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NPO法人IFE

日本語教師の窓

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お便り 65 - 1月後半

藤波先生 編

2010年1月17日(日)希望は生命保険

書初めAクラス「希望は生命保険」「持続します。愛」「幸福多量」「向上倍増」

新年を迎え、たけし日本語学校では毎年恒例の書き初めが各クラスで行われています。とは言っても全てのクラスの生徒が書き初めをするわけではありません。漢字をある程度勉強している生徒だけです。

生徒達は自分達で書く内容を考え、日本語がわからない時は辞書で調べながら書くわけですが、その内容がなかなかおもしろいのです。人気のある言葉は、「健康」「幸福」「成功」「愛」などで、ほとんどの生徒はそれを書くのですが、みんな欲張りなのか、1枚の紙に3つも4つも言葉を書きます。例えば「健康・結婚・幸福・お金持ち」というような具合です。

さらに、独創的な言葉も数多く飛び出します。例えば、トスさんは「良く成るか亡くなる」。これは、「今年自分自身が向上しなければ死ぬ=死ぬ気でがんばる」という意味らしいです。他にも「持続します。愛」、「幸福多量」「向上倍増」などが飛びぬけて個性的でおもしろかったです。日本語としては正しくありませんが、ちゃんと意味は伝わりますよね。そして私と山下先生が一番いいと思ったのは、セポンさんの「希望は生命保険」です。これも日本語ではあまり使わない表現ですが、意味は伝わります。「希望が一番大切。希望があれば大丈夫。」というような意味でしょう。果たして、日本語を母語としている日本人はこういう個性的な言葉達を作り出すことができるのでしょうか。少なくとも私には無理です。自分の考えていることをそのままダイレクトに表わそうとすると、こういう独創的な言葉が出てくるのだと思います。

生徒の皆さんが書いた書き初めは1ヶ月ほど教室に掲示し、その後、特に上手な、あるいは言葉が独創的な人のものを1年間掲示します。この中かから何枚かを選ばなくてはならないというのは、極めて難しい作業になることでしょう。

写真はAクラスの生徒のみなさんです。

藤波

2010年1月19日(火)最高!!

今日はとってもいいことがありました。ココさんとセポンさんのビザがおりたのです。

2人は今日、無事に日本大使館でビザを受け取りました。今日は私も一緒に大使館に行くことができました。

2人がビザを取れたということだけで十分めでたいのですが、なんと、在ベナン日本大使館のビザ発行第1号というおまけまでつきました。セポンさんが第1号、ココさんが第2号です。第1号だから特別に賞品がもらえたり、ビザが1年延長できたりするわけではもちろんないのですが、やっぱりうれしいです。何といっても一番ですから。すごいです。最高です。

これで2人は晴れて日本に行くことができます。それにしても、本当によかった~。

藤波

2010年1月20日(水)ベナン人は・・・

私はこのブログ上で、「ベナン人は、」「コトヌーの人々は、」という書き出しでいくつも日記を書いてきました。しかし当然のことながら、ベナン人と一言で言ってもいろいろな人がいるわけで、とてもひとくくりにまとめることはできません。もちろんいくらかの傾向のようなものはあると思いますが。

ベナン人としてというよりも、ひとりの人間としてその人を見ることができないと、大きな間違いを犯すことになります。例えば、私が約7ヶ月ベナンで暮らして来て感じることは、ベナン人は時間にルーズです。そして約束を守りません。こういうと非常にイメージが悪いのですが、言いかえれば、「時間」と「約束」に対する意識、あるいは言葉の意味そのものが違うのだ、とも言えます。しかしながら、その概念に囚われて個々の人間を見ることができなくなるのは非常に危険です。時間に正確で、約束をきちんと守るベナン人も私の周りにはたくさんいるからです。

ベナン人の中にも日本人や欧米人に対するイメージはあります。アフリカ人に比べて力が弱いとか、体が弱いとか、いろいろと感じることはあります。そして多くの人が持っているイメージは、日本人はお金持ちだ、ということです。これを面と向かって言われると、こちらとしてはなぜか結構傷付きます。「私達とは違う」と言われているような気がしてしまうからかもしれません。確かに私達はパソコンやiPodを持っています。多くのベナン人には買うことができないものです。しかしながら、少なくともジャパンハウスで暮らしている日本人は、自分達がお金持ちだとは思っていません。お金に余裕のある生活もしていません。でも、ベナン人にとってはそれでもお金持ちなのです。「お金持ち」の持つ意味がベナンと日本では違うのです。そういうギャップは、しばしばストレスにもなります。しかし逆に、ベナン人は「時間にルーズだ」と思われることを心外だと感じているかも知れません。ベナンと日本ではおそらく「時間」や「約束」の持つ意味が違うからです。

そういうギャップの存在を理解することが、ひとつの異文化理解なのかなと最近考えます。でも、実際は2時間も待たされるとイライラしてしまうんですけどね(笑)そういうイライラは、理屈じゃありません。時間は守るものだという日本の文化がしみついているので、頭と体が勝手に反応してしまうのです。そこでどう折り合いをつけるか、そこがなかなか難しいところです。

藤波

2010年1月21日(木)社交辞令

今日の日記は昨日の続きのようなものです。なぜ、昨日異文化理解などという難しいことを書いたかというと、最近日本の文化に違和感を持つことが何回かあるからです。これはちょっとした事件です。私は日本人なのに、日本の昔からの文化に違和感を持ってしまうというのは由々しき事態です。日本に帰れなくなってしまいます。

さて、その問題の日本文化というのは、「社交辞令」です。どうやら日本をはなれて7ヶ月しかたっていないのに、社交辞令の感覚を忘れてしまったらしく、日本人の社交辞令を真に受けてしまうことが多々あります。もちろん社交辞令なので、その約束(?)が実現されることはなく、後でがっかりしてしまうわけです。日本以外の国にも社交辞令はあると思います。しかし、日本の社交辞令はちょっとすごいのだということを今さらながら気づかされています。逆に言うと、外国人にとって日本人の社交辞令は特殊なものうつるのだということが言えると思います。外国人に対して社交辞令を言う時は気をつけなければなりません。

それにしても、日本に帰ってからのことが心配です。

藤波

2010年1月22日(金)海辺の高級レストラン

海辺のレストランレストランに入ってメニューを見て、あまりの高さに冷汗が出てくるという体験を、今日はじめてしました。

ジャパンハウスで一緒に暮らしているIFEスタッフの寺嶋さんが、今月の27日、日本へ帰ります。寺嶋さんは大学を休学してベナンで約一年間、現地調査やベナンと日本にビジネスのつながりを作るために働いてきました。たけし日本語学校の生徒とジャパンハウスのメンバーからは、「嶋さん」の愛称で親しまれています。その嶋さんがあと5日で帰ってしまうということで、今日は海辺の高級レストランへ行きました。メンバーは、ジャパンハウスの秘書兼お料理係のベロちゃんと、ドライバーのイレネーさんと、山下先生と私、そして嶋さんです。ベロちゃんは気合いを入れて、浴衣と下駄で参加しました。

場所はコトヌーのはずれにある、海辺のレストラン。席は全席屋外にありました。照明は柔らかいオレンジ色。海風が心地よく、波の音もはっきりと聞こえます。すぐそばは砂浜です。ヤシの木が風に揺れ、バンドの生演奏までついています。そのバンドが演奏するのは、静かなバラード調の曲ばかり。日常とかけ離れた空間を束の間楽しんでいると、メニューが運ばれてきました。その金額を見て私はいきなり現実に引き戻されました。そして冷汗。今日の支払いは私と山下先生もちということにしてあったので、二人で5人分を払わなければなりません。山下先生は一度来たことがあるらしく、冷静な表情。ひそかにうろたえる私。情けない・・・。

しかし入ってしまったものは仕方ないので、腹を決めて注文をしました。

一度腹を決めてしまうと、またバンドの生演奏が耳に届くようになりました。静かな曲は、やっぱり泣けました。Beatlesなど演奏された日にはなにかこみあげてくるものがありました。そして料理も、やっぱり泣けました。うまい。ベナンのご飯がおいしくないと言っているわけではありません。ベナンに来る前に食べていた料理の味は、やはり自分の中の何かを刺激してきます。静かな音楽もしかり。そんなこんなで、びっくりするほどの値段でしたが、こんないい気分にさせてもらえたならいいかという結論に達し、満足して帰りました。

もちろん帰りの車は、イレネーさんがいつも通りのにぎやかな音楽で盛り上げてくれました(笑)。

写真は嶋さんと浴衣姿のベロちゃんです。

藤波

2010年1月23日(土)ベテクク村

今日は、ココさん、セポンさんと一緒にベテクク村に行ってきました。ベテクク村はコトヌーから車で4時間ほどの距離にある村で、この村にはいのうえ小学校があります。そしてこの村にはゾマホンさんが所有しているIFEの農園があります。今回は、その農園を見学し、ベナンの農業の問題点を確認するのが目的です。ココさんとセポンさんは2月から1年間、北海道で農業研修を受けることになっているので、その前にベナンの農業の現状をもう一度確認しようというわけです。
コトヌーから車で3時間程の距離にあるダサズメまでは、穴だらけではありますが一応舗装された道路があります。しかし、ダサズメからベテクク村までは赤土のでこぼこ道を行かなければなりません。イレネーさんの運転する車でダサズメから約1時間、ようやく農園に到着しました。

IFE農園農園は現在開墾の真最中。広大な土地ですが、まだ畑としては使用できない部分が多くあります。現状では日本にあるような整備された農園ではありません。広がる荒れ地の中にぽつぽつとヤムイモやキャッサバの畑がありました。他の部分は木や草を焼き払い、これから農地として整備していく段階です。それらの作業を数名が住み込みで行っているのです。トラクターなどの機械もなく、水の供給源も井戸がひとつあるだけです。近くに大きな川が流れているので、そこから水を引くことができれば一番いいのでしょうが、現時点ではそのめどはたっていないそうです。この場所を農地として開拓していくのかと思うと、気が遠くなりました。しかし、何か始めなければ何も始まりません。セポンさんとココさんが日本で農業を学び、その知識をこの農園の発展に役立ててほしいと思います。そしていつの日か、ベテククブランドの野菜や肉、乳製品がベナン国内に、できれば他の国にも輸出されるようになればいいなと思います。

藤波

2010年1月24日(日)嶋さんさよならパーティ

寺嶋さんさよならパーティ昨夜は、ベテクク村から帰ってきてすぐに、もうすぐ日本に帰国する寺嶋さんのさよならパーティ兼誕生日パーティがありました。会場はたけし日本語学校の教室です。たくさんの生徒が集まり、みんなでごはんを食べたり、写真を撮ったり、踊ったりしました。
寺嶋さんは私と山下先生のように日本語の授業をすることはありませんが、生徒の皆さんとはとても仲良しで、みんな彼を慕っています。そんな寺嶋さんのさよならパーティですから、盛り上がらないわけがありません。手作りの料理やケーキ、プレゼントも寺嶋さんのために用意されていました。

パーティは夜中の12時頃まで続き、みんなで寺嶋さんとの最後のパーティを楽しみました。

藤波

2010年1月27日(水)嶋さん帰国

寺嶋さん帰国今日の早朝の飛行機で、IFEスタッフの寺嶋さんが日本へ帰国しました。空港にはたくさんの生徒が見送りに来てくれました。

寺嶋さんは大学を休学してベナンで約1年間、IFEスタッフとして働いてきました。おもな仕事はベナン北部の現地調査や、ベナンと日本のビジネスの土台を作ることでした。言葉もうまく通じない中で、難しい仕事も多くあったと思います。それでも彼は1年間、自分の仕事を全うしました。

寺嶋さんとは、私が去年の7月にベナンに到着してから約8ヶ月間、ジャパンハウスで生活を共にしてきました。ジャパンハウスにいるのはベロちゃんを除けば男ばかりなので、なんとも気楽というか居心地のいい空間でした。みんな部屋のドアは常時開けっ放しでプライバシーと呼べるようなものはあまりありませんでしたが、そんなことを気にするメンバーではありません。ベロちゃんや秘書のダベデさんやドライバーのイレネーさんとも時々けんかしながら仲良くやってきました。そんな生活の中から、寺嶋さんがいなくなってしまうのは、何ともさびしいものです。私達は、たけし日本語学校を訪れて下さった日本人の方を見送るために頻繁に空港へ行くのですが、今日の見送りはまたなんとも言えない寂しさがありました。もう日本人の男3人でバカ話ができないのかと思うと非常に残念ですが、これからは山下先生と2人で、寺嶋さんの分もカバーするべくくだらない話をしたいと思います。

しかし、おそらく今日から1,2週間は、なんとなくさびしい気分で生活することになりそうです。

藤波

2010年1月31日(日)ココさんとセポンさん、日本へ。

今日、ココさんとセポンさんが日本へと旅立ちました。2人は東京と北海道で約1年間、農業研修をする予定です。正直なところ、私も山下先生もまさかこんなに早く2人の日本行きが実現するとは思っていませんでした。しかし、信じられないスピードで話が進み、めでたく在ベナン日本大使館ビザ発行の第一号というおまけまでついて、今日の出発となりました。なんだか夢のようです。これも、日本のIFEスタッフの皆さんや、2人を受け入れることを承諾して下さった、日本のJICEや花畑牧場の皆さんの努力や協力があって実現したことです。本当にありがとうございました。

ココさん・セポンさん出発ココさんとセポンさんは、たけし日本語学校が自信をもって送り出せる生徒です。でも、私と山下先生は2人のことが心配でなりません。まず、ベナンは今、1年で一番暑い大乾季の時期ですが、日本は真冬です。しかも2人が生活するのは北海道なのです。この気候の違いに適応することが2人にとっていかに大変なことかは容易に想像がつきます。それからもちろん日本語でも苦労することになるでしょう。2人はたけし日本語学校で一番上のレベルのクラスに在籍していましたが、それでも日本人の話す日本語を完全に理解することは当然できません。しかも、これからはいろいろな専門用語も覚えていかなければならないのです。そんなこんなで、私と山下先生は喜び半分、心配半分というような複雑な心境なのです。

でも、何はともあれ2人は日本へと向けて旅立ちました。それも大きな希望と目標を持って。そういえば、セポンさんの今年の書き初めは「希望は生命保険」でした。あの2人なら、お互いに助け合いながらきっと1年間を有意義に過ごせるはずです。1年後、日本語がペラペラになって帰ってきた2人に会うことを楽しみにしながら、私は明日からまた日本語を教える生活に戻りたいと思います。

写真は出発直前に撮ったものです。私と山下先生の間にいるのが、ココさんとセポンさんです。

藤波

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