Published on
お便り 78 - 8月前半
藤波先生 編
2010年8月1日(月)独立記念日&Japan Day
毎年、8月1日はベナンの独立記念日です。この日は毎年、パレードが行われます。
しかし今年は去年までとは力の入り方が違います。なぜなら今年は記念すべき独立50周年の年だからです。1960年に、ダホメー共和国としてフランスから独立して以来、今年でちょうど50年たったわけです。というわけで、今年のパレードの開催地は首都ポルトノボ。コトヌーから東に車で1時間程の場所にある、静かな街です。
ゾマホンさん、衆議院議員の糸川様、IFEの会員でベナンを訪れてくださっている田村様、江見様、松井様と一緒に私と市川先生もパレードの見学に行きました。・・・しかし、パレードは10時頃から始まる予定なのに、なかなか始まらず、炎天下の中、パレードに参加するために路上で待機し続けている中高生たちは暑さで倒れ、ペットボトルの水を奪い合あう始末。最終的には道路脇の日陰に避難してしまいました。これを見たら誰でもこう思うでしょう。「50周年なんだから、ちゃんとしようよ・・・」と。
そんなパレードが終わってから、たけし日本学校に戻った私達には、大きな仕事が待ち構えていました。それは Japan Day です。今年はこの独立記念日に Japan Day が行われました。
パレードが遅れた影響で、Japan Day も約1時間遅れの5時過ぎからスタート。暗くなってしまうとステージが見えなくなるので、急がなければなりません。会場は学校の外の道路に大きいテントを作り、その中にステージを設置します。100人以上は座れるくらいのスペースです。
Japan Day は生徒達が日本の文化をステージ上で紹介する形で進行していきます。生徒達は約1か月前から、仕事や大学の授業の合間を縫って練習を重ねてきました。
まずは、生徒代表のトスさんとバクミナさんによる、たけし日本語学校とIFEについての紹介、ゾマホンさん、糸川様の挨拶、ゾマホンさんから生徒代表への修了証書の授与式、と次第は進みます。そして、いよいよ生徒の出番です。今年生徒が披露したのは、ゆかたのファッションショー、歌、よさこいソーラン節、茶道、劇です。その中でも最もよく練習していたグループはソーラン節のグループとお茶のグループでした。
よさこいソーラン節は、今年初めての試みでした。JICAの隊員の方からDVDをお借りして、私が振りを覚え、生徒にそれを教えました。練習期間が1ヶ月しかないうえに、週に1,2回しか練習することができません。しかしながら、生徒のやる気と吸収力はすごかった。短い期間でメキメキ上達しました。そして本番、子供2名、大人15名、上下黒で揃えた衣装と赤い鉢巻で、生徒は見事に踊り切りました。会場のお客さんからは拍手喝采。生徒の満足そうな顔が印象的でした。うまくいくかどうか不安でしたが、やっぱりやってよかったです。
茶道のグループもがんばりました。市川先生が、ベナンに来る前に茶道の勉強をしてきて下さったので、今年の茶道はより本物に近いものになりました。釜はもちろん調理用の鍋ですが・・・。このグループで一番練習したのは、主人(お茶をたてる人)のメリックさん。グループでの練習日以外にも一人で学校に来て練習をしていました。客(お茶を飲む人)の生徒も正坐の痛みと格闘しながら練習を続けてきました。本番は、薄暗くなった会場で急きょ導入されたライトに照らされ、市川先生が選んだ絶妙の音楽と相まって、非常に幻想的な雰囲気の中で茶道のデモンストレーションが行われました。
後半は若干駈け足になりましたが、それでも参加した生徒は満足そうな顔をしていましたし、来ていていただいた日本人の方々(大使館の皆様、IFE会員の皆様、糸川様、旅行者の方など、本当にたくさんの方にお越しいただきました)にも、おほめの言葉をいただきました。
もちろん、反省点もいろいろと出てきましたが、それは、またスタッフでミーティングをして次回に生かせるようにしたいと思います。
とにかく、今年の Japan Day も無事に終わりました。よかったよかった。
写真は、ゆかたのファッションショーと、茶道です。
藤波
2010年8月2日(月)大使公邸での食事会&お見送り
今日は、ベナンに1週間ほど滞在して下さった日本人の皆さんがお帰りになる日でした。夜11時コトヌー発のエールフランスで日本へと出発されるお客様の見送りのために、9時半ごろに空港へ行きました。
その数時間前、私達は、大使公邸で夕食をいただいてきました。
コトヌー市内にある大使のお宅にゾマホンさんと一緒に伺い、そこで久々に焼き鮭やおひたしや、味噌汁や日本米をいただきました。本当に涙が出るほどおいしかったです。
大使館員の皆さんも集まってくださり、楽しくお話をしながらおいしいご飯をいただきました。
その後、空港へ直行し、お客様のお見送りをしました。短い滞在でしたが、ゾマホンさんと一緒にベナンのいろいろな所を見ていただき、それについての感想や指摘などもたくさんいただきました。本当にありがとうございました。
藤波
2010年8月4日(水)文化紹介
今日は大使館員の岩田さんが、わざわざたけし日本語学校まで日本関係の資料や本を持って来てくださいました。外務省が製作している日本紹介の雑誌のフランス語版や、写真集など、いろいろなものをいただきました。たけし日本語学校の図書館で活用させていただきたいと思います。
それから、岩田さんからひとつ有難いお話をいただきました。大使館が日本の文化紹介を手伝ってくださるというのです。やはり、長年海外の任地で働いて来られただけあって、日本文化の紹介と言う点において、いろいろな経験をつまれているそうです。
これは、生徒が日本文化について知ることができるということもさることがながら、日本語教師以外の日本人と話す機会が増えるという点でも、非常に貴重な機会になると思います。たけし日本語学校の生徒は普段は基本的に私と市川先生の日本語しか聞くことができませんが、もちろん、言語を学ぶ上では、いろいろな人の日本語を聞いた方がいいのは言うまでもありません。それに、日本語の勉強を始めたばかりの生徒に対しては、フランス語での文化紹介等もしていただけるとのことでしたので、それもまたありがたい話です。
こういう機会を活かして、生徒が日本語に触れる機会を増やしていきたいと思っています。
藤波
2010年8月7日(土)3週間ぶりの授業で
土曜日は朝の8時から授業が始まります。
土曜朝のクラスは「初級1土曜クラス」という名前です。日本語を勉強し始めて半年ちょっとのクラスです。半年以上日本語を勉強しているとはいえ、週に1回、3時間の授業なので、まだまだ動詞の勉強もしていません。今日は、「銀行は9時から4時までです」という文型を勉強しました。
しかし、このクラスは私達教師のダサズメ行きや、Japan Day の影響で、まる3週間授業をしていませんでした。もちろんその辺は考慮して、復習を多めにしたりするのですが、それでもやはり、時間の言い方などをすっかり忘れてしまっていました。ご存知の通り、日本語は「分」を言う時に「ぷん」になったり「っぷん」になったりするので、その辺りが生徒にとっては若干難しいというか覚えるのが大変な所なわけです。それから、日本語では「16時」は「午後4時」と言いますが、フランス語では常に「16時」は「16時」なので、そこも混乱を招く原因になります。案の定、生徒のほとんどは、時間の言い方をすっかり忘れてしまっていました。まあ、無理もないのですが・・・。今日は予定していた内容の半分ほどしか進めなかったので、今後の授業で遅れた分を取り返していかなければなりません。
藤波
2010年8月9日(月)原爆の日に考えること
私はベナンに来てから、日本の歴史についてよく勉強するようになりました。不思議なことに、国の外に出てみて、逆に自分の国についてもっと知りたいという気持ちがわいて来たのです。もちろん、生徒に日本の歴史についてできるだけ正確な所を伝えたいという思いもあります。最近は8月ということで、たけし日本語学校にある、明治から昭和までの歴史をもう一度読み直してみたりしました。
ベナンにいると、明治の始めと戦後の日本の経済的な発展のすごさがよくわかります。また、フランスはベナンを植民地化しましたが、日本も100年前に韓国や台湾や中国を植民地化した過去を持っている、という事実も余計に重いものとして感じられます。
ヨーロッパがアフリカを植民地にした時のやり方と、日本がアジアを植民地にした時のやり方は違う、という意見を聞くことがあります。日本は植民地にした国にきちんとした教育や産業を残したが、ヨーロッパはただ搾取した(している)だけだ、と。それが本当なのかは分かりませんが、どちらにしても、アジアを植民地にした日本は、その行為を自ら正当化するべきではないんだろうなと思います。現地の人々の自由を奪ったことは事実なわけですから、それを正当化するのは少なくとも日本人の仕事ではないような気がします。
それはまた、原爆を落としたアメリカにも言えることだと思います。どんな理由があったとしても、原爆で何十万人もの方が亡くなったのは事実なので、それをアメリカ人が自ら正当化すべきではないし、例えそう思っていたとしても口に出してはいけないのではないかなと思います。
広島と長崎の原爆の日、亡くなった方々のためにたけし日本語学校の生徒の皆さんは1分間の黙とうをしてくれました。そういう光景を見ると、余計にこの日の意味を考えさせられます。
藤波
2010年8月11日(水)大統領の自宅
今日私は、何と大統領の自宅に行ってきました。
そして、リビングに兜を飾って来ました。
この兜は、毎年ベナンからの留学生を受け入れてくださっている共立女子大学の理事長からの、ベナンの大統領への贈り物です。その兜を大統領の自宅に飾りに行ったのです。
ゾマホンさんに連れられてコトヌ市内にある大統領の自宅まで行きました。私は生まれてこのかた兜など飾ったことがありませんでしたから、もし非常に複雑な飾り方だったら、何もわからず恥をさらしてしまうかも・・・と若干びくびくしていました。ジャパンハウスから15分ほど車で走ると、もう大統領の自宅です。迷彩服を着て、銃を持った守衛が家の前にいます。
兜が入った箱を建物の中に運びいれ、いよいよ組み立てスタートです。
私の不安とは裏腹に、兜の組み立てはそんなに難しくありませんでした。写真も英語の説明書もちゃんとついていました。さすが日本。なんとか写真の通りに飾ることができ、ひと安心。もちろん表面上は、「これくらい当たり前」という顔で、それらしい動きで飾り付けをしてきました。平日の昼間だったので、もちろん大統領はうちにはいませんでしたが、大統領のご兄弟や秘書の方と一緒に写真を撮って帰って来ました。
大統領の自宅は、たしかに一般庶民の家に比べると大きくてきれいでしたが、それでも大統領にしては小さいなと感じました。大統領の自宅のリビングなんてなかなか行けるものではないので、とても貴重な体験でした。
藤波
2010年8月12日(木)リュクさん日本へ
昨夜の11時頃の飛行機で、たけし日本学校の生徒のリュクさんが日本へと旅立ちました。リュクさんは、以前こちらで日本語の先生をされていた方と結婚し、今日、ついに日本へ向けて出発したのです。
出発直前のリュクさんは、ソワソワしていました。初めて飛行機に乗るので、かなり緊張していたようです。その心境はリュクさんの「先生、頭がグチャグチャです」という一言によく表れていました。
ベナンから日本まで、今回のチケットは一番乗り継ぎが少ないコースです。しかも乗り継ぎ地はパリですから、フランス語も通じます。しかし、それでもベナンから日本へ一人で飛行機に乗っていくというのは大冒険に違いありません。ゲートをくぐったリュクさんは、こちらを振り返ることもなく、足早に去っていきました。本当に「いっぱいいっぱい」だったようです。
またひとり、生徒が日本へと旅立ちました。リュクさんが無事に日本に着くことと、リュクさんの日本での生活が楽しいものになることを祈りたいと思います。
写真は、出発直前に空港の前で撮ったものです。中央の帽子をかぶっているのがリュクさんです。
藤波