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たけし日本語学校の開校を決意した原点
僕は学生時代、剣道をやっていました。(いまも続けていますが・・・)
毎朝、毎晩稽古に明け暮れていました。ただ、毎週火曜日の夕方だけは相撲の稽古だったのです。
相撲???
と思われた方もいると思いますが、僕の恩師は、筋力トレーニングに
相撲の稽古を取り入れていたのです。ベンチプレスを持ち上げるより、「テッポウ」や「四股」を踏んだほうが、よほどいいトレーニングになると。。。
実はその稽古がイヤでした。
そんなある日、大学の相撲場が工事をするということになって、相撲の稽古ができなくなったんです。
喜びをかみ締め、恩師に「相撲場が使用できなくなりましたので、相撲の稽古はできません。」と報告すると、「おい、スコップと鍬を持って来い。」と言われ、作業小屋から借りてくると、恩師は校庭の脇の草を刈り始め、土を掘り起こしはじめました。
そして、あっという間に、土俵を作ってしまいました。
それが添付した写真です。
その時、恩師から「やろうと思えば、工夫さえしたら、できるもんじゃ。あれがないから、これができないってのは、そもそも本気でやろうとしていない言い訳じゃ。」と。
たけし日本語学校も開校する予算も、何もありませんでした。
国に助成金を頼んでも断られました。大勢の人にも笑われました。バカにされて泣いたときもありました。
でもやりたかったんです。なぜならアフリカでは日本語教育は盛んではなかったけど、日本の事を学びたいというアフリカの人が大勢いるということを知っていたので。
恩師の言葉を胸に、とにかくあるものから始めよう。そう思って、たけし日本語学校をはじめました。
「あれがない、これがない、お金もない」とないことだらけですが、それでも7年間継続してきました。
「足るを知る」という心と、「やろうと思えば、どんな不恰好なものでもやってみる」という心を、僕は学生時代に恩師から学び、それがたけし日本語学校の開校を決断する原点になりました。