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NPO法人IFE

きときとアフリカ

Category "メッセージ" の記事一覧

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祝!たけし日本語学校 7周年

2003年9月1日に開校した「たけし日本語学校」ですが、おかげさまで7年目を無事に迎えることができました。

ここまで継続できたのも、この活動をかげながら支えてくださったIFEの会員様をはじめ、多くの方のお陰です。そして何よりもこれまで、現地の教壇に立ってくださった日本語教師の皆さまのお陰です。

資金も無いなかで初めた学校でしたが、ここまで継続できているのが夢のようです。

“ベナンの人々をはじめ、多くのアフリカの人々に日本文化を味わってもらいたい。”というのが、基本的な方針で、その生徒たちの中から、優秀な留学生を育てられればと思っていました。

設立当初はベナンから日本に留学するということは、夢のまた夢でしたが、いまではのべ26名もの研修生、留学生が日本に来られるようになりました。

すらっと26名と書きましたが、「1」から「2」にするのも大変ですが、「0」から「1」を生み出すのは想像を超える困難でした。

ちなみになぜ、日本語学校なのか?

その要因は沢山ありますが、日本の歴史に例えると、それは平安時代の「遣唐使」であったり、
明治時代に近代国家日本をつくるために渡った多くの日本人留学生のような人材を育てたいと思ったからです。やはり「国づくり」は「人づくり」です。
ちなみのこの活動を通して「留学生」の本来の姿を知ったような気がします。

人(自国の人々)のために、勉学に勤しむことができる人。
人(自国の人々)のために異文化でも忍耐強く生抜ける人。

そして、ODAをバンバンばら撒いた結果ついた「金持ち日本」というイメージから、
本当の日本の姿を世界に発信できる機関として、「たけし日本語学校」をこれからも
発展させていきたいと思います。

最後に設立当初のコラムは以下のサイトで読むことができます。
http://www.zomahoun.com/ife/columns/frombenin/001.html

最後に皆さまのお陰で「たけし日本語学校」は7周年目を迎えることができました。

本当にありがとうございます。そしてこれからも何卒よろしくお願い申し上げます。

↓ 第1期生の修了証書授与式の写真

修了証書授与式

↓ 設立当初の授業風景(前に立って発表している生徒(左側)が現在花畑牧場で研修中のココさん)

授業風景

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挑戦、日々挑戦

長い一日をとりあえず終わりにしよう。
土日が仕事できなかった分、溜まっちゃったな。

土曜は私的な用事を済ます日。
日曜日は午前中、剣道。

でも、昨日暑い中での剣道にへばって、午後は何もできなかった。。。いかん。

昼間の職場の宿題やらで、なかなか計画的にIFEの仕事ができず、
ちょっとストレスたまり気味の中で剣道はよくないね。

心正しからずば、剣また正しからず

身にしみます。

それはそうと、これからのブログは少しずつIFEの活動の取り組みを紹介したいと思います。
日々挑戦する毎日。一つ課題をクリアしたと思えば、また次の課題。
でも、そういう一つ一つの積み重ねが大事。

さあ、一時間しっかり寝て、明日からまた挑戦の日々。

気合、一発!「おやすみなさい!」

ベナンのビーチ

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恩師の言葉

僕が大学に入る際、恩師から手紙をもらいました。
その手紙の文面は、僕にとって今でも大切な言葉です。
アフリカの活動をする際、いつもこの言葉を言い聞かせています。

“謙虚さをいつまでも忘れずに、初心のまま、他と比較しなくても
 自分の環境が最高だと思えるような毎日を送ってください。

 批判をすることは簡単です。けれど自分は自分、他は他。
 それはそれで意味がある。

 それを認めたうえで「自分」を生きていってください。
 たくさんの世界を持って、大きな人間になってください。”

ベナンの人々(モノクロ写真)

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体調を崩す・・・

このブログはPCからアップしているのですが、この10日間ほど、ブログも更新できませんでした。
体調、崩しました。

富山に帰省したのですが、2日目にして胃が痛くなり、薬漬けでした。
帰省しても、あまりご飯も食べられず・・・・

その後東京に戻ってからも、ずっと駄目でした。

この暑さ、そして睡眠不足等たたったのだと思います。
学生時代、体を鍛えていたので、スタミナだけが自分の長所だったのですが・・・・

皆さんも、どうか無理はなさらずに・・・・

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あ~夏休み

お盆に富山に帰省しました。
やっぱり故郷はいいです。

大好きです、富山。

写真は富山県五箇山に行ってきた時の写真。
手前が愛車の三菱デリカです。
皆さん、富山にぜひ遊びに来てください。

五箇山1五箇山2

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平日はいつも

平日、仕事から帰ってきてからアフリカの仕事をすると、あっという間に3時を過ぎてしまう・・・
お問合せに対する対応とかで・・・・

外から新聞配達のバイクの音が聞こえきた・・・

む~駄目だ。もう眠い。おやすみなさい。。。Zzzzz

ベナンのビーチ

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ヒロシマ ナガサキ

8月6日は広島に、そして9日は長崎にそれぞれ原子爆弾が投下された日。
改めて、亡くなられた多くの方々にご冥福をお祈りします。

僕がベナンのたけし日本語学校に行っていた時、生徒たちに「日本のイメージ」をたずねると、
ヒロシマとナガサキという答えが返ってきたクラスがあった。

アフリカでも「ヒロシマ ナガサキ」は既知なんだ。

そう、あの悲劇はもう二度とあってはいけない。

そして、日本人はその事実を忘れてはいけない。

そう思う、2010年8月10日

ヒロシマ ナガサキ

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継続は力!たけし日本語学校

たけし日本語学校は、これまで赴任された日本語教師お一人、お一人が
大切に育ててきた学校。

どんな時も、教壇に立ち続け、生徒と向かい合い・・・

決して、十分な環境ではないけど。

学びたいと思っている人と、それについて教えられる人がいれば、
教育は成り立つんだとおもう。

たけし日本語学校たけし日本語学校

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そうだ、ベナンに行こう。

ベナンの活動をしようと思ったのは、本当にゾマホンさんに偶然会った時から。
しかも、羽田から新宿までに向かうリムジンバスの席が隣だったというだけ。

それまで、ほとんど海外には興味がなかった。

日本語学校を立ち上げるときも、何も気負うものもなかったと思う。

時々、ベナンの活動の事を人に話したら
「立派ですね。」
と言われたりすることがあるけど、すごく嬉しい一方で、すごく恥ずかしい。
だって、偶然はじめたことだし、なんか当たり前のことを、ただしているとしか
思っていないから。

でも、やるからには良くしていきたい。
この日本とベナンが少しでも近づくように。

国際協力の仕事をしたいなら「JICA」か「海外青年協力隊」・・・

別にそこで働くことがすべてじゃない。

やろうと思えば、一人からでもできるんだ。

ベナンのビーチ

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JICAじゃない、青年協力隊でもない。。。

とにかくゾマホンさんの事を信じてみようと思った。
ゾマホンさんが日本語学校を作るときは色々批判もあった。
でも、人を育てたいと思った。

肩書きも身分も関係なく、本当にこの国のことを思っている人を
育てたいと思った。

当時、JICAにはベナン共和国に日本語教師を派遣するプログラムはなかった。
いや、いまも無かったかも。。。

せっかくベナンで仕事をするのだから、すべてにおいて妥協はしたくなかった。
僕のやりたいことは、大きな組織でやることではないと思った。

そして、一人一人にコツコツと、日本語学校の重要性を話した。
とても遠回りしたかも・・・と思ったけど、いま思えばこれでいい。
だって、自分たちでやってきたことだから、誰のせいにもできないから。

写真は独立記念日の際、日本語学校の事を説明しているところ。

ゾマホン

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