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アフリカニュース

July 2009 の記事一覧

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シリーズ・ベナンの歴史(4)ベナン北部の諸王国・後編

カンディ小王国

カンディ小王国は、ナイジェリアのプール人やデンディ人らによって、たびたび攻撃されていた。しかし、ニッキ王国国王の防衛により、攻撃から逃れられた。

ニッキ王国国王とカンディの首長から差し出された女性との間に生まれた息子は、ササ・バク(Sasa Baku)であった。ササ・バクは遠征先での戦いで勝利し、その後ニッキに現れることなく、母の故郷のカンディに戻り、その地で初代の王に即位した。カンディ王国と異なり、カンディ小王国は戦いを多くは行なわず、ニッキ王国に従属した。

パラク王国

パラクということばは、デンディ語で「全ての地域」を意味する。初期のパラクの街は、バリバ人に起源を発する人々が暮らしていた。そこに、ナイジェリアのヨルバ人やハウサ人、ニジェールのデンディ人やプール人らが流入してきた。その多くは、イスラム教徒であった。パラクの人々は、遠くの国々からやってきた人達と商売をしていた。

パラク王国初代の王は、コブル・アパキ(Kobourou Akpaki)といい、ニッキ出身の王子と、サベ出身のヨルバ人女性との間に生まれた。コプル・アパキはニッキ王国の王宮で育ったのだが、母親がバリバ人でないということで兄弟からいじめられ、サベに戻った。パラクにたどり着いた際に、パラクの人々はコブル・アパキを王に任命し、ニッキの王もこれを認め、ニッキ王国に服従することはなかった。こうして、コブル・アパキはパラク王国の王に即位した。

パラク王国は、商業によって豊かになった。だが、1894年にフランスが進出して来た際、フランスの軍事力を恐れ、他のバリバ人の国と違い、フランスと友好関係を結んだ。

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シリーズ・ベナンの歴史(3)ベナン北部の諸王国・前編

ベナン北部の歴史は、ベナン南部とは少し異なる。これは、ベナンの南部はアボメー王国の領土であったが、北部はアボメー王国とは違った王国が支配していた地域であったことが背景としてある。また、イスラム教の影響が南部より強く、ナイジェリアやニジェールなどの交流も盛んであったことも考えられる。

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