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アフリカニュース

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シリーズ・ベナンの歴史(4)ベナン北部の諸王国・後編

カンディ小王国

カンディ小王国は、ナイジェリアのプール人やデンディ人らによって、たびたび攻撃されていた。しかし、ニッキ王国国王の防衛により、攻撃から逃れられた。

ニッキ王国国王とカンディの首長から差し出された女性との間に生まれた息子は、ササ・バク(Sasa Baku)であった。ササ・バクは遠征先での戦いで勝利し、その後ニッキに現れることなく、母の故郷のカンディに戻り、その地で初代の王に即位した。カンディ王国と異なり、カンディ小王国は戦いを多くは行なわず、ニッキ王国に従属した。

パラク王国

パラクということばは、デンディ語で「全ての地域」を意味する。初期のパラクの街は、バリバ人に起源を発する人々が暮らしていた。そこに、ナイジェリアのヨルバ人やハウサ人、ニジェールのデンディ人やプール人らが流入してきた。その多くは、イスラム教徒であった。パラクの人々は、遠くの国々からやってきた人達と商売をしていた。

パラク王国初代の王は、コブル・アパキ(Kobourou Akpaki)といい、ニッキ出身の王子と、サベ出身のヨルバ人女性との間に生まれた。コプル・アパキはニッキ王国の王宮で育ったのだが、母親がバリバ人でないということで兄弟からいじめられ、サベに戻った。パラクにたどり着いた際に、パラクの人々はコブル・アパキを王に任命し、ニッキの王もこれを認め、ニッキ王国に服従することはなかった。こうして、コブル・アパキはパラク王国の王に即位した。

パラク王国は、商業によって豊かになった。だが、1894年にフランスが進出して来た際、フランスの軍事力を恐れ、他のバリバ人の国と違い、フランスと友好関係を結んだ。

ベナン北部・バリバ人の昔の暮らし

ヨーロッパ人が進出する以前、ボルグ地方(現在のボルグ県を含むベナン北部)には、バリバ人、プール人、そのほかの異民族や奴隷たちなど様々な人が暮らしていた。多くの家屋は、土壁で藁葺き屋根の家屋であり、とげのはえた生垣で家を囲んでいた。大きな家は、戦争をする王族、貴族、軍人達の家であった。

農民は、ヤマイモ、アワ、ピーナッツ、キャッサバなどを畑で育て、それらを食べていた。職人らも多数生活しており、農耕道具や武器をつくっていた。また、イスラム教のプール人は、彼らとは少し離れたところで牧畜生活を営んでおり、乳製品を食べていた。ナイジェリアのハウサ人、ガーナのアシャンティ人などの外国人商人も住み着き、織物、ブレスレット、馬などを売っていた。このように多くの農民、職人、商人らがいるなか、奴隷という身分の人々もいた。奴隷達は、畑できつい仕事に従事し、君主の家を修理するなどしていた。奴隷は売られたり、家畜と交換されたりすることもあった。

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