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大阪外国語大学プロジェクトが始動 ~民族紛争の背景に関する地政学的研究~
今年度から開始された「大阪外国語大学プロジェクト・民族紛争の背景に関する地政学的研究」の第1回アフリカ研究が、7月15日(日)、大阪府の千里ライフサイエンスセンターで開催された。このプロジェクトは、これまで国内での研究蓄積が乏しかった中央アジア、パレスチナ、旧ユーゴ、アフリカの4地域ついて組織的な研究を行うもので、大阪外大のスタッフと他の研究機関と連携して、民族紛争の背景解明に取り組むのが目的である。
当日は台風の影響で欠席者がいたものの、関西を中心にアフリカ研究に携わっているものや、大阪外大の教員、学生らなど15名ほどが参加した。
今回は、東京外大の舩田クラーセンさやか氏が、「モザンビークの武力紛争の起源」と言うタイトルで発表を行った。主な内容は、1975年のモザンビーク独立以降に起こった紛争についてであり、なぜこのような紛争が起こったのか、当時を物語る資料や現地での聞き取り調査を行い、外部要因と内部要因の2つの視点から原因を考察していくものであった。
モザンビーク紛争の構図について
モザンビーク紛争とは、政府であるFrelimoと、Renamoとの戦争である。
Frelimoとは、社会主義を目指す方向性を持っている統一の開放運動団体で、タンザニアで1962年に結成された。主導権は、首都のある南部出身者が持っており、新ポルトガル政権より全権移譲されている。
一方Renamoは、南ローデシア(現ジンバブエ)諜報部によって創設された。ポルトガル入植者が指導し、南ア共の軍部や西側諸国が支援した。植民地権力者側に加担する勢力であった。
これら二つの団体が対立することになった原因としては、周辺国のアパルトヘイト政権による不安定化工作や、東西冷戦の影響といった外部要因的なものが挙げられる。そのため、戦場はモザンビーク内部であっても、諸外国の勢力が絡んだ国際紛争だという見方もある。また、FRELIMOの集村化、強制移住、伝統権威の周縁化などといった社会主義政策の失敗という、内部的要因も挙げられる。