本文へジャンプする

NPO法人IFE

きときとアフリカ

Published on

雨ニモ負ケズ

学生時代、めったに行かない図書館で、何度も何度も読んでいた詩。
「自分に何ができるんだろう?」そう思い悩んでいたときに読んだ詩。

特に最近の震災では、「自分にできること」というフレーズが
ちまたで溢れているような気がする。
ややもすると、「自分に何ができるんだ?」と思い悩んでいる人も
いるかもしれない。

僕のアフリカの活動も「何とかしなければ・・」と意気込んではじめたわけではない。
ただ、縁あってはじめたにすぎない。
いまとなっては、アフリカの活動が、僕の人生そのものになったけど。
「自分にできること・・・」そんなに考えなくていいんじゃないかな。そう思う。
自然体でいこう、自然体で。

雨にも負けず 風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ 丈夫なからだをもち
慾はなく 決して怒らず いつも静かに笑っている
一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを 自分を勘定に入れずに
よく見聞きし分かり そして忘れず
野原の松の林の陰の 小さな萱ぶきの小屋にいて
東に病気の子供あれば 行って看病してやり
西に疲れた母あれば 行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば 行ってこわがらなくてもいいといい
北に喧嘩や訴訟があれば つまらないからやめろといい
日照りの時は涙を流し 寒さの夏はおろおろ歩き
みんなにでくのぼーと呼ばれ 褒められもせず 苦にもされず
そういうものに わたしはなりたい

Published on

ホームにて

久しぶりのブログ更新です。
更新していない期間、いろいろありました。
悲しいこと、辛いこと、いろいろありました。
現地からはゾマホンさんから毎日のように国際電話がありました。

大好きな日本の皆さんはいまどうしてますか?・・・と。

ゾマホンさんの巣晴らしと思うことは、
どんなことが目の前で起ころうとも、それを受け止め、
そして、その中でもがきながらも、一所懸命生きる姿勢です。

故郷を思う気持ちを忘れずに。

僕も一生、そういう気持ちを忘れずに生きたいと思います。

再び、ブログをこまめに更新していこうと思います。
皆さん、またよろしくお願いします。

最後にいま中島みゆきの『ホームにて』を聴いています。
いい曲ですよ。
学生時代から大好きな曲です。
富山に帰るとき、よく聴いていました。

あと、福島県民謡の『新相馬節』、『会津磐梯山』も好きです。
学生時代に、後輩がよく歌ってました。

それを懐かしく思い出しています。

Published on

ニュージーランド地震

今日、帰宅してからTVをつけると、今回のニュージーランド地震で
日本人死者が判明したと報道があった。
母の出身の富山県魚津市の方だった。。。

このたび、ニュージランド地震の被害にあわれた方、そのご家族の皆様、
心からお悔やみ申し上げます。

Published on

僕のモチベーション

帰宅してからIFEの仕事をするときは、決まって永井真理子さんの曲を聴いてから、仕事をはじめる。
おすすめは色々あるけど、いま一番ツボなのは♪「夕闇にまぎれて」♪
ちなみにYOUTUBEでも聴くことができますので、よかったら是非。

永井真理子さんは小学生のときから今日までずっと聴いています。
仕事帰り、疲れた心と体には「永井真理子」

最高のエネルギー源です。

さあ、3時過ぎたから、そろそろ切り上げよう

Published on

北アフリカのリビアが気になる

ここ2、3日北アフリカに位置するリビアが気になる。
ちなみにベナンに行く際には、よくリビア航空(エアーアフリケ)を使用するが、
すこぶるいい航空会社。

最近では、国連総会の演説でカダフィー大佐が国連憲章を投げ捨てるなど、
アメリカを中心としたグローバル化について強烈に批判していた。

ベナンとの仕事をしていて、その時のカダフィー大佐の演説は
とても興味深いものだった。

人権弾圧は決してよくないと思うが、なんか今回のこのデモは
リビアを良く思っていない国がバックで煽っているような気もする。

アフリカで行われている様々な実態が分かってくると、
なんか今の報道を純粋に受け取れないな。

とにかく、いまリビアから目が離せない。

さあ、今日はこれで仕事を終わりにしよ。

Published on

人材開発とお稽古

「どうやって たけし日本語学校の生徒を育てるか。」そして「どうやってFEELPEACE」プロジェクトを成功させるための人材を育てるか・・・いつも考えていること。

そんな中、昨日剣道していて思った。
剣道とか、茶道とか、いわゆる「道」がつくものは、練習といわず稽古という。

「稽古」と「練習」はどう違うのか???

「稽古」とは「古(いにしえ)」を「稽(かんがえる)」という意味だそうだ。

剣道は昔から変わらない稽古を積み重ねることによって、かつて剣道の体系をつくった
人々の考えを理解していくことなんだ。

やはり、人を育てるためには、歴史(成り立ち)を伝えていくことは大切なんだな。

昔の人は「稽古」という素晴らしい言葉でそれを表現したんだと、感動。

う~ん、たけし日本語学校の生徒にも「歴史」をつたえねば。

Published on

人材開発って。

現在、特定非営利活動法人IFEは「産業発展プロジェクト(FEELPEACE)フィール・ピースプロジェクトに参加しています。http://www.feelpeace.jp/

その活動で思うことは、人材開発の難しさ。やはり外国人と同じビジョンを共有していくことの難しいこと。
さあ、どうしようか・・・・・そんなことを考えてたらあっという間に2時。

正直、寝ても覚めても、そのことばかり考えている気がする。

ベナンと経済的な関係を結ぶことは、いままでの文化交流より、リアルな損得がでてくるので、
一歩間違えると、信頼関係を損なってしまう危険性がある。

でも、、、、そんな真剣勝負がとても楽しい。

さあ、現地の日本語学校で、どんな人材を開発していこうか。いまが勝負だ!!

Published on

日本語教師の皆様へ~たけし日本語学校~

いま現在、日本人で日本語教師をされている方は何人いらっしゃるのだろう?
一人でも多くの日本語の先生に、このメッセージが届くといいな。

私たちは、西アフリカ、ベナン共和国で「たけし日本語学校」を運営しています。
アフリカ支援となると、どちらかといえば、アフリカの子供達の支援に向けられることが多いのですが、ゾマホンさんが『ゾマホンのほん』にも書いたように、成人を対象とした「日本語学校」はこれからの日本とベナンのために非常に大事な役割を果たしています。

先月帰国した「花畑牧場研修生」も現地の日本語学校の出身者ですが、日本とベナンの真の交流(文化的・学術的・経済的)をはかるなら、日本語と日本の文化をある程度理解していないと、かなり厳しいです。

現地の日本語学校では学習者から「日本に留学したい」「日本とビジネス関係を築きたい」という
夢を昔からよく聞きました。実際に留学も、日本との経済的な関係も徐々にではありますが、生まれました。
日本語学校を立ち上げた8年前には、想像もできなかった環境が現在できました。

昔は、夢を話すだけでよかった。夢が現実になってきたとき、それぞれの国の人の意見の相違がでてきます。その時に初めて本当の交流が生まれるのではないかと思っています。

私自身も、いまが本当に「たけし日本語学校」を作った真価が問われていると思っています。
日本から様々な交流の芽が生まれました。その芽を大きく育てることができるかどうかは、ベナン人にかかっています。私はそう思っています。

全文を読む »

Published on

NPO法人IFEの理事会

現在、NPO法人IFEには7名の理事がいます。
もちろんその中にはゾマホンさんも入っています。

私たちIFEは毎月1回、第2土曜日に理事会を開催しています。
その理事会では、先月末までの会計報告やそれぞれのプロジェクトの進捗状況等の報告をします。
また、新たなプロジェクトの審議なども話し合い、費用等の話などはかなり細部にまで渉ります。

その話し合いは、もちろん真剣そのもの。月に1度しか理事は顔あわせしないので、
かなり濃厚な会議になります。

また、各プロジェクトの運営は、理事全員の合意がないと決裁はおりません。
(案件によっては、会議に出席した理事のみでの決裁もあります。)
そして理事全員の総意は、年に一度開催される総会で正会員の皆様の審議事項となります。

こうやって、NPO法人IFEは運営されています。
もちろん理事全員、他の仕事を持ちながらやっているので、
限られた時間の中で、最大効果を出すように努力しています。

写真は昨日の理事会の様子です。
なお、遠方の理事と、現在ベナンにいるゾマホンさんは出席しておりませんが、
ゾマホンさんが日本にいる場合は、必ず出席します。

2011022001.jpg2011022002.jpg

ボランティアといえども、経営会議そのもの。
会員になってくださっている皆様のためにも理事全員、これからも一層努力します。

なお、会議室を貸してくださっている
株式会社ベストクリエイト(http://www.telfee.jp/)の皆様、
本当にいつもありがとうございます。

Published on

・・・雪の東京・・・

いま、東京は雪が降っている。
仕事も終わりそうにないし、今日は帰れないかな~と思ったが、なんとか仕事に目処がついたので、急いで帰宅することにした。

JR中央線で帰宅途中、案の定、雪のために電車がストップした。
線路の切り替えポイントが凍結したためとのことだった。30分以上、電車が動かなかった。

待っている間、雪の中で復旧作業をしている作業員を車内から見ていた。

そういえば、6年前。ちょうどNPO法人IFEを立ち上げたばかりで、NPOなんて今以上にわからなかった時、僕は日雇いで働いていた。

その時、「列車見張り員」を数回経験した。「列車見張り員」とは、線路で作業している作業員に、列車が近づくと、それを知らせる役割の人だ。

6年前、今日みたいに雪が降っている夜、僕は「列車見張り員」をしていた。
同じ見張り員の仲間が数人いて、一人は板前で、自分の店をかまえる資金を蓄えるために働いていた。もう一人は、青森からの出稼ぎで、娘の大学の入学金を払うために働いていた。もう一人は、リストラされた人だった。

夜間作業の休憩時間、僕らは作業小屋がないので、工事車両の陰に隠れ、降りしきる雪から、少しでも身を隠そうとしていた。

全文を読む »

ページトップへ戻る

サイトマップ