本文へジャンプする

NPO法人IFE

日本語教師の窓

Published on

お便り 84 - 11月前半

市川先生 編

2010年11月1日(月)暗闇との戦い<前編>

みなさま。今、たけし日本語学校で働いている藤波先生をどんな方だと思っていらっしゃいますでしょうか。このブログに綴られている文面からも、きっとしっかりした人なのではないかと思われている方が多いのではないかと思います。授業や仕事に対するまじめさはみなさんのご想像のとおりです。

しかし、それだけではないのが、「藤波先生」なのです。

-------------------------------------------------------
「やべぇっ。」

いつもと違った藤波先生の声。「何かあったのかな。」と思いつつも、私は部屋で授業準備を続けていた。しかし、その後、洗面所で水の流れる音が続いた。「一体何があったの?」と洗面所へ向かった。すると、顔をしかめた藤波先生がいた。なにやら必死で目を洗っている。

「どうしたんですか?」

私の問いに・・・藤波先生は・・・

「ウナコーワを目にさした。いてぇ。」

プチウナ「ありえない。」と私は思った。あのウナコーワをどうやって目に入れるのかわからなかった。少し落ち着いてから、そのウナコーワの正体を見て、納得。藤波先生は目薬をさそうとして、間違ってこのウナコーワ(写真参照)を手にとってしまったのだ。IFEの山道さんから依頼されていた日本語学校の新しいコースについて考えていたため、手元をあまりよく見ていなかったという。

とにかくウナコーワを洗い流そうと、目を何度も洗い、痛みと戦っている藤波先生は本当に辛そうだった。目を洗うせいで、鼻水も止まらず、ジャパンハウスのスタッフも代わる代わる

「先生、大丈夫ですか。」
「病院へ行きますか。」

と心配していた。スタッフは・・・藤波先生がどんなヘマを犯したのか、知らなかった。

この事件が起きたのは10月28日木曜日の昼ごろ。木曜日は昼に私の授業があり、夜に藤波先生の授業がある。昼は今タームから始まった授業のため、痛みをこらえて藤波先生は授業のフォローに入ってくれた。しかし、授業が終るとすぐに部屋に向かっていく姿を見て、やはり普通の痛みではないんだと言うことがわかった。

とにかく、何度も目を洗い、鼻をかみ・・・その繰り返しだった。

私もどうしたらいいものかわからなかったので、インターネットでウナコーワが目に入ったらどうしたらいいのか調べたりもした。「水またはぬるま湯で洗い流してください。」それしかアドバイスらしきものは見つからなかった。「もし、失明したら・・・」と余計なことまで考えてしまったが、藤波先生は

「失明したら、目で見えないものが見えるようになるんだよ。」

と、すてきなことを言っているように聞こえるが、のんきなことを言っていた。

とにかく、先日ジャパンハウスに来てくださった在ベナン日本国大使館・医務官の村上先生に電話した方がいいのではないかと言ったところ、藤波先生は「もう少し様子を見る。」と。

「夜の授業は?」と聞いても、「できる」と言っていた。

2010年11月2日(火)暗闇との戦い<後編>

午後6時頃。
藤波先生が私の部屋にやってきて言った。

「すみません。夜の授業は休みにします。」

藤波先生は目の痛みをかかえながら、何度か教室へ行き、実際に授業ができるかどうか、試したという。しかし、視界がぼやけ、字も読めない・書けないで、授業が出来る状態ではなかったそうだ。

「医務官の村上先生に電話しましょう。」

という私の問いかけに、「する。」と今度は素直に言った様子を見ると、相当自分でも「やばいかも」と思ったに違いない。だが、村上先生にはなかなか電話が通じなかった。目のことだけに、病院に行って、間違った処置をされても困るから村上先生待ち・・・ということになった。

とりあえず、夜の授業は先日のマラリアのお礼に私が代講することにした。

「すみません、藤波先生は今日病気です。」
と生徒たちに伝えると、帰り際にみんなこの言葉を残していった。

「おだいじに。」

藤波先生はしあわせものだ。

授業が終わって部屋に戻ると、藤波先生の部屋は真っ暗だった。

「病院にでも行ったかな。」と思ったが、部屋をノックすると藤波先生の声がした。まだ、村上先生に電話が通じていないという。再度、私も電話をしてみた。

「はい、村上です。」

ようやくつながった。パリ出張の帰りで、今、空港だという。親切な村上先生は藤波先生のおっちょこちょい話を真剣に聞き、適切なアドバイスをくださった。

「失明することはありません。治るまでに一週間はかかりますからね。」

この言葉で、藤波先生はどんなに安心したことだろう。

そして、次の日。藤波先生の目は昨日よりはよくなっているようだったが、まだ瞼ははれているし、目も赤い。

「夜の授業、俺、やるよ。」

「また、馬鹿なことを言ってる。」とあきれつつ、まだ完全に治っていないのだから、とりあえず今日は休むようお願いした。

「明日の夜の授業は絶対にするから。俺、一度言い出したら、聞かないんだよ。結構、頑固なんだ。」

「だからなんだ」と言いたかったが、私も全部の授業を代われる自信がなかったので、「よくなったら」という条件で日曜日の夜から授業をしてもらうことにした。

悪いのは目だけで、体は元気なため、藤波先生は「早く授業したい。」と何度も言っていた。

そして、日曜日。

夜の授業から藤波先生は復帰した。

生徒たちから「先生、大丈夫ですか。」と聞かれ、藤波先生は「はい、おかげさまで元気です。」と笑顔で答えていたが、本当に恥ずかしい話だと私はこっそり思っていた。

藤波先生のお母様。きっと「また、うちの息子は。」と思われたかもしれません。でも、藤波先生は生徒たちから信頼されているとてもいい先生です。どうかご安心ください。

注)この文章は藤波先生の依頼を受けて書いております。

2010年11月8日(月)形容詞と作文

初級も後半に入った生徒さんたちのクラス。

びっくりするぐらい初級の形容詞語彙を忘れていました。。。形容詞をあまり使わず、「いい」「わるい(だめ)」しか言わない人にその傾向が強く、もう一度復習しなきゃ・・・という感じです。本人もすっかり形容詞を忘れてしまったことを、恥ずかしく思っているようでした。

また、時間の関係でなかなか作文を書く時間がとれていませんでした。ですが、これからは口頭だけでなく、しっかり自分できれいな文が書けるように指導していきたいと思います。

「話す、聞く、書く、読む」の四技能が平均してよくなるように、こちらも授業を組み立てていきたいと思います。

2010年11月11日(木)「できる」「できない」の境界線

たけし日本語学校の教室は縦に長い教室です。

境界線教室には見えない境界線があり(写真参照)、境界線より前に座っている学習者は理解が早く、境界線より後ろに座っている学習者は、ワンテンポ遅れる傾向があります。もちろん黒板が遠くてよく見えないから、ワンテンポ遅れるのかもしれませんが、だからといって、自分から前に座ることはありません。

見ていて、とても興味深いです。

でも、今度からはこちらで席を決めて、その席に座ってもらうことも検討しています。いろいろな人と話した方がおもしろいですし、気分転換にもなりますし。。。

2010年11月12日(金)サバビエン!

今日は大使のお宅の「おうちごはん」にお招きいただきました。

先日伺った際に「サバが手に入ったら、お呼びしますね。」と大使の奥様に言っていただいていたのですが、本当にお招きいただけるとは・・・。うれしかったです。大使館の方も何名かいらしていて、大使ご夫妻と楽しく「おうちごはん」をいただきました。

ベナンに来たばかりのころ、それほど感動をおぼえなかった日本食ですが、先日いただいた日本食は本当においしく、すべて残さずいただきました!藤波先生の「ウナコーワ話」にも花が咲き、楽しいひとときを過ごせました。

2010年11月13日(土)いつかベナンに自動車工場を!

たけし日本語学校の学生の中に、自動車の技術を学びたいという学生が数名います。

ベナンには車を修理する技術を学ぶ学校はありますが、車をつくる技術が学べる学校はありません。ですから、日本で車をつくる技術を学びたいと言うのです。

ベナンではまだ日本語能力試験(専門学校入学の条件になっている学校が多いです)が実施されていませんし、経済的にも日本の専門学校に入学することは難しいです。

でも、いつか、その学生たちが日本で技術を学んで、ベナンに自動車工場を建ててくれたらな・・・と思ったりしています。

コメントする

※管理者が承認したコメントのみ表示されます。

コメント投稿フォーム

« 前の記事 | 次の記事 »

ページトップへ戻る

サイトマップ