中だけでなく、入り口付近にも人が群がります。
私が応援しているイギリスのチームは、あろうことか早々とグループリーグで姿を消してしまったのですが、それでも数少ない娯楽として、月に1、2回は寺嶋さんと一緒に夜、試合を見に行っています。

私と寺嶋さんは、ベナン人はてっきりフランスのチームなんか応援しないんだろうなと思っていました。ところが、彼らはしっかりフランスのチームも応援します。そして、元フランス代表のジダンが大好きです。今はフランスで解説者として活躍している彼が画面に登場すると「ジダーン!」と声が飛びます。現役の選手の中でみんなが大好きなのは、ご存じロナウジーニョです。ロナウジーニョ得意のトリッキーなプレイが飛び出すと、もうみんな大喜びです。日本人のリアクションだと、「すごいな〜」とか「お〜」とか、拍手とかそういったものが普通だと思いますが、ベナン人は叫び、更に笑います。なぜか笑うのです。本当に楽しそうで、しかも嬉しそうです。
楽しいのはわかるけど、今のは笑うところかな?などと思わず考えてしまうのですが、人種や国籍が違うと笑いのつぼも当然違うのです。ジャパンハウスで働いているベロちゃんはよくシリアスなドラマをみて大爆笑しています。例えばどんな場面かというと、「夫の浮気を知った妻がショックのあまり自殺を企て、浜辺から海へゆっくりと入っていく・・・」というような場面です。「ふっ、ありきたりだなぁ。」というような苦笑ならまだわかりますが、ベロちゃんはいつも大爆笑です。
どうしてそこで笑えるのかは全然わかりません。違う国の人と一緒にいるとわからないことだらけです。笑いのツボなどわかるはずがありません。
でも、日本のコメディーはベナンでも通用しそうですよ。なぜなら、たけし日本語学校の生徒の中に、熱心な「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで」ファンがいますから。

藤波

2009年11月27日(金)日蓮正宗

今タームから新しく始まったUクラスの生徒の中に、仏教徒がひとりいます。今日は、その人が信仰している日蓮正宗の集まりに、寺嶋さんと一緒に行ってきました。

コトヌーの幹線道路からすこし細い道を入った所に、その日蓮正宗ベナン支部の集会場はありました。民家のような建物の入口を入ると、中には5〜6畳くらいの部屋があり、仏壇もきちんと設置されていました。今日集まったメンバーは10人程。今日は「お勤め」ではなく、経典の勉強会の予定だったようですが、急きょ私達日本人への質問タイムになりました。信徒の中に英語を少し話せる人がいたので、その人に通訳をしてもらいながら、日本の仏教の様子や、日蓮正宗について知っているか、などの質問を受けました。
彼らの話によると、ベナン国内には約30人程度の信者がいて、アフリカ全体の総本山のようなお寺は、隣の隣の国ガーナにあるらしく、そこのご住職は日本人であるとのこと。12月に一緒にガーナへ行かないかとのお誘いもありましたが、授業の日程やビザ、お金の問題など、障害が多いので今回は丁重にお断りしました。
最後に「南無阿弥陀仏」と数回唱えて、今日の集会は終わりました。

私はベナンに仏教徒がいると言う事実にとても驚きました。今日行ったその集会所の中にはきちんとした仏壇もあって、信者の皆さんはきちんとしたお経の本を持っているのです。漢字で書かれたお経の上にローマ字で振り仮名がふってあるもので、英語版とフランス語版があるそうです。誰がどうやってベナンに仏教を広めたのでしょうか。そして仏教の考え方を受け入れたベナン人が少数ながらいるということが、とてもおもしろいと思いました。以前日本の宗教団体に属している生徒がいるという話を書きましたが、そういうことも含めて、やっぱりベナン人の宗教感はおもしろいなと思います。

藤波

2009年11月28日(土)サプライズパーティ

ケーキたけし日本語学校の授業は、毎日夜の8時半で終わります。いつも私達は、授業が終わった後、少しほっとした気分で晩ごはんを食べるわけですが、今日は何やら様子が違いました。OPクラスの授業が終わる8時半頃になって、なぜかぞくぞくと集まってくる他のクラスの生徒達。JapanDayの練習かな、などと呑気に考えていると、なぜか授業が終わった瞬間に教室から連れ出されて、徒歩10秒の距離にあるジャパンハウスに押し込まれました。この辺りから、鈍い私にも何となく読めてきたのですが、でもまさかな〜と考えていました。今週、ほとんど全部のクラスの生徒のみなさんから、誕生日おめでとうの歌や、ケーキを頂いていたのでいくらなんでももうないだろう、と思っていたのです。

20分後位にまた教室に連れて行かれると、そこにあったのは、手作りのケーキとその周りを取り囲むように置かれたたくさんのろうそく・・・。
正直に言ってとてもびっくりしました。なるほど、これがサプライズパーティというやつか・・・などと考えていると、いつものように日本語とフランス語と英語とフォン語で「ハッピバースデートゥーユ〜♪」の歌が始まり、ケーキ入刀。その後は写真を撮りまくって、踊りまくりました。
間違いなく今まで生きてきた中で、一番にぎやかで一番驚いた誕生日パーティでした。言うまでもなく、とても楽しかったです。

サプライズパーティサプライズパーティ

ある意味で私が一番びっくりしたのは、山下先生と寺嶋さんが私のためにプリンを作ってくれていたことです。私は2人がプリンのもとを買っていたのは知っていましたが、まさかこのパーティのためとは夢にも思わず、「ちょっと買い過ぎなんじゃないですか?」などと軽口をたたいていました。

私はジャパンハウスに住んでいる日本人の男は、私も含めて基本的に不器用な人しかいないと思っていました。隠し事などできるはずがないと。がしかし、きれいにだまされてしまいました(笑)私が鈍すぎるだけなのかもしれませんが・・・。
とにかくそんなこんなで、今年の誕生日は非常に豪華な誕生日でした。
みなさん、本当にどうもありがとうございました。

藤波

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