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NPO法人IFE

日本語教師の窓

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お便り 31 - ベナンの生活

山下先生 編

9月1日(月)「誕生日」

夕方、NHKのニュースで福田首相の辞任会見を見てびっくり。また国のトップが辞めてしまったんですねえ。

日本は大丈夫? ベナンは今のところ大丈夫ですよ。

「週末はどうでしたか?」の質問に、ある生徒は笑って「お金がありませんでしたが、楽しかったです」まさにこの国を象徴しているような答え。今日もベナンは平和です♪

また、今日は「たけし日本語学校」の5歳の誕生日。おかげさまで6年目を迎えることができました。

私たちの活動は多くの日本の皆さん、ベナンの皆さんに支えられています。本当に感謝しています。

これまでの先生方が築き上げてきた日本とベナンの友好関係をよりいっそう強くできるよう私たちもがんばります。

皆さん、これからも「たけし日本語学校」をどうぞよろしくお願いします。

9月2日(火)「ベナンの物価」

ベナンの物価をお話しする前に、ベナンの通貨の単位について。

ベナンの通貨単位はCFA(セーファーフラン)といいます。CFAはCommunaute financiere africaineの略で、元はフランス領植民地の共通通貨だったそうです。現在もベナン、ブルキナファソ、コートジボアール、マリ、ニジェールなどで使 われているそうです。

今日はビサの更新用の顔写真を撮りに車で写真屋へ。

途中ガソリンスタンドで給油。日本のガソリンも今とても高いようですね。皆さんはベナンのガソリンいくらぐらいだと思います? 給油メーターを見ると 7.6ℓしか入れません。値段はちょうど5000CFA。私と鬼頭先生は顔を見合わせびっくり。日本円で約1200円です。1ℓ=約165円くらいでしょ うか。こちらの人の平均月収が約30000CFAといえばどれほど高いかお分かりになると思います。それでも多くの車やバイクが走っているのは露天でビン 詰めの安いガソリンを売っているからです。その話はまた今度。

写真屋はとてもきれいで冷房完備。いかにも高そうな店でした。店のお姉さんもきれいな人でドライバーのフィルメンさんはすっかりお気に入 り。パスポートサイズ4枚だけでいいのに、しきりに8枚買え、というのでフィルメンさんに聞くと、「4枚は2000CFA、8枚は3000CFAです。先 生、8枚買います。いいです」とお店のお姉さんと一緒になって8枚を勧めます。鬼頭先生と顔を見合わせ「ヨボ(白人)の値段かな」といいながらも、結局8 枚買ってしまいました。ベナンにいる間にこんなに使うかなあ…

すっかりご機嫌のフィルメンさんは帰り際、店のお姉さんに「エイサンデー(またあとで)」といって別れました。車の中で「私はまた来ます」といいながら不敵な笑みを浮かべていました。

(1CFA=約4円で計算しています)

9月3日(水)「たまには電話もいいもんだ」

皆さん、最近電話してますか? 「メールだけだよ!」という人も多いのでは?

昼前、パソコンが壊れてから連絡を絶っていた母に電話。あまり心配する様子もなく「どう? 慣れた?」の質問に「うん、慣れた」の返事。し ばらくメールできないと伝え、電話を切りました。短い時間でしたが元気な様子が伝わり安心しました。メールだと伝わらない何かを感じました。

「百聞は一見に如かず」といいますが、今日は「百書は一聞に如かず」を実感しました。

普段メールしかしない皆さん!たまには電話もいいですよ♪

9月4日(木)「日本人ってすごい!」

朝NHKで『源氏物語』についての番組をしていました。遣隋使、遣唐使による漢字、漢文をはじめとする中国文化の輸入、ひらがなの成り立ちをみて 「日本人って、このころから輸入品を改良していたんだなあ」と改めて感心しました。日本の発展は私たちの先祖の遺伝子のおかげかもしれませんね。

9月5日(金)「買い物」

海外の生活で困るのは言葉の壁。日本にいるとまったく感じませんね。ここベナンは公用語のフランス語のほか、現地語が50以上話されています。私たちの住むコトヌー市は主にフォン語という言葉が話されています。

鬼頭先生も私も日本語と少しの英語しか話すことができません。ジャパンハウスにいるときはいいのですが、買い物は少し困ります。

そこで、1ヶ月ほど前からフォン語を、1週間ほど前からフランス語を毎日ほんの少しずつ勉強しています。

買い物のとき、フォン語で「ナビウェ(いくらですか)」と聞いても値段はフランス語で返ってくるので、フォン語は1~10まで、フランス語はとりあえず1~100まで覚えることにしました。

フォン語はすぐ覚えましたがフランス語は私にとってとても難しいです。そこで、よい練習法を考えました。ベナンのテレビコマーシャルは電話番号を案内する ことが多いので、画面に出た瞬間口に出すというもの。電話番号は8桁ですが、幸い2桁ずつが4つなので練習に最適です。番号を読みあげてくれるので聞き取 り練習にもなります。

おかげで、今日買い物に行ったとき、値段がだいぶ聞き取れるようになりました。

9月6日(土)「身近な国、中国」

昼、成田先生の友達の王さんが来てくれました。私たちも親しくしていただいています。

建設会社の方で、ベナンに長いこと住んでいます。今日は、一ヶ月ほど国に帰るとのことであいさつに来てくれました。

ベナンには多くの中国人が住んでいます。中国の大使館もあります。大きな施設のほとんどが中国によってつくられています。雑貨なども中国製品が多いです。

それに比べると、日本人はとても少ないですね。JICAの方が何十人かおられるとのことですが、民間人はほとんどいないのではないでしょう か。日本の大使館はベナンの3つとなりのコートジボアールにあります。日本製のものといえば車、オートバイ、電化製品など高価なものばかり。

今は、まだベナンにとって日本は本当に遠い国、それに比べると中国も遠いですが身近な国のようです。

9月7日(日)「一炊の夢」

皆さん、夜眠れますか?

日本はまだ暑いのでしょうか? 暑くて眠れない人、多いんでしょうね。

また、仕事のことが頭から離れず眠れない人もたくさんいるんでしょうね。私も日本で仕事していたときはよく不眠になりました。運送業の事務をしていたので、夜中に事故の電話がかかってきたり、客先に無事荷物は届いたか心配になったり…

最近も、夜眠れません。原因は「昼寝」です。すっかり「ベナン人」です。

今日はジャパンハウスの屋上で日向ぼっこをしながら昼寝。ここでボーっと空を眺めていると「今どうしてアフリカにいるんだろう。夢でもみているのでは」と思います。

朝、暑さにうなされて起きたら日本だった…なんてことはないよな…

なんて考えていたらあっという間に1時間たっていて、腕と首周りはまっかっか。

9月8日(月)「さんま」

日本の皆さん、今日からまた1週間が始まります。ほどほどにがんばりましょう!

私はといえば、きのうに続き授業の合間に屋上で日光浴。「ヨボ(白人)」と子供たちに言われないように真っ黒に日焼けしよう、なーんて無謀 なことを考えてみました。きのうは首と腕しか焼けなかったので、今日は上半身裸になって焼いてみました。「焼く」といえば、日本はまもなくさんまの季節で すね。焼いたさんま食べたい!

ここは赤道に近いので日差しはとても強いですが、毎日のように心地よい風が吹くのと、ひんぱんに雲が日差しを遮ってくれるので日本のようないやらしい、じめじめとした暑さは感じません。

今日も流れる雲を見ながらボーっと空想していました。「ここはどこ? 私は誰? …あなたは誰?」

誰もいないはずの屋上に人の顔が… 鬼頭先生でした。きょとんとしていると、「先生!ずっと呼んでいたんですよ!パスポート出してください!」といわれて我に返りました。下に下りるとビザの更新のおじさんが来ていました。

9月9日(火)「お葬式」

皆さん、最近「死」について考えたこと、ありますか?

「忙しくてそんなの考えてる暇ねえよ!おまえはどうせ暇なんだろう?」なんていう言葉が返ってきそうですね。

そのとおり! 日本にいたときよりぜんぜん暇です。暇ですからいろいろなことを考えます。

今日は朝からとてもよい天気で、気分よく朝食をとっていたら秘書のダベデさんから「今週の木曜日、お葬式に行かなければなりません」という 話。少し気分が暗くなったところで詳しい話を聞くと、元駐日ベナン大使だった方の奥様ということでした。この元ベナン大使の方はとても優しい方で、8月は じめにゾマホンさんと私たち教師を食事に招待してくれました。その話を聞き、さらに暗い気持ちになりました。

こちらに来て結婚式に招待されたことはまだ1回もありませんが、お葬式は何回目…

授業でも生徒から「お葬式でした」という言葉をよく聞くと、死が身近なんだと実感します。

自殺、親殺し、子殺し、殺人が多発している国の皆さん、忙しいのはわかりますが、もう一度「生」や「死」について考えてみませんか?

9月10日(水)「ストレス」

日本の皆さん、ストレスを感じることがありますか? 日本は「ストレス社会」ですから、皆さん少なくともストレスの1つや2つは感じていると思います。

ここはのんびりしているので日本のようなストレスは感じませんが、私たちにもストレスはありますよ。そのうちの1つはあまり外出できないこと。近所はたまに出歩きますが、あまり遠出はできません。

もうひとつは私のストレスですが、パソコンが壊れ日本の家族や友達にメールができないこと。私にとってメールはとてもよい気分転換になっていました。それだけにパソコンの故障は大きなショックでした。

ここ数日、部屋にいると気分が塞いでしまっていたんですが、今日教室で仕事しようと思い立ちました。すぐ近所にカフェテリアがあるのですが、落ち着いて仕事しようという雰囲気ではありません。日本のカフェがなつかしく感じられます。

どこか落ち着いて仕事できる場所は… と思っていたら「灯台もと暗し」、教室は私の部屋から歩いて7歩です。

早速、本、ノートと一緒にコーヒーを持って教室へ。「たけし日本語学校」の教室は3面が壁で残る1面が低い壁と出入り口になっていて、窓、 扉はありません。低い壁からはほぼ一日中日が差し、大きい屋根があるオープンテラスのようになっています。最初気持ちよく仕事していましたが、コーヒー目 当てに蝿が行ったりきたり…

今度は蝿のストレスに負けそうになりましたが、コーヒーの代わりにペットボトルの水を持ち込むことで「蝿問題」は解決しました。

9月11日(木)「ありがとう」

今日はお葬式の日。

9時過ぎに会場に着くと、もう式は始まっていました。バンドによる明るい音楽の演奏があり、やはり日本のお葬式の様子とは違います。出棺し て、亡くなった方のお母さんの家(フィルミンさん談)に立ち寄ってからお墓へ。とても広く立派な墓地でした。最後にご主人(元駐日ベナン大使)と挨拶しま した。日本語で「ありがとう」と言われたとき、思わず目頭が熱くなってしまいました。

皆さん、最近「ありがとう」の気持ち、忘れていませんか? 私も少し忘れていました。

9月12日(金)「思えば遠くへきたもんだ」

皆さんは日本とベナンはどれくらい離れていると思いますか?

私が(インターネットが使えないので)地図帳で調べたところ、13000~14000㎞ほど離れているようです(アバウトですみません)。武田鉄矢さんの歌ではありませんが「思えば遠くへきたもの」です。

この距離の差を埋めるべく、ブログでは皆さんに少しでもアフリカを身近に感じてほしいと思っています。

が、2ヵ月半前に送った船便の荷物は今どこで何をしているの?成田先生に約3ヶ月かかると聞いていたけど、まさか本当に3ヶ月? 

ちなみに、日本の友達が8月15日に横浜から送ってくれたエアメールは8月29日に着きました。

やはり、ベナンは遠い国?

9月13日(土)「嫌われものと好かれるもの」

最近どうでもいいことをよく考えるようになりました。やっぱり暇なんでしょうか?

昨夜はゴキブリが出て、ゴキブリについて考えたんですが… 皆さんはゴキブリ好きですか? あまり好きな人もいないでしょうが…

秘書のベロちゃんが足で蹴りながら退治するのを見て「子供のころから見慣れているから平気なんだ」と感心していましたが、考えてみれば私た ちも小さいころからよく見てきたのでは… カブトムシやクワガタと形はよく似ていて、どちらかといえばゴキブリのほうがより身近なのに、どうしてゴキブリ は嫌われるの?

ベロちゃんがゴキブリを殺しているかたわらでつい、くだらないことを考えてしまいました。

9月14日(日)「バクミナさんをよろしく!」

皆さんは「漢字」好きですか? どのように勉強しましたか?

日本の小学校では約1000の漢字を勉強するようですが、私たち日本人教師にとっても漢字は悩みの種です。

土曜、日曜の夜のクラス(OPクラスといいます)は比較的新しいクラスですが、漢字に興味がありそうな生徒が多そうなので、せっかくなら もっと興味を持ってもらおうと思い、漢字の歴史や成り立ちなどを簡単に紹介しようと2日かけて教案を考えました。90分授業の60分を普通の授業に使い、 30分を漢字だけに費やしました。漢字の歴史について話しているうちはよかったのですが、成り立ちについて話し始めたころから少しざわつきだし、板書する 背中に生徒の冷たい視線を感じるようになりました。一通り話し終え、生徒の様子を見るとオシュマレさんが一言「先生、わかりません」

「来週、また勉強します」と言い残しクラスを終えましたが、どう修正しようかなあ…

今日はABDクラスのバクミナさんが留学のため日本へ旅立つ日。鬼頭先生と私もクラスの後空港へ見送りに行きました。空港には同じクラスの 仲間や家族、友達など多くの人が見送りに来ていました。彼女の留学期間は約半年ですが、きっといろいろなことを吸収してベナンへ戻ってくれると確信してい ます。

日本の皆さん、バクミナさんをよろしくお願いします!

9月15日(月)「野口英世とベナン人」

皆さん、また新しい1週間の始まりですね。私の月曜日は反省から始まりました。

きのうの授業の反省をしつつ、今日の夜クラスの教案を作ったら、時間が少し余ったので教室にあった野口英世の本を読んでみました。

彼は約80年前、ベナンの2つ隣のガーナで黄熱病の研究をしていて、その黄熱病にかかり一生を終えました。

80年前にアフリカに来たなんて、すごいと思いませんか?

その伝記によれば、彼の努力もありましたが、いろいろな人に多額のお金を工面してもらい夢を実現していったとのことでした。私たちの学校の 生徒もお金で苦労している人が多いので、日本へ行きたくてもいけない人がほとんどです。お金の工面は大変ですが、それでもチャンスがあればバクミナさんの ように日本で勉強してほしい… そんなことを思いました。

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