本文へジャンプする

NPO法人IFE

きときとアフリカ

Published on

ベナン共和国で日本語スピーチコンテストを開催しました。

2012年12月30日、西アフリカのベナン共和国で「第1回 日本語スピーチコンテスト」を開催しました。(協賛:社団法人全日本冠婚葬祭互助協会様)

発表者は「たけし日本語学校」で4年ほど日本語を勉強している生徒たち。
その中から7名が発表しました。

「なぜ日本語教育?」って、日本人から聞かれる事もしばしばあるけど、やっぱり経済交流と表裏一体で文化交流は必要なわけで。じゃあ文化交流っていうと、「茶道」や「華道」とかなのかというと、それより文化の集大成は「言葉」でしょ。と、いう事で日本語学校なのです。

日本が他の欧米諸国と手を結んで、自分たちの国の利益を奪い取っている・・・・ゾマホン大使が言うには、「イラクに自衛隊を派遣した時から、中東やアフリカ地域での地元民の日本への愛情は薄くなってきている。」らしいのです。

大使の表現は、わかりやすく日本人に伝えようと思ったものですが、でも僕もそう思います。今回のアルジェリアの件でも、なぜ日本人が狙われたんだろう・・・と。そして日本のとるべき道は「テロと戦う事」なんだろうか。「戦う」って勇ましく聞こえるけど、いろんな戦い方があると僕は思うんです。

ODAでバンバン経済援助しているのに、青年海外協力隊でバンバン日本人を派遣しているのに・・・でも愛情が薄くなってきている。

高度成長以降に始まった日本の国際援助。そろそろ違うやり方での「海外との付き合い方」を考えた方がいいんじゃないかと思うのです。偉そうですみません。。。

だらだらと書き連ねましたが、その一つの手段として文化交流の充実強化。日本人を知ってもらう。日本の事を好きになってもらう。それが必要だと思うのです。

 

全文を読む »

Published on

NPO法人IFEのFacebookサイトで新企画の連載をはじめました。

「きときとアフリカ」をいつもありがとうございます。

告知です。

IFEのFacebookページで新企画を始めました。

タイトルは「新企画!ベナン人留学生との対談 ~第1回 ポヌさん、はじめまして~東京大学大学院在学中」です。

冒頭の部分のご紹介です。

-----以下Facebookページより-----

異国の地に来て、難しい日本語に悪戦苦闘し、いくら先進国、日本と言えども、慣れない環境で苦労して得た知識や技術は、きっと彼ら留学生は無駄にしないでしょう。

今回は栄えある第1回目として、現在、東京大学大学院で研究を続けているポヌ-ジョジアヌさんにインタビューをし、それを数回に分けてアップしたいと思います。

彼女がどんな研究をしているのか、そしてなぜ日本を選んだのか、将来の夢は何か・・・などインタビューしましたので、ぜひお楽しみいただければ幸いです。

それでは、第1回目をどうぞ。

・・・・・・・・

聞き手: 今日は、たけし日本語学校の卒業生で、東京大学大学院博士課程のポヌジョジアヌさんに、今どんな研究をしているのか、聞いてみたいと思います。よろしくお願いいたします。

ポヌ: よろしくお願いいたします。

聞き手: 早速ですが、今はどんな勉強をしているのですか。

ポヌ: 今は、ゴミ処理からエネルギーを生みだす研究と、水浄化の研究をしています。

聞き手: ゴミ処理からエネルギー?

ポヌ: はい、ゴミから、電気やガス、オイル、活性炭などが抽出できるんです。

聞き手: ほー、ゴミがそんなにたくさんのものに生まれ変わることができるなんて驚きです。それはもう実験などもしているのですか?

ポヌ: いいえ、まだです。実験には火を使わなければいけなくて・・それは大学の中で行うにはとても危険なことなので、まだなんです。

以下、省略。

よろしければ、どうぞよろしくお願いいたします。

Published on

ベナン共和国に行って来ました。

皆様、新年明けましておめでとうございます。
昨年は、本当に色々な方々にお世話になりました。
今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

さて、私は2012年12月27日から2013年1月8日まで、8年ぶりとなるベナン共和国に行ってまいりました。
旅の詳細は、撮ってきた動画、写真と共に目下整理中ですので、またブログを通して、皆様に情報をお届けできればと思います。

2013年の新年は、電気もガスも水道もない小さな村にいました。
今頃、日本の人たちは何をしているのかな~と想像しつつ、赤茶けた凸凹道をひたすら走り続け、
そして、砂埃にまみれていました。

村々に行って、村人たちと色々な話をしてきました。

普通、海外から視察等で行く場合は、必ず現地のコーディネーターがいて、視察する前に、訪問する村と色々調整します。

今回は、通訳等のコーディネーターはいたものの、なるべく「生」の様子と「生」の声を聞かせてほしいとお願いし、リアルな生活状況を見てきました。

そこで僕が見たものは、これが同じ地球上なのか・・・と思うような光景もありました。

田舎の村に行くと、綺麗な水はほとんどありません。たまり水を汲んで、それを生活用の水にしたり、飲料水にしたりしていました。

全文を読む »

Published on

ゾマホン大使就任の道(続編) ~2004年の頃~

僕がベナンで生活している時は、ゾマホンが建てたジャパンハウスという建物に住んでいた。
ベナン コトヌー国際空港から車でおよそ10分のところにその建物はあり、敷地内に「たけし日本語学校」があった。

部屋は4部屋あり、日本人が住んでも不自由がないようにと、お風呂にはバスタブがあり、ベナンではめずらしく温水が出るようになっていた。それで驚くことなかれ、日本のニュースも視聴したいだろうと、フランスから技術者を呼んで、パラボラアンテナを設置し、いつでもNHKのニュースが視聴できる環境になっていた。

そこでのゾマホンのコメント

「フランスから技術者を呼ぼうとして電話をすると、エールフランスのビジネスクラス席を準備しないとベナンには行かないと言われたよ。」

・・・これがフランスとベナンの関係なのかと、それを聞いた時、僕はゾッとした。

さて、いつもは日本にいるゾマホンが、年に6回以上ベナンに帰国し、自分が建てた小学校などに足を運び現地調査をしていた。

現地調査の目的は、村人たちの意見を聞くためだった。
それは、小学校を建てるということは、そこに生活している人々にもかなりの面で影響するからだ。

そのため、ゾマホンは一つ一つの村を訪ね、村人(特に長老)に最大限の敬意をはらい、時間が許す限り村人の話をじっくり聞いていた。

「小学校建設」とひとくくりに言ってしまえばそれまでだが、想像以上に様々な事に気をつかわなければならない。

それは、一番最初にゾマホンが「たけし小学校」を建設しようとした際、小学校建設に反対した住民が途中まで工事が進んだ小学校を焼き討ちにされた経験があったためだ。

村にはそれぞれ伝統教育が根付いている。それは日本の職人さんの世界と同じように、職業からなる徒弟制度のようなものだ。

その「伝統教育」と小学校という「近代教育」とを連立させていかなければいけないわけだが、近代教育には反対も多い。なぜなら徒弟制度と違い、近代教育はまったくの生産性がない教育だからだ。

小学校が無い田舎では、「近代教育」の反対があり、一方でベナンのエリート層にとっては、平等に近代教育が施されると、自分たちの特権が奪われると思い、反対する人々がいた。端的に言うと、教養が身につくと、エリート層は国民のコントロールが難しくなるからだ。
それは日本でも言えることであり、僕たちは字が読めるし、書けるから、テレビのニュースも聞けるし、意見したい時は、文字で訴えることもできる。(だから日本の内閣は苦労する。)

そんな両方に反対されてまでも、自分の稼いだお金を教育のために使おうとしているのがゾマホンだった。普通だったら、「バカバカしい。俺だけはあんな人間にならないでおこう。」と思ってもおかしくはない。でも、それをしない。それがゾマホンだ。

村人、一人一人に教育の大切さを伝え、そしてエリート層には、なるべく彼らの鼻にかからないよう、無駄に敵に回さないよう、気を配っていた。

全文を読む »

Published on

ベナン人留学生来日!!

今年もベナンから1名の留学生を日本に迎えました。名前はイダヤツ・ザッカリさん。
今日から1年間、共立女子大学様でお世話になります。

共立女子大学様には、今年の留学生を含めて、これまで6名受入れていただいています。
この場を借りて、改めて御礼申し上げます。

・・・・・

僕は、今日来日したイダヤツさんに会ってきましたが、若干緊張気味の顔でした。
彼女はベナンから約20,000円を握り締め、フランス経由で日本にやってきました。
どんな気持ちで、海を渡ってきたのかな~と想像しました。

僕はイダヤツさんのような留学生に会うだびに、その佇まいに清清さを感じ、と、同時にどんな困難な道に出会っても、彼女たちを励みに、自分も頑張ろうと思うのです。

皆さん、イダヤツさんの事、これから1年間よろしくお願いします。
 

2012092601.jpg

 

Published on

ゾマホン大使就任の道(続編) ~道程~

ベナン共和国の大統領の任期は5年。
NPO法人IFEがベナンで活動し始めた時の大統領はマチュー・ケレク大統領だった。

ケレク大統領の偉業は、インターネットでも色々検索できるが、そんなケレク大統領とゾマホンの絆は深い。

2002年にゾマホンに国民栄誉賞を与え、そして2004年には大統領特別顧問として自らの傍においた。
中国に6年留学、その後1994年から今日にいたるまで日本で生活しているゾマホンを大統領特別顧問に就任させたのは、ベナン共和国でも全くの異例の出来事だった。

超学歴社会、そして、一般国民と一部のエリートで完全に分かれているベナンにおいて、フランスの大学での留学経験が無く、ダサヅメという田舎育ちのゾマホン。さらに就任当時、ゾマホンの年齢は40歳だった。
そんな彼を特別顧問に就任させるのは、国内でも大きな反発があったが、ゾマホンの国に対する貢献がケレク大統領に信頼された。

いくら日本のテレビでちょっと有名になったからと言って、ベナンはそんな事で国の重要な役職を与える事はない。何しろフランスの旧植民地のベナンは、超保守的な国なのだ。

ケレク大統領はゾマホンを登用する事で、真面目に国の事を考えている人に対しては、いかなる身分であろうと、国のリーダーになれる事を国民に対して示したかったのだと思う。

愛情あり、ユーモラスあり、強い信念ありの偉大な政治家だった。

そんなケレク大統領は、ベナン共和国憲法に法り、大統領を三期努めた後、退任した。絶大な人気があったにもかかわらず・・・

全文を読む »

Published on

ゾマホン大使就任の道

はじめに・・・

ゾマホンさんが駐日ベナン共和国特命全権大使に就任しました。
ゾマホンが大使として落ち着くまで、「きときとアフリカ」はお休みをしておりました。申し訳ございません。
これからは、なるべく頻繁に更新してまいります。
つたない文章ですが、どうか読んでいただけましたら幸いです。

一昨年、もう外は寒くてコートを着始めた頃だった。
あれは忘れもしない新大久保駅改札前の蕎麦屋での事だった。
ゾマホンさんから「私はもうやるしかないと思っています。」と話を受けた。(僕らの仕事の打合せは、中央線、総武線沿線のホームか、余裕があれば蕎麦屋などに入って仕事の打合せをしていた。)

ベナン共和国においてゾマホンさんは、決して裕福な家庭で育ったわけではなく、(日本国内の貧富の差とは比べ物になりません)努力の塊でここまでやってきた人だった。

そんなゾマホンさんは、ベナンの多くの人々の憧れでもあり、人気もあった。そして、ゾマホンさんはこれまで何度も、国から政治家としてのオファーがあったが、断り続けてきた。「自分には他にやる事がある。」と言って、頑として6畳の風呂なしのアパートに住み続け、断ってきた。(どこかの国とは大違いかもしれない。)

そのお陰で、小学校を建てたり、井戸を掘ったり、給食を提供することができた。もし、国からのオファーを受入れていたら、きっと今のIFEの活動はなかったと思う。

しかし、IFEの活動が広がれば広がるほど、国の人々と大きな意識の差が生まれてきた。
それゆえ、このタイミングで大使にならざるを得なかったというのが実情だ。僕はとうとうこの日がやってきたか・・・・と半ば信じられない気持ちで、ゾマホンさんの話を聞いていた。ゾマホンさんもかけ蕎麦を注文したものの、ほとんど口にすることができないようだった。

これまで一緒に歩んできたゾマホンさんの立場が変わってしまう。
大使となれば公人になり、IFEからも離れなくてはいけない。
これまでゾマホンさん中心で活動してきたIFEがどうなっていくのか・・・
僕はその時、嬉しいという気持ちよりも、寂しさと不安で心がいっぱいだった。

そして、一昨年から今年の7月まで、これまでに経験した事が無い、険しい道が始まった。

続く

全文を読む »

Published on

お母さんは神様。

ゾマホンさんのお母さんが亡くなって早7年になった。3月2日がお母さんの命日。
ゾマホンさんのお母さんがご健在の時の、ゾマホンさんとの国際電話のやりとりが面白かったのをいまでも思い出す。

ゾマホンさんは1週間に最低1度はお母さんに電話していたのだが、必ず最後はお母さんに結婚の話をされる。「この前、市場にいったら、○○さんの娘さん、すごくよかったよ~」とか。そして、ゾマホンさんはいつもお母さんに「もういいよ。わかった、わかった。」と頭をさすりながら、電話で話す。

その光景を見るたびに、とても愛らしかった。

僕は一度だけ、ゾマホンさんのお母さんに会った。それはそれはとても静かな方だった。

ゾマホンさんはお母さんが大好きだった。
ゾマホンさんは、小さい頃お父さんを亡くし、お母さんの元から離され、養子になって中学校に行っている。

養子先では、いつも車の中で寝泊りをし、そして、街灯で勉強を続けていた。
でも、ゾマホンさんは養子として、お母さんのもとから離れても、ずっとお母さんが好きだった。

そして、ゾマホンさんが大きくなり、国費留学生となり中国に留学する。ある時、故郷に凱旋帰国した際、ゾマホンさんは驚いた。なんとお母さんは親戚の家の台所で寝泊りをしていたからだ。

それを見たゾマホンさんは、なんとかお母さんに楽な暮らしをさせてあげたいと誓った。
それからゾマホンさんは日本に私費で留学をし、文章では書き表せないくらいの、様々な経験をした。

そして今から7年前の3月2日、ゾマホンさんが大好きだったお母さんは亡くなった。
ゾマホンさんはお母さんの最後に立ち会うことができなかった。
ただ、亡くなる数か月前、お母さんと一緒に撮った写真がある。

ゾマホンさんとお母さん

当時、日本語教師として赴任していた石田さんが撮影したものだが、僕はこの写真がゾマホンさんの全てを語っている気がする。

ゾマホンさんは僕によく言う。

「私のお母さんは、字が読めない、書けない。でも私は決してお母さんをバカにしたりしません。
私がどんな立場になろうと、お母さんはお母さんです。お母さんは私の神様です。」

「私はお父さんとお母さんを超えられない。なぜなら私の今の年齢の時に、お父さんとお母さんは、立派に子供を育てていたから。私は一生超えられない。」

ゾマホンさんは、講演会などでも子供たちに

「本当に国際人になりたかったら、まず親孝行しなさい。いつもいつもお父さん、お母さんに感謝の気持ちを持ってください。あなたが今着ている洋服は、あなたが働いて買ったものではないよ。」 ・・・と。

・・・ゾマホンさんのお母さん、これからもずっと見守っててください。

そして、このブログを読んでくださっている皆様、それぞれ親子関係はいろいろあると思います。
それはそれとして、(私も自戒の念を込めて)お父さん、お母さんを大事にしましょう。

僕は明日、お母さんに電話します。

Published on

僕が好きな詩。『君には無理だよ・・』

バスケットボール選手、マジック・ジョンソンが、スラム街の黒人の子供たち送ったメッセージ。
僕が22歳の時、この詩に背中を押され、IFEの活動をはじめました。

『君には無理だよ』という人の言うことを、聞いてはいけない
もし、自分でなにかを成し遂げたかったら
出来なかった時に他人のせいにしないで
自分のせいにしなさい

多くの人が、僕にも君にも「無理だよ」と言った
彼らは、君に成功してほしくないんだ
なぜなら、彼らは成功出来なかったから
途中で諦めてしまったから
だから、君にもその夢を諦めてほしいんだ

不幸なひとは、不幸な人を友達にしたいんだ
決して諦めては駄目だ
自分のまわりをエネルギーであふれ
しっかりした考え方を、持っている人でかためなさい

自分のまわりを野心であふれ
プラス思考の人でかためなさい
近くに誰か憧れる人がいたら
その人に、アドバイスを求めなさい

君の人生を、考えることが出来るのは君だけだ
君の夢がなんであれ、それに向かっていくんだ

何故なら、君は幸せになる為に生まれてきたんだ
何故なら、君は幸せになる為に生まれてきたんだ

ページトップへ戻る

サイトマップ