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なぜベナンに? その2
中学生の時以来、ベナンに必ず行くと心に決めたが、高校に進学しても、すぐに行くのは無理だった。金銭的にも、身分的にも無理だ。
高校は普通科の高校で、多くの生徒は大学に進学するような学校だった。進路の話が頻繁にあったので、大学に行くなら、アフリカの社会や文化を勉強できるところがいいと思っていた。ちょうど1年の担任にそのような話をしたところ、「大阪外国語大学に、スワヒリ語専攻があるぞ」と教えてくれた。自分でも全国の大学を色々と探してはみたが、大阪外国語大学以外でアフリカの勉強・研究はできそうになかった。そのため、自動的に進学希望の学校が決まってしまった。
外国語大学である以上、外国語、特にスワヒリ語の習得は必須になるが、スワヒリ語もアフリカ文化の一つであることには変わりない。そんな考えから、スワヒリ語の専攻でも、「アフリカのことなら学べるなら」ということで、受験勉強を必死にやった。学費を出してくれると言ってくれた家族の助けもありがたかった。
幸運にも大学入試に合格し、2003年に大阪外国語大学外国語学部地域文化学科(スワヒリ語専攻)に入学する。大学のシステム上、1,2年は専攻語の授業が中心になり、文化や社会について探究できるようになるのは、主に3年次以降であった。それはそれで残念な点もあったが、代わりにベナンの公用語であるフランス語の習得に時間が割けたのも事実である。
長期休暇中を中心にアルバイトをして、ベナンへの旅費も貯めた。勉学とアルバイトをしながら、ベナン行の安い航空券も捜しまわった。当初は往復で36万円以上すると言われていた。いわゆる、格安航空券なるものも無かったのだ。だが、大阪市内の旅行社や航空会社をいくつも訪問して、直接窓口の担当者に色々と訪ねた。そして最終的に、シーズンを選べば16万円代で航空券が購入できることが分かった。これで、貯金目標額がかなり低くなった。学生の身分でも、努力すれば捻出できるであろう金額になってほっとした記憶がある。
航空券は何とかなりそうだった。あとは、ビザに必要な宿泊証明書がネックになるので、現地での宿をインターネットで探していた。そんな時、ちょうどゾマホン氏のウェブサイトができており、日本語学校が実際に運営されていることが分かった。また、日本の大学生が夏休みを利用して、日本語学校(ジャパンハウス)に宿泊したとの記述もあった。
このウェブサイトを見つけ、現在はIFEの代表理事を務めている山道さんとメールのやり取りをし始めた。そして、ベナン滞在時にはジャパンハウスに宿泊できる旨が伝えられ、招待状(宿泊証明の代り)を発行してもらい、ビザも無事に取得できた。
そして2005年2月に初めてベナンに渡航し、当時の現地のスタッフ、および日本語教師にお世話になり、現在につながっているのである。