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NPO法人IFE

日本語教師の窓

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お便り 41 - 1月後半

山下先生 編

1月16日(金)「年賀状」

今日は買い物の日。鬼頭先生は体調が悪く留守番。私とフィルメンさんとで出かけました。いつもどおり郵便局(私書箱)へ行くと友達から年賀状が届いていました。消印は12月30日。意外と早く着いたんだなあ。日本からは50円のはがきに20円の切手が貼ってあるので70円。ベナンから日本へはがきを出すと700CFA(約140円)。やっぱりベナンは高いなあ。

いまだに年を越したという気分ではありませんが、こうしたことの積み重ねで少しずつ新年を迎えたんだと認識しつつあります。

1月17日(土)「ジャンエードさん」

ジャンエードさん日本に留学していて一時帰国中のジャンエードさんが教室で日本での生活などを生徒たちに話してくれました。15人ほど集まった生徒の中にはまだ日本語の勉強を始めたばかりの人もいるので話は全てフランス語でした。私たちは話の内容が全くわかりませんでしたが、熱心に話を聞く生徒が多く、この中から将来ジャンエードさんのように日本で勉強できる生徒が出てきてくれればいいなあと思いました。

来週の水曜日に日本へ戻るという慌しいときに時間を割いてくれたジャンエードさん、本当にありがとうございました。生徒たちにとって、とてもよい機会だったと思います。

1月18日(日)「アルマタンの恐怖」

先週からどうも私たちの体調がよくありません。アルマタン(大乾季)で雨が全く降らず空気が乾燥しているようです。

曇りがちの日が増えた上に、強い風が吹くことが多く12月に比べ涼しくなりましたが、内陸からの風には埃が多いのか鬼頭先生も私ものどから体調を崩し、風邪に近い症状が出ました。私は日本から持ってきた風邪薬を飲み続け、前任の成田先生から送っていただいたのど飴をなめ、いくぶん良くなりましたがまだ体がだるく本調子ではありません。今日は朝9時のSクラスから20時30分に終了するOPクラスまでとっても長い1日。私たちはOPクラスが終わったときぐったりしていました。早く体調を整えないと…

1月19日(月)「続アルマタンの恐怖」

今朝はのどの調子もよく、体も少し楽になりました。今日も1日頑張らないと…

きのうアルマタンについて少し書きました。私の日記の記録が確かなら、前回雨が降ったのは12月6日の明け方。それ以来雨が降っていないんだ、と感心しながらブログを書いています。毎日日本の天気もチェックしていますが、日本は何と雨(や雪)が多いんでしょうか。きのうは空気の乾燥について書きましたが、アルマタンの恐怖はそれだけではありません。

12月の暑さに比べ1月は朝晩を中心にずいぶん涼しく感じられるようになりました。問題は体が涼しいと感じているのに汗が出ることで、涼しいので「長袖のシャツを着たほうがいい」と思っていても汗が出るので「やっぱり半袖のほうがいいのかなあ」と体調管理がとても難しくなっています。私たちの体はおかしくなってしまったんでしょうか。

1月20日(火)「ジェフリの恐怖」

朝晩を中心に涼しくなったせいか、最近ゴキブリをめっきり見なくなりました。これは私たちにとってとても嬉しいこと。シャワーもトイレもゆっくりできるようになりました。

が、教室で授業を終えるころ、私たちの手はジェフリに刺された痕でボコボコになってしまいます。授業中の必需品は「靴下」ベナンに来た当初は裸足にサンダル履きで授業していましたがジェフリの攻撃を受け、一番の防御は「靴下」という結論に達しました。今私たちは靴下にサンダル履きという恥ずかしい格好で授業していますが、靴下のおかげで足のかゆみはほとんどありません。

一方、手の方は手袋をして授業するわけにもいかず、虫除けスプレーも切らしてしまったのでジェフリの格好の攻撃の的になっています。あまりひどいときは暑くても長袖を着て授業します。生徒たちもジェフリに刺されるようですが、私たち「ヨボ(白人。本当の白人じゃありませんが)」の皮膚は柔らかいようで生徒たちとは比べ物にならないくらい刺されます。手の甲だけは対処しようが無いんだよなあ。

今私にとって一番のストレスはこの「ジェフリ」部屋で見つけるとうんざりします。夜寝ているときにあまりのかゆさで目を覚ますこともしばしば。

1月21日(水)「またお葬式のこと」

1月24日はA〜Iクラスのボサさんのお母さんのお葬式。ボサさんのお母さんは去年の年末に65歳で亡くなったとのことでした。彼は会話クラスの生徒でもあるんですが、今年に入りクラスで彼の姿を見ることが少なくなりとても残念です。

また、今日の午後ゾマホンさんから電話があり、ボサさんのお母さんのお葬式と同じ日にゾマホンさんがとてもお世話になった友人のお葬式があるので参列してほしいとのことでした。この日私は昼からクラスがあるので、ジャパンハウスから近いボサさんのお母さんのお葬式には私が、ここから遠いゾマホンさんの友人のお葬式には鬼頭先生が参列することになりました。

今年に入ってからもお葬式の話題が多いのはとても残念なことです。

1月22日(木)「散歩」

ジャパンハウスの前もゴミがいっぱい今日は朝から風が涼しく、明るい曇り空だったので近所を散歩しよう、と思い立ち即実行に。この周辺は道のあちこちにゴミが捨ててありあまりいい散歩コースではありませんが、あまりゴミを見ないように見ないように気をつけて散歩を続けました。頑張ってゴミを見ないようにしていたんですが、あまりのゴミの多さと空気の悪さでわずか10分弱でジャパンハウスに戻ってきました。生徒の話ではアルマタンのこの時期、海からの風ではなく内陸からの風で埃が多いとのこと。それに加えて排気ガスやあちこちでゴミを燃やす煙などで目もショボショボ。気分転換に散歩に行ったものの、気分が悪くなって帰ってきました。アルマタンのつらさ、身をもって感じています。

1月23日(金)「フンボさん」

今日は週1回の買い物の日。奥さんの体調が悪いということで最近クラスに顔を見せないLクラスのフンボさんが心配で彼に会いに行くことに。小さい商店を経営しているのでその店に行ってみましたが不在。ドライバーのフィルメンさんが彼に電話して店に来てくれることに。待つこと数分、バイクに乗って元気そうなフンボさん登場。「フンボさん、久しぶりです!」その後彼のうちに案内してもらいました。彼のアパートは小さいながらもよく整理されていて、鬼頭先生、秘書のベロちゃん、フィルメンさん、私の4人で押しかけましたが十分収まりました。奥さんもあいさつに顔を出してくれましたが元気そうで私たちも安心しました。その後、小さい赤ちゃん登場。誰の赤ちゃんか聞くとフンボさんの赤ちゃんとのこと。「フンボさん、聞いてないよ!」去年の12月17日に生まれたそうです。嬉しそうに話すフンボさん。「フンボさん、おめでとう!」

フンボさん、奥さん、そして赤ちゃんの元気な姿を見て私たちは安心しました。

1月24日(土)「ボサさんのお母さんのお葬式」

ボサさんの町ダンボ今日はA〜Iクラスのボサさんのお母さんとゾマホンさんの友人のお葬式。ボサさんのお母さんのお葬式は私、秘書のベロちゃん、ダベデさん、生徒代表のトスさんの4人、ゾマホンさんの友人のお葬式は鬼頭先生とドライバーのフィルメンさん、なぜかJKクラスのオバクさんの3人が行くことに。鬼頭先生は遠いので朝5時にジャパンハウスを出発しました。私のほうは朝8時過ぎに出発。鬼頭先生、すみません。

ボサさんの町は首都ポルトノボに近いダンボという町。車の中ではトスさんがしゃべりまくり。一応私は日本語教師ですから彼の話にずっと付き合いました。幸い道がすいていたので9時半ごろ現地に着きました。ボサさんのうちへあいさつに。お母さんのご遺体に対面し、目を真っ赤にしたボサさんのお父さんにあいさつ。ベナンに来て何回かお葬式に参列しましたが、身内の方にあいさつするのはいつでも辛いものです。その後、一度朝食を食べに近所のレストラン(というより簡易食堂)へ。食事をして近所の教会へ行きました。教会のセレモニーは約1時間遅れで始まり、その間もトスさんは私にいろいろ説明してくれました。その後埋葬には立ち会わずボサさんの帰りを待ってから帰ることに。しばらくしてボサさんが帰ってきました。私は15時からRクラスがあるのであいさつしてすぐジャパンハウスに帰るつもりでした。が、トスさんが「先生、15分だけ」というのでジュースだけいただいてジャパンハウスに帰ることに。が、ジュースを飲んでいる間に食事が運ばれボサさんのお父さんもあいさつに来て帰るに帰れない状況に。結局食事をいただきボサさんに再度あいさつし、彼の家を出たのは14時半。物理的に15時ジャパンハウス着は不可能に。

ジャパンハウスに着いたのは15時40分。Rクラスの生徒は1人もいませんでした。Rクラスの皆さん、ごめんなさい。

1月25日(日)「ゾマホンさんの友人のお葬式」

きのうゾマホンさんの友人のお葬式に参列した鬼頭先生とオバクさんはとても大変でした。ゾマホンさんの友人のお葬式はゾマホンさんの故郷ダサから少し北東にあるサベという町でありました。コトヌーからかなり離れたところにあります。このアルマタンの時期、ベナンの内陸部は朝晩だいぶ冷え込むようで早朝に出発した鬼頭先生もかなり寒い思いをしたようです。さらにゾマホンさんの友人はムスリム(イスラム教徒)で、お祈りの時間が長かった上、帰ろうとしたときに何とジャパンハウスの車が故障。鬼頭先生が憂いていたことが現実のことになってしまいました。帰りはオバクさんと2人、お葬式用に仕立てたバスに乗せてもらいコトヌーまで帰ってきました。ジャパンハウスに2人が戻ったのは22時過ぎのこと。とにかくお2人とも無事でよかった。

今日のRクラスできのうの「お詫び」をしました。本当にRクラスの皆さん、すみませんでした…

1月26日(月)「フランス語の勉強」

今日は18時からMクラスのロジト先生のフランス語講座。毎週月曜日に1時間教えてもらっています。今日もフランス語の発音を中心に勉強しました。私の個人的な感想ですが、ベナン人の話す日本語はあまり癖がなく聞きやすいです。これはフランス語、現地語ともに英語のような強弱アクセントを持たないことと、母音、子音の数が日本人より多いことではないかと思います(あくまで個人的な感想です)。それに引き換え日本人丸出しの私。英語の発音同様フランス語の発音も悪く何度も先生に指摘されますが???それでもフランス語の勉強、少しおもしろくなってきました。できれば現地語(ここコトヌーはフォン語です)ももう少し勉強したいなあ。

1月27日(火)「アフォマセさんのお姉さん」

今日のJKクラスの後、生徒のオバクさんが「アフォマセさんのお姉さんが亡くなりました」と教えてくれました。アフォマセさんはMクラスの生徒で、麻酔科医です。彼のお姉さんがオートバイにひかれて危篤だということは聞いていました。先週はいくらか良くなっていると聞いていたのにまさか亡くなったとは…彼のお姉さんとは面識がありませんが、亡くなったことを聞きとても残念に思います。

今年に入って「お葬式」や「亡くなった」という話題が多いですが、これもベナンの現実です。

1月28日(水)「キャッチボール」

今日は15時半から子供クラス。今日の担当は私です。時間になっても誰も来ないのでジャパンハウスの外で待っていると小学生のオヘルが来ました。彼に「1人だけ?」と聞くと近所の家を探してくれましたが、いたのは隣の長屋のベラ、オベ、ピノ。みんな日本語を勉強するにはまだ早い年頃。辛うじてベラは興味を示してくれますが…案の定、黒板に絵を描いたり教室を走り回ったり…時間を過ぎてもまだ遊び足りなさそうなので野球の小さいボールを使ってみんなでジャパンハウスの前の道でサッカーをしました。小さい子供たちはすぐに飽きてしまいましたがオヘルはずっと遊んでいます。私も走るのは疲れたのでちょうどいい機会、日本から持ってきたグローブを持ち出してキャッチボールを教えました。ベナンの子供たちはサッカーだけなのでボールを取ったり投げたりするのは難しそう。グラブ捌きを教えてもなかなか上手にできません。後からJKクラスのニャンビさんもやってみましたがすぐに断念。オヘルがうまくキャッチボールができるようになるまでしばらく時間がかかりそうですが、もしかしたら彼がベナンで一番初めにキャッチボールをした小学生かも…

1月29日(木)「再び散歩について」

ここ数日、朝食後に散歩しています。近所のゴミはなくなることがありませんが、少しずつ見慣れてきたようです。人間の感覚は恐ろしい。ゴミには少し慣れましたがもう一つの問題は「ジェフリ」これだけは慣れることがありません。昨夜もかゆくてよく眠れませんでした。ジェフリがいなければどれだけベナンの生活が快適なことか。

1月30日(金)「野球」

今日の昼、近所の子供たち4人とキャッチボールをしました。かなりの時間キャッチボールをして少し単調になってきたので少し野球をしてみようと思いました。「野球」といってもプラスチックバットとゴムボールですが…ボールを投げてバットで打つことは理解してもらえたようですが、今日はそこまで。走ったり守ったりはまだ難しそうだなあ。

1月31日(土)「もう1月も終わりですねえ」

早いもので今月も今日で終わり。日本の皆さんはこの1ヶ月いかがでしたか。私にとってこの1ヶ月はいろいろなことがありました。去年までは授業中に生徒や子供たちに接することで精一杯でした。ようやく今年になって「ヨボ(白人)」というマイノリティの存在であることに慣れ、散歩したりジャパンハウスの前で子供たちと長い時間遊んだりすることができるようになりました。来月もいろいろな人と接していきたいと思います。

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