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NPO法人IFE

日本語教師の窓

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お便り 44 - 3月前半

山下先生 編

3月1日(日)「井上さん、お気をつけて」

今日は2月25日にベナンに来られてベナン国内を精力的に回られた井上さんが帰国する日。今日もベナン北部から19時半ごろジャパンハウスに戻ってこられ ました。今日の夜はOPクラスでしたが、19時50分に切り上げ。クラスの皆さんには申し訳ありませんでしたが、教室は井上さんの記者会見場に早変わり。 会見後少し休まれてから空港へ。私たちもお見送りに行きました。

井上さんは今回2度目のベナン滞在。今回の滞在はかなりハードスケジュールだったようですが、前回はもっとハードだったそうです。本当に頭が下がります。

22時半、手を振り最後のあいさつ。「井上さん、お気をつけて!」

3月2日(月)「山瀬さん、いらっしゃい」

昨夜、井上さんと空港でお別れした後ゾマホンさんの携帯に山瀬さんから電話が入りました。山瀬さんは日本のIFEのスタッフで大学院生。井上さんとちょうど入れ替わりでベナンに到着。今朝ジャパンハウスに来るということでしたが、少し遅れて10時半ごろジャパンハウスに。挨拶して少し話をして午後からLクラスがある鬼頭先生はジャパンハウスに残り、山瀬さん、寺嶋さん、私の3人とたまたま来ていたトスさん、フィルメンさんの5人で一緒に買い物に出かけました。

今回の買い物は寺嶋さんの生活用品と山瀬さんの両替だけでしたが、それだけでもベナンでは時間がかかります。約3時間後にジャパンハウスに帰ってきました。

帰ってきたときにはもうLクラスが終わる時間。山瀬さんと教室へ行き紹介しました。2年半前日本語を始めたばかりだったとき、山瀬さんは彼らと会っていて、アゴスさんは覚えていたようでした。

3月3日(火)「複雑な心境」

2月28日の日記でも書いた「契約更新」の件。2月は本当にどうしようか、迷っていました。もともと優柔不断なんですが。次期日本語教師の面接まで2週間となり、悩んでばかりもいられません。

日本に帰って早く家族や友達に会いたい、おいしい日本食が食べたい、寿司・すきやき・やきとり・焼肉・ラーメン・肉じゃが・崎陽軒のシウマイ弁当…考えただけでよだれが…どこか温泉にも行きたいなあ…なんて考えると日本に帰りたくなります。

でも、一度帰国したらもうここに来ることはないだろうなあ、と考えると帰りがたい気持ちが。

最後はベナンのみなさんの笑顔に後押しされ、あと1年ベナンに残ることに決めました。日本のスタッフのみなさん、本当に優柔不断ですみません。

3月4日(水)「テスト作り」

テスト期間が近づいてきました!

私の担当はJK、M、OP、Rの4クラスです。3月1日から作り始めましたが、停電でパソコンが使えなかったり、ゾマホンさんの用事を頼まれたりでなかなかはかどりません。今日も朝からテスト作り。幸いゾマホンさんは1日外出していました。「鬼の居ぬ間にさっさと洗濯」午前中は専らJKクラスのテスト、午後JKクラスのテストは漢字と聴解を残しほぼ終了、OPクラスのテスト作りに取りかかりました。夜のMクラスの後夕食を食べ、またテスト作り。0時半ごろOPクラスのテストも漢字と聴解を残しほぼ終了しました。

残すはMとRクラス。頑張って明日の夜までに全て作り終えよう。

3月5日(木)「赤ちゃんはヨボ?」

ベロちゃんの妹の赤ちゃん今日の昼前、ベロちゃんの妹が3日前に産まれたという赤ちゃんと一緒にジャパンハウスに来ました。産まれたばかりだけあってまだとても小さいですが、もうピアスをつけています。以前JKクラスで「産まれたばかりの赤ちゃんはヨボ(白人)です」と聞いていたんですが。

確かに体の色はまだそんなに黒くありません。どちらかというと「ヨボ」に近いような気が。「生徒たちの言うとおりだった」と思いながら、写真を撮らせてもらいました。本当にかわいい!

3月6日(金)「タイミング悪っ!」

毎週金曜日は買い物の日、そして鬼頭先生は近くのスタジアムで朝7時から10時まで太極拳の練習の日です。最近の買い物のルートは「ジャパンハウス→1.スタジアムへ鬼頭先生を迎えに行き→2.コピー屋→3.トルネード(スーパーです)→4.(写真屋)→5.郵便局(私書箱)→6.パン屋(最近はサンドイッチ屋)→ジャパンハウス」なんですが、今日は鬼頭先生の練習が早く終わり、2.と3.が最後になりました。これが後に悲劇を引き起こすことになろうとは…

今日の買い物は「ジャパンハウス→1.フィルメンさん1人が鬼頭先生を迎えに行き→2.ジャパンハウスで私、寺嶋さん、ベロちゃんをpick→3.郵便局→4.ガンヒという街のスーパー→5.サンドイッチ屋→6.ミセボという街で寺嶋さんのスリッパ探し→7.コピー屋→ジャパンハウス」というルートでした。

6.のミセボは店も人もたくさん。以前私の靴を買いに行ったときの印象があまりにも悪く、鬼頭先生も私もあまり好きな街じゃないんです。今回も時間だけ浪費して寺島さんのスリッパは買うことができず、疲れ果ててコピー屋へ。「どこのコピー屋でもいいから」とフィルメンさんに連れて行ってもらったコピー屋は1枚ずつしかコピーすることができず、結局遠回りしていつものコピー屋へ。

枚数が少ない私のコピーを先にして、鬼頭先生のコピーをしようとしたちょうどそのとき、頭上の扇風機が止まり、辺りは少し静かに。何と「停電」でした。鬼頭先生のテストは一番早く、あさっての日曜日です。日曜日は多くのコピー屋が休みなので、明日も停電でコピーできなかったら…

いつものルートで買い物していたら、とか、ミセボですぐ買い物できたら、とか、途中違うコピー屋に寄っていなかったら、とか、人生に「たら、れば」はありませんが、ついつい思ってしまいました。

坂本九さんの歌じゃありませんが「この世でいちばん肝心なのは素敵なタイミング♪」私が好きな歌です。今日のタイミングの悪さはベナンならでは。

幸い今日の夕方電気が復旧して無事コピーをすることができました。

3月7日(土)「別世界」

今日の夜クラス(OPクラス)が終わった後、私たちはゾマホンさんから夕食に誘われました。行き先はレストラン「ママベニン」ジャパンハウスから車で7,8分のところです。今日は山瀬さんとその友達の柳谷さん、そしてゾマホンさんがお世話になっているという銀行の女性の方とその親戚の方と一緒に行きました。私が注文したのは「モツの煮込み」と「肉入り炊き込みごはん」と「フライドポテト」だいたいいつもこのパターンです。ちなみに鬼頭先生は「サラダ」と「魚のフライ」だいたいいつもこのパターンです。

おなかいっぱいごちそうになり外に出ると、ゾマホンさん「2次会にいきましょう!」どこに行くのかと思ったら、とてもおしゃれなカフェでした。店内はかなり広かったんですが、週末の夜ということもあったんでしょうか。とても混雑していました。中はとても衛生的できれい、私たちは奥まった小部屋に案内されましたが、ベナンじゃないみたいでした。カメラを持ってくればよかった…それでも途中停電があり、「やっぱりベナンだ」と思わせる演出があってなかなかおもしろかったです。私たちが注文したのは「アイスクリーム」私は「バニラ」をいただきましたが、日本の少し高いアイスクリームと同じ味がして、街中で1個150CFA(約30円)で売っているFanmilkのアイスクリームとは違いました(このFanのアイスクリームも値段の割にはおいしいですよ)。

久しぶりにおいしいアイスクリームを食べ、とても幸せな気分になりました♪

3月8日(日)「田中義剛さん、ようこそベナンへ!」

田中義剛さんと生徒たち今日は北海道で牧場を経営していて、テレビでもおなじみの田中義剛さんがベナンにいらっしゃるということで、夜のクラス(OPクラス)を休みにして生徒たちと一緒に空港へ。飛行機は珍しく定刻より早く着きました。テレビのクルーとともに姿を現した義剛さんの前で、日本、ベナン両国の国歌を歌い、生徒で最も学習期間が長いココさんがスピーチ。歓迎のセレモニー?は無事終わりました。

生徒たちと別れ、私たちは義剛さんたちが泊まるホテルへ同行しましたが、今朝から体調が悪かった寺嶋さんがいよいよだめそうだったので、鬼頭先生がゾマホンさんに話しホテルココティエ(本当は病院です)に行くことに。夜11時ごろで病院は静まり返っていましたが、すぐに診てもらうことができました。その後薬局でもらった薬を飲み、少し落ち着いた様子。再びホテルへ戻りました。ホテルのレストランで皆さんと一緒に食事をいただくことになりましたが、夜もかなり遅かったので、私はバイキング方式のデザートだけいただきました。そこのプリンがとてもおいしくて、たらふく食べました。2日続けておいしいデザートをいただいて、甘い物好きの私は本当に幸せ!

3月9日(月)「ご冥福をお祈りします」

今日の昼クラス(Lクラス)が終わったときに生徒たちが集まって何かを話していました。どうもLクラスの生徒が亡くなったという話。ただ、私たちの面識のない生徒のようで、後からダベデさんに聞くと「ドナさん」ということでした。秘書のダベデさんに聞くと、彼は内臓に問題があったらしくいつも咳をしていたということ、どうやら去年の暮れに亡くなったこと、年齢はまだ30歳前後ということがわかりました。

この学校で日本語を勉強していた仲間が亡くなったということで、しかもあまりに若すぎる死でとても残念です。お葬式も終わってしまったようで、生徒たちは少しずつお金を集めてご家族に渡すようです。

心からご冥福をお祈りします。

3月10日(火)「晴れ時々曇り」

3月に入ってから今日まで、毎日「晴れ時々曇り」という天気が続いています。日本で太陽がいちばん高いところに来るのは夏至の日ですが、ベナンでは3月?日と9月?日の2回、太陽が私たちの真上を通過します。つまり、この時期いちばん日差しが強くなるということです。私の印象でもアルマタン(大乾季)が終わって、次第に日差しが強くなっているように感じます。

毎日晴れの合間に雲がかかりますが、その雲に負けないくらい強い日差しです。私はいつの間にかそんな日差しに負けない体になったようで、毎日元気に散歩したり屋上やジャパンハウスの前で佇んだりしています。

3月11日(水)「所さんのバス」

所さんのバス今日の午後、鮮やかな黄色のバス3台がジャパンハウスにやってきました。テレビでおなじみの所ジョージさんからベナンの子どもたちに送られたスクールバスです(詳しい経緯については雑誌Daytona3月号を見てください。所さんと北野武さん、ゾマホンさんの3人の対談はとてもおもしろいですよ!)。3台の名前は「Fujiyama号」「Sukiyaki号」「Takoage号」もちろん所さんが命名しました。

私たちは「すげー車だなあ!」と感心して見ていましたが、近所の人たちも珍しそうに見ていきました。この車は北部の小学校へ行ってしまいます。皆さん、ジャパンハウスの車と比べてみてください。

バスの中ジャパンハウスの車

3月12日(木)「ベナンの東南アジア人」

今日の夕方、山瀬さんとその友達でベナンに滞在している柳谷さんが会話クラスを見に来てくれました。が、残念ながら生徒が来ず会話クラスはありませんでした。

ジャパンハウス前の建設現場せっかく来ていただいたので、ジャパンハウスで話をしました。その中で、日に焼けた私を見て柳谷さんが「東南アジア人みたい」そうか、私は外見上もはや日本人でもベナン人でもなく東南アジア人なんだ。例えばタイ人?ベトナム人?フィリピン人?住んだことも、ましてや行ったこともないけど。

そして、どんなに頑張って日焼けしたところで(頑張って日焼けしたわけではないですが)アフリカ人の方に向かわず、やはり東南アジア人の方に向かうんだ、と改めて思い知らされました。当たり前ですよね。

3月13日(金)「9ヶ月ぶりの…」

今日は週1回の買い物の日。郵便局へ行き私書箱を開けると荷物の通知の紙が入っていました。宛名を見ると私の名前です。この通知の紙には差出人が書かれていないので、誰が送った荷物かはわかりません。心当たりがあるのは私がベナンに来る前に送った船便の荷物ぐらい。その後買い物をしていたら12時を過ぎてしまいました。荷物は空港の近くの郵便局に取りに行かなければなりませんが、12時〜15時までは昼休み。15時にもう一回出直すことに。

15時過ぎ、フィルメンさんと2人で空港近くの郵便局へ。手続きを済ませ荷物の箱を見ると、私が送った荷物でないことは明らかでした(私はアンパンマンのおもちゃが入っていたダンボールに入れて送ったんですが、この荷物はチーズのお菓子のダンボールでした)。ところが、中を見てビックリ!何と私が9ヶ月前に送ったものが入っていました。これはどういうこと?

ジャパンハウスに戻って中身をあらためました。蚊取り線香30巻、液体式の虫除け3本、野球のボールなどが無くなっていました。もう完全にあきらめていたので嬉しいのですが、無くなったものや賞味期限切れの食料品のことを考えると残念でもあります。

3月14日(土)「浦島太郎」

皆さん「浦島太郎」の話、知ってますよね。最近、自分は「浦島太郎」なんじゃないかと思うことがあります。変ですよね。私の場合は「助けた亀」ではなく、ゾマホンさんのおかげで竜宮城(=ジャパンハウスです)に来て、乙姫様(ベロちゃん)のごちそうを食べ、鯛や平目の舞い踊り(これはベナンの皆さんは踊りが上手ですから。「鯛や平目」はベナンのみなさんに失礼ですね)などで楽しい時を過ごし、時が経つのを忘れています。そして2年後日本に帰ったときにはすっかり日本の様子が変わっているという話。そんなばかな話はないと思いますが。やっぱり変ですよね

3月15日(日)「田中義剛さん、お気をつけて!」

3月8日からベナンに滞在されていた田中義剛さんが今夜帰国されました。義剛さんはテレビの仕事のほかにも精力的にベナンを回られてベナンの農業が今後どうしたらよくなるかを提案なさったようでした。そのことについては、帰国前にジャパンハウスで記者会見が行なわれ、記者の質問に丁寧に答えられている姿が印象的でした。

ベナンの農業はいろいろな面でまだ遅れていますが、今後近代化が図られることを期待します。

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