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NPO法人IFE

きときとアフリカ

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お母さんは神様。

ゾマホンさんのお母さんが亡くなって早7年になった。3月2日がお母さんの命日。
ゾマホンさんのお母さんがご健在の時の、ゾマホンさんとの国際電話のやりとりが面白かったのをいまでも思い出す。

ゾマホンさんは1週間に最低1度はお母さんに電話していたのだが、必ず最後はお母さんに結婚の話をされる。「この前、市場にいったら、○○さんの娘さん、すごくよかったよ~」とか。そして、ゾマホンさんはいつもお母さんに「もういいよ。わかった、わかった。」と頭をさすりながら、電話で話す。

その光景を見るたびに、とても愛らしかった。

僕は一度だけ、ゾマホンさんのお母さんに会った。それはそれはとても静かな方だった。

ゾマホンさんはお母さんが大好きだった。
ゾマホンさんは、小さい頃お父さんを亡くし、お母さんの元から離され、養子になって中学校に行っている。

養子先では、いつも車の中で寝泊りをし、そして、街灯で勉強を続けていた。
でも、ゾマホンさんは養子として、お母さんのもとから離れても、ずっとお母さんが好きだった。

そして、ゾマホンさんが大きくなり、国費留学生となり中国に留学する。ある時、故郷に凱旋帰国した際、ゾマホンさんは驚いた。なんとお母さんは親戚の家の台所で寝泊りをしていたからだ。

それを見たゾマホンさんは、なんとかお母さんに楽な暮らしをさせてあげたいと誓った。
それからゾマホンさんは日本に私費で留学をし、文章では書き表せないくらいの、様々な経験をした。

そして今から7年前の3月2日、ゾマホンさんが大好きだったお母さんは亡くなった。
ゾマホンさんはお母さんの最後に立ち会うことができなかった。
ただ、亡くなる数か月前、お母さんと一緒に撮った写真がある。

ゾマホンさんとお母さん

当時、日本語教師として赴任していた石田さんが撮影したものだが、僕はこの写真がゾマホンさんの全てを語っている気がする。

ゾマホンさんは僕によく言う。

「私のお母さんは、字が読めない、書けない。でも私は決してお母さんをバカにしたりしません。
私がどんな立場になろうと、お母さんはお母さんです。お母さんは私の神様です。」

「私はお父さんとお母さんを超えられない。なぜなら私の今の年齢の時に、お父さんとお母さんは、立派に子供を育てていたから。私は一生超えられない。」

ゾマホンさんは、講演会などでも子供たちに

「本当に国際人になりたかったら、まず親孝行しなさい。いつもいつもお父さん、お母さんに感謝の気持ちを持ってください。あなたが今着ている洋服は、あなたが働いて買ったものではないよ。」 ・・・と。

・・・ゾマホンさんのお母さん、これからもずっと見守っててください。

そして、このブログを読んでくださっている皆様、それぞれ親子関係はいろいろあると思います。
それはそれとして、(私も自戒の念を込めて)お父さん、お母さんを大事にしましょう。

僕は明日、お母さんに電話します。

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