本文へジャンプする

NPO法人IFE

旅行道

Category: "昔話" の記事一覧

Published on

なぜベナンに? その2

中学生の時以来、ベナンに必ず行くと心に決めたが、高校に進学しても、すぐに行くのは無理だった。金銭的にも、身分的にも無理だ。

高校は普通科の高校で、多くの生徒は大学に進学するような学校だった。進路の話が頻繁にあったので、大学に行くなら、アフリカの社会や文化を勉強できるところがいいと思っていた。ちょうど1年の担任にそのような話をしたところ、「大阪外国語大学に、スワヒリ語専攻があるぞ」と教えてくれた。自分でも全国の大学を色々と探してはみたが、大阪外国語大学以外でアフリカの勉強・研究はできそうになかった。そのため、自動的に進学希望の学校が決まってしまった。

外国語大学である以上、外国語、特にスワヒリ語の習得は必須になるが、スワヒリ語もアフリカ文化の一つであることには変わりない。そんな考えから、スワヒリ語の専攻でも、「アフリカのことなら学べるなら」ということで、受験勉強を必死にやった。学費を出してくれると言ってくれた家族の助けもありがたかった。

幸運にも大学入試に合格し、2003年に大阪外国語大学外国語学部地域文化学科(スワヒリ語専攻)に入学する。大学のシステム上、1,2年は専攻語の授業が中心になり、文化や社会について探究できるようになるのは、主に3年次以降であった。それはそれで残念な点もあったが、代わりにベナンの公用語であるフランス語の習得に時間が割けたのも事実である。

全文を読む »

Published on

なぜベナンに?

時々よく聞かれる質問がある。
「どうしてアフリカに、ベナンにそこまで興味を持つようになったのですか?」

この質問に回答するには、10年ほど前に話を戻さなければならない。

私が15歳、中学3年だった1999年、「ここがヘンだよ日本人」という番組が放映されていた。地理が好きだったので、様々な国の人が出演してあれやこれや話をしたり、時々出てくる特集なんかが面白かった。通常の討論に限らず、劣化ウラン弾の被害を受けたイラクの状況、宗派によって立ち入りが制限されてるイスラエルのエルサレム、コンゴ・パパイヤツアーと称したコンゴ共和国など、どれも興味深かった。

そして忘れてはならないのが、IFEの代表であるゾマホン氏である。彼は当時、「ゾマホンのほん」を執筆し、その本の印税で小学校を建設する活動を始め、その活動がこの番組内で何度も放送された。当然ながら、彼の国のベナンの映像も出てくるわけである。この期間、私が見たベナンの景色、人々の生活、文化等に興味を持ち始めたのだ。それ以来、「ベナンに行きたい、アフリカに行きたい」、「ベナンやアフリカの社会や文化を勉強したい」と思うようになったのである。

アフリカに興味のある人の中には、動物をはじめとする自然に興味を持つ人もいるだろう。しかし、私は別に野生動物にも興味はなかった。サハラやナミブの砂漠にも興味はなかった。とにかく、向こうの社会や文化がどうなっているのかをこの目で見てみたかった。それ以来、「何としてでもベナンには必ず行こう。」そう思い始め、現在に至るのである。

今思えば、相当変わった中学生であったに違いない。

Published on

旅好きになったきっかけ

私は根っからの旅好きである。放浪癖という病気にかかってるのではないか、と思うときさえある。隙間時間さえあれば旅行のことを考えているし、航空券の値段なんかをウェブサイトでチェックしたりもする。実際に旅に出て移動しているときでさえも、「次はどこに行こうかな。」なんて考えているから、ある意味「旅行中毒」とも言える。

そもそもなぜ私は旅が好きになったのだろうか。両親も比較的旅行が好きで、小さいときには1年に1回は国内の家族旅行をしていた。中学生になれば、祖父が持っていた南海電鉄の「株主優待乗車券」(本人以外も使用可)を借りて、関空を除く南海電鉄全線に乗り放題の特典を生かして、南海電鉄の各終点に出かけたものである。一番遠い高野山や高野線沿線にも何度も行ったものだ。ただ、このときは家族旅行を除いて全て日帰り旅行であった。

地図を見るのも好きだった。小学校のときは地図帳を結構頻繁に見ていたようで、担任の先生に「あなたは本当に地図が好きやねぇ〜」とあきれた表情をしていたのを覚えている。

もしかしたら、こういったことが旅行好きの基礎になっているのかもしれない。ただ、本格的な旅好きになるのは、もう少し後になる。

全文を読む »

ページトップへ戻る

サイトマップ