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NPO法人IFE

日本語教師の窓

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お便り 103 - 9月前半

笠井先生 編

2011年9月12日(月)いってらっしゃい、オバグさん

今日、ベナンからまた一人学生が日本へ向けて出発しました。名前はオバグさん、共立女子大学へ1年間留学します。たけし日本語学校では、毎年一人の女子学生が共立女子大学へ留学しています。

オバグさんは2006年から日本語の勉強を始め、二つの大学に通いながら勉強を続けた努力家です。またオバグさんの大学には学園祭というものが無かったそうなのですが、学園祭を開催したい彼女は学長と直接交渉し、さらに実行委員長までしてしまったという非常に行動力のある人です。

そして彼女の明るい性格はいつもクラスに明るい雰囲気と笑い声を添えていました。学校の行事にも積極的に参加し、盛り上げ役を買って出てくれました。クラスを超えて学校のムードメーカーだったといっても過言ではないでしょう。

そんな彼女が苦手なことは時間を守ることでした。

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お便り 102 - 8月前半

笠井先生 編

2011年8月3日(水)農村を訪れて

農村を訪れて17月末から8月の上旬にかけて、私と永田先生はゾマホンさんと共にベナンの北部、中部を訪れていました。
これは8月1日のベナンの独立記念式典への参加、そしてIFEが作った小学校、井戸、農場を見学するためです。

日本の支援者の皆様の思いと、ベナンの人々の思いが形となったものを実際に目にするというのは、非常に感慨深いものでした。

その小学校、井戸、農場のことを書こうかとも思ったのですが、今回は私の中に特に深い印象を残したある農村のお話をさせて頂こうと思います。

目的地へ向かう途中で立ち寄ったその村は、幹線道路から車で1時間ほど外れた所にありました。
周りには草木が生い茂り、外界から隔絶された印象を受けました。
歩いて町まで行商に行くときには、いったいどれくらいの時間がかかるのでしょうか。
村に行く途中に見かけたヤム芋を頭に載せた親子の遥かな道のりを思うと、気が遠くなるようでした。

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お便り 101 - 7月後半

永田先生 編

2011年7月24日(日)七夕祭り

本日は夕方から七夕祭りをしました。7月7日からだいぶ経っていますが、参加してくれた生徒のみんなと願い事を短冊に書いて、スイカ割りをして、そしてバクッといただきました。

七夕祭りを行う2週間前に、土日クラスの生徒さんが、笹に似た木を学校に持ってきてくれましたが、1週間も経たないうちに枯れてしまいました。もう一度、みんなに笹を用意できる人がいないかと呼びかけてみたところ、祭当日までに、なんと3本の木が学校にやってきました。3人の生徒さんがそれぞれバイクで持ってきてくれたのです。本当に感謝の気持ちでいっぱいでした。

そんなみんなの願い事が、しっかり空まで届くといいなぁ。そう思うと、今度はなかなか祭のあと片付けが出来ませんでした。当分笹に囲まれてみんな日本語の勉強です。

七夕1のサムネール画像七夕2

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お便り 100 - 7月前半

笠井先生 編

2011年7月9日(土)空手教室

空手教室今日は近所の子どもと空手を習いに行ってきました(正確に言うと私は見ていただけだったのですが・・・)。

どうも近所の子どもたちは日本人はみんな空手ができると思っているらしく、『先生!空手!!』と言ってよくパンチとキックを繰り出してきます。

そして私の目の前に横一列に並んで、『教えてください!』というのです。

私は残念ながら武道は高校の授業で少し剣道を習ったくらいで、全く武道に縁の無い人生を送ってきました。もちろん空手の練習すら見たこともありません。

まさかアフリカのベナンで、こうして空手に触れることになるとは思ってもみませんでした。

大変失礼な話ですが、私の想像していた空手教室は私服で、エクササイズ感覚でやっているものだと思い込んでいました。

なので朝に子ども達が道着を着てやって来たときは、『あ、これは私が気軽に参加できるようなものではないな。本格的なものだな』と察しました。

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お便り 99 - 6月後半

藤波先生 編

2011年6月17日(金)パーティー

初級2火木パーティ今日は初級2火木クラスの皆さんがディナーパーティーを開いてくれました。生徒の奥さんが作った料理を教室に持ち込み、テーブルを並べ、飲み物も準備して、本当に立派なパーティーでした。

今日のメニューはアブロ(米粉で作ったパンケーキ)、テリボ(ヤムいもの粉末をお湯で溶かし、練り上げたもの)とフェビ(野菜のソース)でした。飲み物はチュクトゥ(炭酸が入っていない、粟から作られたのビール)でした。全部、ベナン料理です。全部、おいしくいただきました。

このクラスはたけし日本語学校で一番、モチベーションが高いクラスです。授業中に多少難易度の高いタスクを与えても、彼等はかならず応えてくれます。よりチャレンジングな授業ができるので、授業をしていて本当に楽しいクラスでした。彼らのような生徒に日本語を教えられたことはほんとうに幸運なことだったと思います。

彼らがこの先、どれだけ日本語を続けて行くのかはわかりません。しかしながら、この中の誰かとは将来日本で会うような気がします。

藤波

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お便り 98 - 6月前半

藤波先生 編

2011年6月3日(金)裏紙事件

私と市川先生は授業で使うプリント類を、ほぼ毎日近所のコピー屋までコピーしに行っています。いつも行くコピー屋は、近くて安くて質もいいという三拍子そろったコピー屋です。

今日もコピー屋へ行きました。土曜日と日曜日は授業が多いので、金曜日はどうしてもコピーの量が多くなります。今日も全部の100枚以上のコピーをお願いしました。ベナンのコピー屋は日本のコンビニのようにセルフサービスではなく、店員がコピーをします。量が多かったので、一度店を出て、1時間後にもう一度戻ってきてコピーを受け取ることにしました。

1時間後、コピー屋に戻ってみると、何となく店員のおねえさんの様子がおかしい。ちゃんとできているかチェックしてみると、半分以上が裏紙に印刷されていました。つまりコピーを失敗した紙の裏にもう一度コピーしてあったのです。しかも、インクが薄くて読めないものばかりでした。当然のことながら私は文句を言いました。すると彼女も必死で応戦してきます。彼女の言い分は、「だって紙とインクがなかったんだもん」ということでした。「あらかじめ買っておけばいいでしょう?」と言うと、「私の責任じゃない」とのこと。さらに彼女は「生徒は説明すれば分かってくれる。マダム(=市川先生)には秘密にしておけ」と言いました。どうやら、以前コピーの質のことで市川先生に怒られて以来、彼女は市川先生を恐れているようです。話にならないので、とりあえず質が悪いものと裏紙にコピーされたものは全てはじいて、もう一度コピーしなおしてもらいました。

コピー屋のおねえさんは本当にいい人で、私はよく彼女と長話をします。しかし、自分の形勢が不利になると、とにかく自分が悪くない理由をマシンガンのように浴びせてきます。基本的には謝りません。もちろんその時は私も応戦します。お互いに言いたいことを言いますが、その口論が原因で後々気まずくなったりすることはありません。次に行ったときは、お互いいつものように話します。自分の非を認めないのにはちょっと閉口しますが、言いたいことを言って、その後はいつも通りというスタイルは結構わかりやすくて好きです。おそらく、彼女の中には相手と自分は違うので、意見が違うのも当然だという考え方が根底にあるのではないかと思います。

藤波

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お便り 97 - 5月後半

市川先生 編

2011年5月21日(土)ベナンで日本語を教えるとき

今、たけし日本語学校では『みんなの日本語』というテキストを使って、授業をしています。

そのテキストの中に日本の郵便局での会話が出てきます。「速達」「船便」「航空便」などの言葉も出てきます。

ベナンではまず、手紙を書くことが少ないでしょうし、郵便局へ行くことも少ないと思います。自分自身が移民であったりすれば、国の家族に何かを送るために、郵便局に行くかもしれませんが、ほとんどの学生は郵便局へ行きません。そんな中、船便、航空便と言われてもピンときませんよね(もちろん分かる学生もいますが)。

ベナンでは郵便局で手紙を出す代わりに、例えばダサズメの人に手紙を送りたいとき、ダントッパマーケットに来ているダサの人に手紙を託します。そして、ダサズメの人はマーケット(もしくは乗り合いの車の乗車場)でその手紙を受け取る・・・。ベナンではそんな郵便システムが成り立っているところがあります。

「郵便は間にあわないから、マーケットへ行く」と言われたときは、最初わけがわかりませんでした(笑)

それから、国立の大学であるアボメカラビ大学の授業はひとつの教室に何人いるのかと質問したところ、「3000人ぐらい。」(コンサートか!?)

よく学生は百と千を間違えるので、300人の間違いかと思って、もう一度聞き返しましたが、答えは同じでした。もちろん教室には入りきれないので、教室の外で講義を聞いていたり、休んだり・・・と受講スタイルは様々なようです。たけし日本語学校のまじめな新入生は8時からの授業のために、5時半に家を出ているそうです。

教授はマイクを使っているので、停電したら、教授の声は聞こえません。

いくら国立の大学は無料だからといって、これだけの学生を目の前にした授業はどうかと思います。大学側の成績処理も追いつかないでしょうし(実際に追いついていないようですが)、学習環境が整っていないのはいいことではないと思います。

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お便り 96 - 5月前半

市川先生 編

2011年5月3日(火)ベナンの布で浴衣づくり

私はベナンに来る前から、日本語教育の他にしたいと思っていたことが三つありました。

一つ目は給食プロジェクトで私がサポートしている子供に会うこと。
二つ目はフォン語の音声付の簡単な会話集をつくること。
三つ目はベナンの(ベナンで売られている)布でゆかたをつくること。

一つ目は3月に実行することができました。それから、二つ目のフォン語の会話集は今、たけし日本語学校の学生に協力していただいて、コツコツ進めています。三つ目は半ば諦めかけていたのですが、あと2ヶ月、後悔がないようにしようと思い、重い腰をあげてようやく着手しました。先々週から布を求めて歩き続け、よさそうな布を手に入れ、先週から型紙を準備し、布を裁断していました。そして、今日、空き時間に行こうと決め、本当は一人で行きたかったのですが、フランス語での交渉が難しいため、藤波先生に一緒に来ていただいて、テーラーに交渉していただきました。

日ごろからそのテーラーの前を通っていたのですが、いつも暇そうだし、西日が当たらない(日焼け対策)ので、前からここなら大丈夫だろうと思っていました。そして、私の期待通り、すんなりOKしてもらえました。

そして、わくわくしながら、ミシンに座ったのですが・・・なんとミシンが動かせない!!こちらのミシンは足こぎなので、コツが分からないとまったくできません。前に進んだかと思えば、後ろに進んでしまったり・・・と、とにかく動かせるようになるまで、時間がかかりました。でも、電気がなくても動くミシンは本当はとっても便利な物なんじゃないかと思いました。

いつもはシーンとしているこの店ですが、今日は隣の子供もやってきて、ワイワイしていました。この調子でこの店自体も繁盛すればいいのにな・・・とも思いました。

とりあえず、今日のところは終了し、また後日伺うことにしました。

追伸:このお店はわたしが見たときは一時的に暇だったようで、わたしがその店にいると、次から次へと布が置いていかれていくので、どうやら繁盛している店のようです。

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お便り 95 - 4月後半

藤波先生 編

2011年4月17日(日)茶道

今日は土日夜のクラスで茶道をしました。いつもは市川先生がお茶をたてて、それを生徒が作法通りに飲むというやり方ですが、今日はそれに加藤さんが作ってくださったどら焼きも加わりました。

茶道加藤さんはベナンで買った材料であんことどら焼きのかわをつくってくださいました。お味は、もちろんとてもおいしかったです。生徒の皆さんは、正座してどら焼きを上品に(?)食べるという行為に慣れていないので、どら焼きを食べながら、むせたりしていました。

いろいろなクラスで茶道をしましたが、どのクラスにも正座がとても上手な生徒がいます。そういう生徒は正座している姿が妙にしっくりくるのです。おそらくそれは天性と言ってもいいのではないでしょうか。しかもそういう生徒にかぎって、テストの成績はあまりよくなかったりするのがおもしろいのです。なるほど、やはり人には得手不得手というものがあるんですね、と市川先生とあとで話したりします。ただ、ほとんどの生徒にとって正座は苦痛以外のなにものでもないようです。みんな前かがみで手を床について座っています。

そんなこんなで、生徒は痛くて苦い思いをしながらお茶を飲み、先生はそれを見て楽しむ、というのが茶道の授業です。

藤波

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お便り 94 - 4月前半

藤波先生 編

2011年4月1日(金)フンボさんの夢

パーム油の工場たけし日本語学校の初級3月水クラスに、フンボさんという生徒がいます。フンボさんはもう5年くらいこの学校で日本語を勉強しています。

彼の夢はベナンのパーム油産業を復活させることです。実はベナンは以前、世界的にも有数のパーム油の生産国でした。しかし、独立後からパーム油の生産量が激減し、現在は海外からの輸入に頼っている状態です。

パーム油は主に食用として使われており、ベナン人の生活にはなくてはならないものです。もちろん輸入されてくる油は価格も高くなってしまいます。自国で油を生産し、供給できれば価格も抑えられるし、ひとつの産業として成り立たせることができます。

フンボさんの実家では以前からパーム油を作っており、今後はパーム農園を持つことも視野に入れながら、さらに大規模なパーム油の生産工場を作りたいと思っているそうです。このプロジェクトはすでに産業支援プロジェクトのプロジェクトリーダーである加藤さんのお墨付きをいただき、現在プロジェクトの準備を進めている段階です。今日、加藤さんがパーム農園とフンボさんの油工場を視察しに行かれるとのことだったので、私と市川先生も同行させてもらいました。

工場の皆さん工場と行っても、機械が並んでいるような工場ではありません。一家が家の庭で、全て手作業でパームの実から油をしぼりとる作業をしている工場(こうば)と言った方がふさわしいかもしれません。その工場で、私は生まれて初めてパームの実をまじかで見て、触って、さらに搾る作業を見学しました。

現状では全て手作業なので、油をしぼりとる際に全ての油を残すことなく搾り取ることは不可能です。また、パーム農園もきちんと管理、整備されていないという問題があるようです。今後、いろいろな壁を乗り越えていかなければならないようですが、何とかこのプロジェクトが成功して、ベナンにフンボさんブランドの油が大量に出回るようになればいいなと思います。

写真は、油の生産工場(中央にあるのが搾油機)と、工場の皆さん(一番右がフンボさん、その隣が加藤さん)です。

藤波

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