本文へジャンプする

NPO法人IFE

アフリカニュース

Category "History" の記事一覧

Published on

シリーズ・ベナンの歴史(3)ベナン北部の諸王国・前編

ベナン北部の歴史は、ベナン南部とは少し異なる。これは、ベナンの南部はアボメー王国の領土であったが、北部はアボメー王国とは違った王国が支配していた地域であったことが背景としてある。また、イスラム教の影響が南部より強く、ナイジェリアやニジェールなどの交流も盛んであったことも考えられる。

地図

全文を読む »

Published on

シリーズ・ベナンの歴史(2)ベナンの先史時代

アフリカ諸国がヨーロッパに植民地支配されるはるか以前、人々は野生動物を狩猟したり、森の果物を採ったりする、狩猟採集の生活を行なっていた。やがて、工具を磨いて地面を耕したり、犬、猫、鴨、豚、牛、馬などの家畜を飼いならしたりしていたと考えられている。さらに時代が経過すると、鉄の矢、銅の腕輪の製造や、洞窟の内壁面に動物を描くといったことも習得した。こういったことは、洞窟の壁画や地面に埋もれた化石等の発見で、当時の人々の生活が解明されていったのである。

農耕、あるいは牧畜を行なう際、人はまず家族を集団となす。いくつかの大きな家族が集まって、首長によって統率される「民族」を形成する。力のある民族の首長は、少しずつ近隣の民族を征服していく。このようにして、後に「王国」が形成されていくのである。西暦1500年以降に比較的力のある王国が、現在のベナン国内に出現する。ニッキ、クアンデ、カンディ、アボメーやポルトノボなどで王権がしかれると、「グリオ」と呼ばれる人たちがすべての王の名前や、王の戦いと勝敗の行方、即位したときや死亡したときの様子、一族の系譜などを歌にした。彼らグリオたちは、こういった物語を歌にして子供たちに教え、次の世代へ、次の世代へと口承で伝えられた。

Published on

シリーズ・ベナンの歴史(1)アフリカ史・ベナン史の扉を開く

今回から始まる「シリーズ・ベナンの歴史」では、ベナン共和国の歴史の概要を、連載記事として紹介していく。中学や高校で世界史を勉強したとき、ベナンを含むアフリカ諸国の歴史がどれだけ出てきただろうか。おそらく数ページ程度で、ほとんど覚えていないだろう。仮にアフリカが世界史で取り上げられたとしても、大航海時代以降の三角貿易、19世紀の植民地化、1960年のアフリカの年くらいであろう。西洋史や中国史と比べて、アフリカ史が登場する機会がまれなのである。これはなぜなのか。

その大きな理由は、アフリカ史を記した文字資料がほとんど無いからである。現在残っているアフリカ史に関する文字資料は、ヨーロッパ人が書き残したものがほとんどで、15世紀以降に限られている。また、アフリカでは、口頭伝承や音楽などで歴史が語り継がれていることが多い。そのため、特に15世紀以前の文字資料は、口頭伝承や音楽以外ほとんど無い状況なのである。

歴史学では文字資料が必須であり、それも裏付けがとれる文字資料ほど、資料としての重要度、あるいは信用度が高いものとなる。15世紀以前の文字資料がほとんどなく、かつ口頭伝承や音楽で歴史を記録してきたアフリカ諸国の歴史資料は、歴史学では重要度、信用度が低いと評価される。このため、世界史にアフリカが登場する機会が少ないのである。また、15世紀以降の記録についても、ほとんどはヨーロッパ人の視点で描かれた歴史である。このため、アフリカ人から見た歴史とは言い難く、本当のアフリカ史と言えるかどうか、疑問が残る。

近年は考古学、民俗学など、歴史学以外の観点からアフリカ史を再考する動きがある。少しずつではあるが、このような動きが今後加速し、より詳細なアフリカ史が描かれることを期待したいところである。

なお、今回から始まる連載は、実際にベナンで販売されている小学生向けの歴史の教科書を中心に、その他の参考文献を用いてベナンの歴史を紹介する。日本や中国や西洋の歴史と比べ、まだまだ詳細が解明されていない点が多いのも否めない。しかし、ベナンの国の成り立ちを知る上で、歴史を知ることは必須である。それだけでなく、多様で複雑であった民族構成や諸王国などが、奴隷貿易時代、植民地時代を経てどのように変ってきたかを、ベナン人の視点からもうかがうことができる。ベナンの歴史に触れることで、すこしでもベナンやアフリカの歴史に興味を持っていただきたい。

ページトップへ戻る

サイトマップ