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NPO法人IFE

日本語教師の窓

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お便り 120 - 5月後半

永田先生 編

2012年5月20日(日)日本語能力試験

英語を勉強している人がTOEICを受けるように、日本語を勉強している人にも大きなテストがあります。それは「日本語能力試験」。しかし、残念ながらベナンでは日本語能力試験を実施していないため、たけし日本語学校の学生は、ベナンでこの試験を受けることができません。それでも、彼らはこの試験の存在を知っているため、自分のレベルが、この試験でいうとどのぐらいなのか、実は知りたがっています。

日本語能力試験というわけで、今回は2008年の過去問を使って、受けたい人は実際にやってみよう、という日を作りました。西日が射す暑い中、数人の生徒たちに旧 4級(現在のN5レベル)の過去問をしていただきました。本当にみんな頑張って試験をしたので、私は試験実施中、せっせと台所でおにぎりをたくさん作って、試験終了時間に合わせて教室に持って行き、「お疲れ様でしたー!」とみんなに声をかけましたが、そんな高いテンションなのは私だけで、全員教室でぐったりとしていました。長時間のテストがはじめてだった人が多かったため、かなりしんどかったようです。「疲れました」「長いです」など、短めの言葉が交わ される中、おにぎりを配ってしばし閑談。その後、採点をしましたが、けっこうみんないい点数で、合格ラインを超えている生徒はたくさんいました。後日、試験結果を彼らに伝えましたが、やはり「本当のディプロマがほしいです。」との声が。ほかにも旧 3級(現N4)の合格ラインを超えている生徒もいるし、是非 ベナンで勉強しているみんなにも本当の日本語能力試験を受けるチャンスがあればなぁ〜と考える今日この頃でした。

2012年5月29日(火)国際人

残念なことに私がコトヌーに住んで一番最初に覚えた現地の言葉(フォン語)は「おはよう」や「ありがとう」ではなく「Yovo(ヨボ)白人さん」でした。外を歩いていると、かなりの勢いで、「♪ヨボ、ヨボ、ボンソワール、サバビエン、メルシー(白人さん、こんにちは。お元気ですか。ありがとう)。」と子どもたちに歌われるからです。ボンソワールと歌われるから、フランス語かと思いきや、ヨボはフォン語でした。

ある日、ネットカフェからの帰りが、近くの小学校の下校時刻と重なり、集団下校中の子どもたちに、やはり「♪ ヨボ、ヨボ、ボンソワール」と大合唱されたことがありました。かなり疲れていたため、正直うっとおしく思っていたそのとき、「永田せんせい!」とその集団の中から 2人の小さな子どもが、私の名前を呼んでやって来ました。その 2人の子どもはたけし日本語学校の隣に住む子どもたちです。まだ小さい子たちで、上級生がいるであろう集団から抜けて、大きなリュックを揺らしながらこっ ちへ走ってくる姿を見ると、もう涙が出そうでした。そして、私がなんとかわかるフランス語で、「On y va.(いっしょに行こう。)」と言って、2人が私の右手と左手を握ってくれました。私は「友達は大丈夫か」など、なんとか頑張って 2人に言いましたが、2人とも何も答えずに私の手を引っ張って歩いてくれました。自分の名前を呼ばれるのが、こんなに嬉しいと感じたのは、この子たちのおかげです。

ベナンに限ったことじゃありませんが、日本を離れれば「Asian people」と一括されたり、「中国人」と間違われたりすることは多々あります。そんな中、近所の子どもたちが「永田!これ、わかる?」みたいな、言葉がわからなくても頑張って何かを伝えようとしてくれる時、「日本語を教えて!」とノートを持ってうちへやってくる時、私は子どもたちに本当に救われたと思いました。コミュニケーションとは何か、難しく考えなくても、近所のチビたちが教えてくれたような気がします。

本日クラス終了後、 ある生徒から「わたしは『ベナンと日本がいい関係になります。みんな友達です』これをしたいです。この人になりたいです。」と言われました。わたしは、近所の子どもたちを思い出しながら「それは『国際人になりたい』ですね。」と「国際人」という言葉を教えました。

わたしはもうすぐベナンでの生活を終え、日本へ帰ります。私は「白人」と言われると、「黄色人種だしっ。」とねちっこいことを考えるくらいですから、国際人ではありません。 ですが、世の中みんながみんなを認め合って生活できる日がくることを願って、これからも頑張っていきたいと思います。みなさん、1年間本当にありがとうございました。

永田

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