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NPO法人IFE

日本語教師の窓

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お便り 51 - 6月後半 - 山下先生編 最終回

山下先生 編

6月16日(火)「やっぱりうっかり八兵衛」

今朝は明日のトーゴ旅行のビザの手続きのためにトーゴ大使館へ。行く前に秘書代理のボサさんからパスポートを出すように言われ、彼に渡しました。いざ出発!道路のあちこちに水たまり。車が水たまりの中で止まらないか心配でしたが何とかクリア。10分ほどでトーゴ大使館へ。守衛らしくない守衛が扉を開け、中に通されました。小さいですがこぎれいな建物。最初の部屋は少し広めでソファーとテーブルが置かれていました。壁にはトーゴ大統領とベナン大統領の写真とトーゴの地図。ベナンの地図はもう見慣れましたが、トーゴだけの地図を見るのはこれが始めて。「へえ、こんな形してるんだ。変な形」と勝手なことを思いながら、ボサさんが書類を書いているのを見ていました。先程渡した私のパスポートを見ながら書いていますが、私の顔写真がどう見ても若い。よーく見てみると、パスポートに小さい穴がたくさん開いています。「あ〜あ、やっちゃった」実はベナンに来る直前にパスポートを更新したんですが、ただ何となく「無くしたりしたときに何かの役に立つかなあ」と思い、古いパスポートも持ってきていたのでした。そんなことすら忘れて最初に目に付いたパスポートを確認もせずボサさんに渡してしまったんですね。慌ててイレネさんとジャパンハウスに引き返し、何とか無事に手続きを済ませることができましたが…最近ほんとうに「うっかり」が多いんです。

6月17日(水)「トーゴへ」

今朝は5時半に目が覚めました。目覚めとともに雨の音。鬼頭先生も起きていて、お互いに「雨ですねえ」と話しました。6時にジャパンハウスを出発すると聞いていたんですが、ベロちゃんはのんびり朝食の準備。どうやら秘書のダベデさんが7時に留守番のために来るのでそれから出発するらしい。朝食を食べ終わり、7時になってもダベデさんがくる気配はありません。「雨もけっこう降ってきたから来ないんじゃないの」と思っていたところにダベデさんがやって来ました。約10分おくれでしたが、雨の中頑張って来ました。すぐに車に乗り込み出発!メンバーはジャパンハウスの日本人3人と秘書のベロちゃん、ドライバーのイレネさんの5人です。車を走らせてすぐ雨は止みました。

9時半ごろ国境地帯に到着。ベナン側では書類を書いたり、トーゴ側では質問を受けたりしましたが、スムーズに国境を抜けることができました。トーゴに入ってすぐは幹線道路にもかかわらず悪路が続きました。ベナンからトーゴに入った時の私の印象は「山口県から関門海峡を越え福岡県にはいったような感じ」でした。私たちが目指す首都ロメに近づくにつれベナンでは見られないような大規模な工場やシェル石油のコンビナートが続き、ベナンより工業が発展している印象を受けました。

ロメの水辺(寺嶋さん写)10時半ごろロメの中心地へ。人や車やオートバイが少なく、私たちが住むコトヌーより静か。ただ、コトヌーより大きなビルがいくつか建ち、首都の品格が感じられました。町を走るタクシーは古い車が全くなく、コトヌーとは対照的。コトヌーのタクシーはポンコツばかりで、きれいな車は見たことがありません。しばらく走りカフェテリアでパンとカフェオレの本日2回目の朝食。ここでもコーヒーはインスタント、ミルクではなく練乳でした。甘い物好きの寺嶋さんと私は大丈夫でしたが、鬼頭先生には辛かったようです。私たちはここで少しゆっくりしたかったんですが、ベナン人の2人にせかされカフェテリアを後にしました。この2人、いつもはのんびりしているくせに、時々「せっかち」のスイッチが入るらしい。

車に乗るとベロちゃんたち、どこか目的の場所があるらしく、道行く人に聞きながらそこへ向かっている様子。ベナン人もそうですが、トーゴ人も道を聞くととても親切に教えてくれます。ベロちゃんにどこに行くのか聞くと「トーゴのココ(おかゆ)を食べます」と言います。今パンを食べたばかりなのに?どうやら何としても食べさせたいらしい。そうして着いた先はレストラン。車を降りてベロちゃんが店の人と話し始めました。どういう話をしたのかわかりませんが、ダメだったらしく車に戻りました。もう1件別のレストランへ行きましたが、ここでも同じ。ベロちゃん、あきらめて車で市内観光となりました。でもベロちゃんが食べさせたかったココって、いったいどんなものだったんだろう?ちょっと残念でした。

車窓から見るロメの街は明らかにコトヌーとは違った印象でした。人や車やオートバイが少ないだけじゃなく、何かが違う。「何だろう?」と考えていたら1つの答えが見つかりました。それは「坂」です。コトヌーの街は坂が(私たちの行動範囲の中では)全くありません。それに比べてロメはなだらかな坂がいくつかあり、変化が感じられました。人生の大部分の時間を坂の多い街横浜で過ごしてきた私にとって、「坂」は生活の一部でした。かつて私の実家は丘の中腹にあり、小さい頃から幾度となく坂をのぼりおりしてきました。小学校も小高い丘の上、中学校も実家からさらに上にのぼったところにありました。坂から見る横浜の中心地は建物ばかりですが、それでも季節や天候によって印象がずいぶん変わります。こうして子供の頃から坂に接してきた私はしばしふるさとに思いを巡らせたのでした。

そうしてぼんやり車窓を眺めていると、とある小さいマーケットで車は止まりました。店に売っていたものは…動物の頭の骨でした。そう、動物の骨だけ売っているマーケット。ベロちゃんとイレネさん、車を降りてここを見ましょう、というけれど、動物の骨に興味のない私たちは断固拒否し、その場を後にしました。

車は線路際のでこぼこ道に入り、車は大きく揺れました。古い線路は使われている形跡が全くなく、どうやら新しい線路に取り替えているようです。手作業で。何年後に汽車が走るようになるんだろう。その鉄道脇の道路を右に曲がると、目の前に水辺が見えてきました。駐車場に車を止め、車から降りあらためてその水辺の前に立ったとき、久々に見る美しい光景に日本人一同感嘆の声。「あ〜、きれいだなあ…」駐車場から水辺のよく整備された遊歩道に降り、しばし佇みました。この水辺、小さい湖のものなのか、大きい池のものなのか、はたまた川のものなのかわかりませんが、周囲の緑とのコントラストが美しく、歩道もゴミが落ちていません。こんなところがジャパンハウスの近くにあれば毎日散歩するのに…ジャパンハウスのすぐ近くに水辺がありますが、ゴミだらけ&公衆トイレと化しています。残念!

昼食は水辺のホテルに併設されたきれいなレストランで。脇にはきれいなプールがあり、どうやらここはヨボ(白人)のちょっとしたリゾート地のようです。そんなレストランですから値段は高く、スパゲッティー1皿3,000〜4,000CFA(約600〜700円)です。それ以外のものはさらに高かったので、みんなスパゲッティーを注文しました(この後、寺嶋さんのスパゲッティーだけないと言うので肉料理に替えました)。ここでも食事の前にカフェオレを飲みましたが、ポットに入れられたコーヒーはぬるく、さらに練乳ではなくミルクでしたが冷たいものだったのでとてもぬるいカフェオレになってしまいました。かなり長い時間待たされてようやく料理が登場。麺がかなり太く少々野暮ったい感じでしたが、味はまずまずでした。ここで結果的にかなりのんびりしたので、食事が終わる頃には昼も遅い時間になっていました。名残惜しかったですが水辺を後にしました。

帰り道で警察の検問に引っかかりました。悪いことにトーゴ入国時の車の書類に不備があったようで、イレネさんが警官に質問を受けていました。20分ほどで何とか開放してもらいホッとしました。

その後向かった先はマーケット。コトヌーにある「ダントッパマーケット」ほど大きくはありませんが、かなり大きなマーケットでした。私たちは最初見学できると喜んでいましたが、結果的にはベロちゃんの買い物の付き合いになってしまいました。とりわけ最後に寄った店でポヌさんのズボンを買い求めようとしていましたが、次第にいろいろな物売りが押しかけてきて収拾がつかなくなる有様。長い時間かけて何も買いませんでした。かなりくたくたになり、ようやく車に戻ることができました。

もう時刻は夕方にさしかかっていたので帰途につくことになりました。車は順調に進み国境地帯へ。その後グランポポという街のビーチにあるオーベルジュで海を見ながら一休みしました。ここで私のカメラがないことに気付き、イレネさんと車を探しましたがありませんでした。なくしたとすれば国境地帯ですが、どこでどうなくしたのかも記憶になく、みんなに心配をかけてしまいました。みんなが国境まで戻ろう、と言ってくれて戻って国境の係の人にも聞きましたがわかりませんでした。ブルーな気持ちで車に戻りましたが、このとき車の左後ろのタイヤ周辺から水のようなものが漏れていることに気付きました。これが後の悲劇の幕開けになろうとはこのとき誰一人思ってもいませんでした。しばらく走るとタイヤが何かにこすれるような音がします。イレネさんに「大丈夫?」と聞くと、「いいです」と言うので信用していた私たちがバカでした。みんな変なにおいがしていることに気付いていましたが、鬼頭先生が「変なにおいがする」と言って助手席の寺嶋さんが後ろを振り向いたとたん「あっ!」という声をあげました。後部座席の私たちも後ろを振り返ると…何とこの車、もうもうと煙をあげて走っているではありませんか。鬼頭先生は「早く車を止めて!」と言いましたが、イレネさんはすぐには車を止めませんでした。修理できそうなところを探していたようです。

止まったところは料金所の手前の路肩があり物売りが何人かいるところでした。私たちは慌てて降りて車の様子を見ましたが、ベロちゃんだけは心配している私たちをよそに買い物を始めました。ベナンの女性は肝が据わっている人が多いんですが、ベロちゃんもその1人です。その後、ベロちゃんが買い物したせいかどうかわかりませんが、イレネさんが車を修理している時に物売りの女性たちが車止めの石を持ってきたり、水を持ってきたり、暗くなっていたので懐中電灯を持ってきたりしてくれました。イレネさんは黙々と車の修理です。私たちが見守る中タイヤやその周りの部品を外したりはめたりしていましたが、修理が終わった時になぜか残った部品がありました。心配になった私たちは「イレネさん、(残った部品を指して)これいいですか」と聞くと、自信たっぷり「いいです」と言うので再び車に乗り込み無事料金所を通過、しばらくは何もなかったかのように順調に走っていました。イレネさんも大丈夫と思ったのか、車のスピードを上げたとき変な音がして車が左に少し傾きました。その直後大きな音を立て始めたので、「これはただ事ではない」と誰もが気付きました。それでも走り続けるので私が「早く止めて!」と言ったようですが(私は覚えてませんでしたが、後から寺嶋さんに聞きました)ブレーキが利かないのかなかなか止まりません。ようやく止まったところは家も街灯もない真っ暗闇のただ中でした。みんな慌てて飛び降りました。イレネさんはなぜか車が来た方向に走っていきます。よーく車を見ると、さっき修理したタイヤがなくなっていました。イレネさん、タイヤを探しに行ったんだ!

真っ暗闇の中取り残された私たち。時々通る車のヘッドライトが周囲を照らすだけです。私たちもあちこち出かけると必ず道に止まっている車を目にしますが、まさか自分が当事者になるとは思ってもいませんでした。ベロちゃんが近くに住む友達に電話してくれたようですがダメでした。半ば野宿を覚悟した時、ホタルの光を見つけました。日本人3人「ホタル、ホタル」と喜んでいると、ベロちゃんがヒッチハイクをし始めました。何もないところですから車は猛スピードで飛ばしていきます。「こんなところで止まってくれる車があるのかなあ」と思うか思わないかのうちに1台の車がかなり行き過ぎて止まりました。ベロちゃんが車まで走っていって交渉、すぐにその車は私たちのところまでバックしてきました。ベロちゃんに車に乗るよういわれ、荷物を乗せ替えあいさつもそこそこにみんなでその車に乗り込みました。

私たちの救世主はとても優しそうなおじさんでした。話を聞くとそのおじさんはかつて船に乗っていたようで、「東京や横浜や横須賀を知っている(実際に日本に来たことがあるのか、知識として知っているのかはわからず)」ということでした。イレネさんは近くの町で降り、明日車を直してから戻ってくることに。イレネさんと別れた後もそのおじさんは私たちが乗り込んだせいか、かなり慎重に運転してくれて、その上ベロちゃんに携帯電話を貸してくれました。どこまでこのおじさん親切なんだろう、というか、借りる方も遠慮はしません。それが「ベナン流」なんですね。生徒たちを見てもそう思います。鉛筆やペンのない生徒には誰かが貸すのが当たり前、消しゴムなどはテストの時でも教室の中を飛び交っています。ベナンでは遠慮することの方が失礼になるのかも知れませんね。

そのおじさんの車に乗って2時間ほどでコトヌーに入りました。私たちはどこで降りるんだろう、と思ったらジャパンハウスまで送ってくれました。しかも車が壊れるかもしれないのに、ジャパンハウスの近くの道路にできたかなり深い水たまりにまで入ってくれて…その結果、少し車の調子が悪くなったようです。ジャパンハウスに着いて、そのおじさんに心からお礼を言いました。そして、帰りにもう一度通らなければならない水たまりを通り抜けるまで見送りました。留守番のダベデさんも遅い時間まで残ってくれていました。

この旅ではいろいろなことがあり、小学生の作文のようなブログになってしまいましたが、いちばん印象に残ったことはこのおじさんに助けてもらったことです。私も困っている人を見たら助けなければいけないなあ、とつくづく思いました。おじさん、本当にありがとうございました!

6月18日(木)「大掃除」

今日は久々に大掃除。授業終了後床に散乱していた書類を整理して、ゴザを外に出し、机や床を水拭きして終了。時間にして1時間ちょっと。こんなに簡単に大掃除できるんだから、時々しなければ…と思うんだけどなかなかできない「ずぼらな私」って以前のブログにも似たようなことを書いた気が…

6月19日(金)「また失敗」

今日の晩ごはんはスパゲッティー。今日はベロちゃんの休みの日ですから私が自分で作りました。ベロちゃんとポヌさんにも食べてもらおうと思い麺を多めにゆでましたが、ゆであがった後ざるに移そうとした時にかなりの量の麺を流しに落としてしまいました。ちょっとその麺を拾うことはためらわれ、結局ゴミ箱に。ベロちゃんとポヌさんには味見程度しかあげられませんでした。本当に最近「うっかり」や「失敗」が多いので、ちょっと気を引き締めなければなりませんね。

6月20日(土)「修了証書授与式」

修了証書授与式で、子供達と鬼頭先生今日は19時から修了証書授与式でした。

私たちの学校には「ビギナー(入門)コース」「ジュニア(初級)コース」「シニア(中級)コース」「アドバンス(上級)コース」があり、それぞれのコースでテストの点と出席率が基準を満たした生徒には修了証書を渡しています。

夕方には、先日ちょっとしたことでお知り合いになることができた川嶋さんご一家(ご夫婦とお子さん3人)と、一緒に仕事をされているベナン人のジェームスさん、そして川嶋さんのお友達ご夫婦がジャパンハウスを訪れてくれて、久々にジャパンハウスが日本人でいっぱいになりました。いろいろなお話をお聞かせいただいた上、いろいろ差し入れをいただきました。

51_5_2.jpg一方、式のほうは相変わらず時間どおりには始まらず、約20分遅れでスタート。川嶋さんたちにも見学していただきました。式の前にトスさんが通訳して川嶋さんたちを紹介、そして日本、ベナン両国の国歌斉唱のあと授与式に移りました。修了証書をもらう生徒たちはみんなうれしそうです。忙しくて来られない生徒もいましたが、多くの生徒が授与式に出席しました。生徒たちの次は子供クラスの子供たちですが、今年は出席率が悪かったので鉛筆や消しゴムやシールを袋に入れてプレゼントしました。無事授与式が終わり、川嶋さんたちともお別れ。その前に日本とベナンの子供同士で簡単にあいさつ。日本人の子供と接することのない近所の子供たち、柄にもなく照れていました。その後は時間も遅くなるので残れる生徒だけでダンスパーティー。ベナン人は踊りが上手ですから、私のような日本人のおじさんは下手で浮いてしまうんですが、みんな上手にエスコートしてくれました。明日は鬼頭先生の帰国日なので、あまり遅くならずにダンスも終了しました。

修了証書をもらえた皆さん、おめでとうございます!

もらえなかった皆さん、チャンスがある人は新しい1年がんばってね!

6月21日(日)「鬼頭先生、1年間ありがとうございました」

今日は私が1年間お世話になった鬼頭先生の帰国日です。昼食は先生がリクエストしたアチェケ。最後の昼食なので私たち日本人3人と、ポヌさん、ベロちゃん、イレネさんの6人で食卓を囲みました。ジャパンハウスのダイニングで6人揃って昼食というのは初めてだったので何か変な感じでした。食後はみんなで少し踊って、その後鬼頭先生は荷物の整理のため部屋に戻りました。
鬼頭先生の帰国直前、空港で生徒たちと

夕方頃から先生を見送る生徒たちが来はじめました。先生はあいかわらず荷造りで忙しそうです。私も何だか落ち着かず、教室と部屋を行ったり来たり。20時ごろ荷物の整理が終わったようでアチェケとピザの夕食。急いで夕食を食べた後は教室へ行き、生徒を前に鬼頭先生が最後のあいさつ。飛行機の時間が迫っているので、あいさつの後は車に飛び乗り空港に向かいました。多くの生徒たちも空港へ先生を見送りに来ました。みんなで写真を撮って、1人1人の生徒とあいさつ。私も「1年間お世話になりました」とあいさつ。飛行機の時間が来て、空港の中で先生と別れました。先生の姿が見えなくなって空港の外に出ましたが、まだ先生が帰国してしまったという実感がありませんでした。ジャパンハウスに戻ってからも何か変な感じでした。でも本当に帰ってしまったんですねえ。

あらためて「鬼頭先生、1年間ありがとうございました」

6月22日(月)「静かなジャパンハウス」

鬼頭先生が帰国してしまい静かなジャパンハウスですが、まだ実感がなくテラスから「ベロちゃん、ただいま〜」と先生の元気な声が聞こえてくるようなそんな気がしてなりません。

今朝は9時にMクラスのアフォマセさんがやってきました。彼からは先日電話があって「月曜日の朝9時にテストを受けたい」と言われていたのをすっかり忘れていました。アフォマセさん、ごめんなさい。

テストが終わり、採点もし終えると、今日1日何となくボーっとしていました。「私も日本に帰っていたかもしれないんだなあ」と思いながら。

6月23日(火)「久々に読書」

今は長期休暇中で時間もあるので久々に読書することにしました。普段読めないような少し難しい本がいいなあ、と思い選んだのは私が日本から持ってきた『日本の歴史19開国と攘夷』(小西四郎著中公文庫)という本。まだそれほど読み進んでいませんが、日本政府が昔から危機管理能力に疎かったこと(この本に書かれているのは江戸時代末期なので当時は徳川幕府です)、そんな中でも優れた識見を持った人物がいたことなどがわかりました。これからしばらくはこの本で楽しむことができそうです。

6月24日(水)「ロジトさん、いつもありがとう」

授業があるわけでもないのに、夕方Mクラスのロジトさんが私にフランス語を教えるためにわざわざジャパンハウスに来てくれました。18時15分からレッスンスタート。ですが相変わらず全てフランス語で教えてくれるので何を話しているのかちんぷんかんぷん。それでも同じことを3回くらい聞くと何となくわかったような気がします。何度も同じことを繰り返すのでなかなか先に進みませんが、ロジト先生も根気強く教えてくれるので私も頑張らないと…

ロジトさん、いつもありがとうございます。

6月25日(木)「初心」

今日は私がベナンに来てちょうど1年の節目の日です。

また私事で恐縮ですが今日は奇しくも私の弟の誕生日でもあります。

いつも迷惑をかけている弟に「誕生日おめでとう。いつもありがとう。」

みなさんのおかげで1年間無事にベナンで生活することができました。

ちょうど2年前に約十年間勤めた会社を辞め、日本語教師になるためにある学校の日本語教師養成講座を受講することにしました。そのときまではアフリカはもちろん、海外で働こうなんて思ってもいませんでしたが、その学校に通い始めて2,3ヶ月経ったころでしょうか。学校の壁に1枚のポスターが貼られていました。それは青年海外協力隊の募集ポスターで、アフリカの貧しい(かどうかわかりませんが、少なくともそのときにはそのように思えました)子供たちの写真が使われていました。そのポスターを毎日見ているうちに「アフリカって本当に貧しいんだろうか、みんなどうやって生活しているんだろう?」と思うようになり、しまいには「あのポスターの子供たちはきっと私を呼んでいるんだ」と勝手に思い込むようになっていました。そのころから養成講座の友達にはよく「アフリカに行きたい!」と話していたのを思い出します。途上国の日本語教育や学校教育にも関心があったので、その年の12月に養成講座を修了してからは毎日インターネットでアフリカを始めそれ以外の地域の途上国で日本語教師の募集がないか探していました。残念ながらアフリカ地域はケニアやエジプトなど日本語教育が行なわれている国が少なくて、その結果日本語教師の需要が少なく、さらに高等教育機関での採用が主なのでそれなりの資格がないと採用されないということがわかりました。「アフリカで日本語教師になるのはむりかなあ」と思い、アフリカ以外の途上国の仕事を主に探しながらも、アフリカもあきらめきれずに探していた時、ゾマホンさんのホームページに行き着きました。そこには「たけし日本語学校」のことや、日本語教師の募集要項が書かれていて、私が見たときには幸いまだ募集期間内でした。「日本語教師の経験がある人が望ましい」というようなことが書いてあったように記憶していますが、それ以外の条件は何とかクリアしていたので「もうここしかない!」と胸が高鳴ったのを覚えています。

今日はその頃のことを思い出し、もう一度初心に返って1年のスタートにしようと思いました。

6月26日(金)「暗いジャパンハウス」

昨夜は激しい雷雨に加え、ベナンに来て初めての「歯痛」でほとんど眠れませんでした。歯痛の元はどうやら「親知らず」ですが、よく見えません。昨夜は子供の時以来、正露丸を奥歯で噛みながら寝ました。意外と効くんですね。歯の痛みはほぼなくなりましたが、正露丸臭さが口の中いっぱいに広がり、そのせいでよく眠れなかったのかもしれません。

そんな中、朝6時半ごろ大きい雷の音とともに停電になりました。そして外は激しい雨。こんな雨じゃ買い物にも行けないので10時過ぎまでベッドに横になりながら、先日から読み始めた『日本の歴史』を読んでいました。今日の買い物は協議の結果、夕方雨が止んだら行くことになりました。寺嶋さんと2人で4人分のインスタントラーメンを作り、みんなで食べました。食事中に電気がつくようになりましたが、かなり薄暗い。食後も部屋の蛍光灯は薄暗くついたり消えたりで、落ち着かないので結局消しました。外は依然として大雨で、夕方のように薄暗い中、例の『日本の歴史』を読み進めました。薄暗い中、聞こえるのは雨音だけ。ベロちゃんとポヌさんの話し声もありません。暗くて不気味なジャパンハウス。昼食もトーゴで買ったポテトチップスで済ませました。読書以外にする気もおきず、夕方までただひたすら読書。そして、かなり暗くなり活字を追うのも限界かと思われるぐらい暗くなった18時少し前、ようやく停電が復旧。いつものように電気のありがたさが身に沁みました。

6月27日(土)「来年1月ベナンに日本大使館ができます!」

今日の昼すぎにベナンにODA(政府開発援助)で病院を作っているという日本人男性3人とその通訳のベナン人男性がジャパンハウスを訪れてくれました。うちお二人が間もなく日本に帰国されるということで、短い時間しかお話できませんでしたが、いろいろなお土産をいただきました。

さらにその後、在コートジボアール日本大使館の西内さんからお電話があり、ジャパンハウスにお立ち寄りいただけるということで、昨日できなかった買い物もそこそこに、ジャパンハウスでお待ちしていました。今回は秘書の森さんとお二人でお見えになりました。やはりお忙しいとのことで、あまり長い時間お話できませんでしたが、お土産をいただき、来年1月にベナンにできる日本大使館のお話など伺うことができました。

現在ベナンに日本の大使館はありません。日本に行くベナン人はビザを発行してもらうのに3つ隣のコートジボアールまで行かなければならず、時間と手間とお金がとてもかかります。が、来年1月に念願の「在ベナン日本大使館」ができます。これでコートジボアールまで行かなくて済みます。今年の9月に日本に行くファドヌボさんはコートジボアールまで行かなければならず、残念ですが…

6月28日(日)「歯医者」

今日も早朝軽い歯痛があり目が覚めました。朝食の頃には治まりましたが、「あと1年も放っておくこともできないけど、ベナンで歯医者にはいきたくないしなあ」などと考えながら、「それでもいざとなったら行かなければならないなあ」と思い、過去の先生のブログを読み返してみました。確か野村先生がベナンで歯を治療したことがあると聞いていましたし、以前ブログで見たような気がしたので。幸いインターネット回線の状態も良く、何とか見ることができました。野村先生、成田先生が書かれたブログを見てみると…ありました!歯医者についてのブログ。そうか、私たちが行きつけの「ホテルココティエ(本当は病院です)」にあるんだ。写真を見ると日本の歯医者と変わらないようで、とても上手に治してくれたようです。野村先生の時は詰め物が取れたようですが、私の場合は虫歯。状況が違うのでやっぱり心配。できれば行きたくないなあ。日本にいる時でさえ歯医者は嫌でした。みなさんもそうでしょう?幸か不幸か、昼間は歯痛がありません。とりあえず今日は行きませんでした。

6月29日(月)「の〜んびり」

今日も早朝少し歯が痛く、その上肌寒くて目が覚めました。ここ最近天気が悪い日が続き、明け方は涼しいを通り越してずいぶん冷え込んできました。1年間ベナンの暑さに慣れて寒さに弱くなってしまったのかもしれませんね。今日も朝食の頃歯痛が治まったので歯医者には行きませんでしたよ。

夕方ジャパンハウスの屋上に上がりあたりを眺めていると…

ジャパンハウスの前では男の子たちがサッカーしています。大きめの石2つがゴールです。いつもはサンダルを履いている子供たち。サッカーのときは裸足になります。1つのボールを追いかけるのにみんな夢中です。人が通ろうがゼミジャン(バイクタクシー)が通ろうがお構いなし。いま学校は長い休み。子供たちは思いっきり遊びます。「あっ!」子供が蹴ったボールが向かいの家に飛び込みました。子供たちが騒ぎ出し、たぶんボールの持ち主の子でしょうか、泣きながら蹴った子に取りに行くよう訴えています。ボールを蹴った子もその家の前まで行きますが、門の中に入ることができません。その気持ち、わかるなあ。そうしていると、門の中からボールを持った住人が出てきて子供たちを叱っているようです。後から来た別の住人が仲裁役でしょうか、あいだに立って話をしています。そのうちいきなり子供たちが笑い出しました。叱っていた住人もいつの間にか笑顔に。そして子供たちは道いっぱい横一列に並び「よーい、ドン!」かけっこを始めました。いちばん先に帰ってきた子供には賞としてボールが渡され一件落着。子供たちは三三五五それぞれの家に帰っていきました。

一方、小さい女の子たちは男の子がサッカーしているのを横目に頭に重たい水を乗せて運んでいます。ボールをぶつけられた女の子がぶつけた男の子に文句を言っているようです。ベナンの女の子、逞しいなあ。彼女たちが大きくなるとベナンの「肝っ玉かあちゃん」になるんだろうなあ。そんな肝っ玉かあちゃんたちは向かいのテビ屋の前で井戸端会議をしているようです。サッカーボールが一人のかあちゃんに当たり、ボールは一時没収。ところが子供たちの願いが叶い、ボールはすぐに返されました。

西の空に日が沈み、薄紅の雲が藍色に変わるころ、ジャパンハウスの前に立ち止まる人はなく、先程までの喧騒がうそのように静寂に変わりました…と思うや否や、近所のカフェテリアから大音量の音楽が流れてきました。夜の帳(とばり)が降りると心地よかった風も肌寒く感じられ、「さあて、部屋に戻ろう!」

6月30日(火)「ありがとう」

テビ屋で働くルイージ。彼女が手にしているのは豆を砕いたもので、これがアタの素です。夕方ジャパンハウスの前で佇んでいると、向かいのテビ屋からルイージが手招き。ルイージは働き者の女の子。小学校低学年ぐらいでしょうか。私が手を振るといつも笑顔で応えてくれます。彼女は恐らくテビ屋の娘、学校が終わると近所の子供達と遊ぶことなくすぐ店の手伝いをしますが、いま学校が休みなので朝から晩まで働いています。その彼女に誘われてテビ屋へ行き、彼女とあいさつした後、テビ屋のママ(私はママと呼んでいますが、たぶんルイージのおばあちゃんだと思います)とも日本語で「こんにちは!」しばらく店の様子見ていると、テビを1つくれました。

テビ屋にて。この芋がウェリになります。サツマイモのように甘くておいしい。「エビビ(おいしい)」というと喜んでくれて、さらにショーケースの中のアタを2つルイージに取らせ、それも私にくれました。何度も「ありがとう!」というと、今度は皿にたくさんのウェリ(私のブログで初登場ですが、揚げるとサツマイモのように甘くなる芋)を乗せ、それもわたしにくれました。これはありがたくいただいた方がいいんだろうなあ、と思い、また何度も「ありがとう」をいうと、ママは笑顔でうなずきました。ちょうど長屋の子供と寺嶋さんがジャパンハウスの前で遊んでいたので一緒に食べようと思い「どうぞ!」というと、子供たちは「先生、食べます、食べます」といって食べようとしません。結局寺嶋さんと2人で食べました。タキン(唐辛子をすりつぶしたもの)と一緒に食べるとさらにおいしい。皿を洗って返す時、もう一度「ありがとう」と言いました。ママも私の言葉を繰り返し「ありがとう…」

私の1年を一言で表すなら、この「ありがとう」という言葉に尽きるでしょう。日本から送り出してくれた家族や友達、IFEのスタッフのみなさん、先輩の先生方、「たけし日本語学校」を応援してくださる多くの日本の方々、そしてベナンでお世話になった鬼頭先生、今お世話になっている寺嶋さん、ベロちゃんはじめ現地スタッフのみなさん、生徒のみなさん、ポヌさんはじめ留学生のみなさん、ベナンのお母さん(フィロミンさん)、ベナンの友達・隣近所のみなさん、そのほかベナンのたくさんのみなさん、「ジャパンハウス」を訪れてくれたJICAはじめベナンのために働いている日本人のみなさん・また日本からのツーリストのみなさん、そして私をベナンに連れてきてくれたゾマホンさん…

テビ屋のママと。1年間ありがとうございました!本当にみなさんの支えがあってベナンに来ることができ、日本ではできないようないろいろな経験をさせていただき、1年間無事に過ごすことができました。そしてみなさんから目に見えるものだけでなく、見えないものをたくさんいただきました。「感謝、感謝」みなさんに「ありがとう!」です。

アフリカの情報といえば戦争や飢餓、病気などが多いですね。確かにそれもアフリカの一面でしょう。でも「全て」ではありません。私が1年間お伝えしてきた「平和で穏やかなベナン」もアフリカの一面です。「アフリカ=戦争飢餓病気」ではないということを私のブログを通して少しでもわかっていただければ幸いです。

1年間私の拙い文章にお付き合いくださりありがとうございました。私のブログは今日で終わり。明日からは新任の若い(であろう)藤波先生にバトンタッチします。これからも「日本語教師の窓」そして「たけし日本語学校」をよろしくお願いします。

それでは今から空港に藤波先生を迎えに行ってきます!どんな先生なのか楽しみだなあ♪

ベナン共和国 たけし日本語学校日本語教師 山下 仁

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