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NPO法人IFE

日本語教師の窓

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お便り 74 - 6月前半

藤波先生 編

2010年6月4日(金)陸の孤島

雨季雨期に入ってからは、よくまとまった雨が降ります。昨日から今日にかけてもかなりの量の雨が降りました。雨が降ると当然道は水たまりだらけになります。今までもそれはよくありました。しかし、今日の水たまりは今までとはスケールが違いました。道路が一部、完全に水没したのです。コトヌー市内で、道路が湖のようになっているか所がいくつもありました。車高の低い車は道を走れないほどの水です。その水は当然、石油やら山羊の糞やら生活排水やらが入り混じった、非常に汚い水です。ベナン人でもその水たまりに素足で入るのはためらうそうです。病気になる危険があるそうです。

以前このブログ上で書いた、近くの池の拡大工事のおかげで、ジャパンハウス周辺に降った雨はその池に流れ込むようになりました。しかしながら、昨日から今日にかけての雨は、その池の貯水量をいとも簡単に超えてしまったようです。道路脇の民家などは家の中まで水が入ってきているような家もありました。幸いにもジャパンハウスに水は入ってきませんが、ジャパンハウスの前の道を40mほど行くと、少し大きな道路に出るのですが、そのT字路が完全に水没しました。かくして、ジャパンハウスは陸の孤島となったのです。
今日、買い物に行く時は車で行きましが、さすがにコピー屋やネットカフェに自力で行くことは難しいようです。

藤波

2010年6月5日(土)ビジネスコース

毎週土曜日の11:30から14:30は、山下先生のビジネスコースです。今日は、山下先生が教える最後のビジネスコースの授業でした。
昨年の10月から始まったこのビジネスコースは、始めた当初は全くの手探りでした。なんとかここまでの3ターム、山下先生と二人で授業を作ってきました。いろいろと足りない部分もありましたが、何とかここまで来たという感じです。

しかし今日、山下先生には最後の大仕事が残っていました。ビジネスコースは他の通常コースとは違って、修了証書発行の条件がかなり厳しく設定されています。通常のコースであれば、出席が多少足りなくても、後から他のクラスの授業に出席して足りない分を補うことができるのですが、ビジネスコースはそういった救済措置がありません。つまり、1年間のコースを終了する前に、出席不足で修了証書がもらえないことが決定してしまう、ということもあり得るわけです。日本の大学で、1年間で6回まで休める講義で前期に7回休んでしまい、後期を待たずして単位取得の道が断たれた・・というような感じでしょうか。今回、ビジネスコースは3タームを終了した現時点で、3人の生徒は修了証書をもらえないことが確定していました。それをその3人に伝えなければならなかったのです。

この決断を下すまでの私と山下先生の中にはちょっとした葛藤がありました。その3人の生徒は、出席は足りないとはいえ、適当に授業を受けているわけではありません。このまま落としてしまっていいものか、なんとか救済措置を考えることはできないだろうか、と、議論になりました。

しかし、修了証書発行の基準を下げることは、修了証書の価値を下げることにもなり、それは忙しい中がんばって毎回授業に来ている生徒に対しても申し訳ないです。ですから、今回は救済措置なしで、出席が足りない人修了証書の発行はできない旨を伝えることにしました。

授業後に山下先生がその旨を3人に伝えました。3人は、さすがに落胆の色を隠しきれません。その表情を見ると、これでよかったのだろうか・・・と悩んでしまいます。

たけし日本語学校の基本的なスタンスは、「できるだけ多くの生徒に修了証書を発行する」というものです。例えば、日本に行きたいわけではないが、日本について興味があるから日本語を少し勉強してみたい、という生徒もいるので、修了証書発行の基準をあまり厳しく設定してきませんでした。しかし、最近はたけし日本語学校をとりまく周囲の環境も少しずつ変化してきています。例えば、日本の大学などもベナン人により高い日本語力を求めるようになってきました。そんな状況の中で、「今まで通り救済措置をいくつも用意して、皆さんに修了証書を修了証書を発行する」というスタンスでいいのだろうか、という疑問は私と山下先生の中に最近常にあります。実は、修了証書発行の基準をもう少し厳しくしよう、という方向でいろいろと準備を進めている部分もあります。ただ、生徒のやる気をそぐことにならないように、慎重に様子を見ながら、この課題にも取り組んでいかなければならないなと思っています。

藤波

2010年6月6日(日)雨季の晴れ間と又三郎

今日は朝からいい天気でした。最近は毎日曇りか雨のぱっとしない天気が続いていたので、なかなか洗濯物も乾かず困っていました。今日はここぞとばかりに朝の授業の前にシーツを洗って干しました。

いい天気は夕方まで続き、19時のOPクラスが始まる時も、まだいい天気でした。ところが19時半頃に突然の大雨です。以前にも書きましたが、たけし日本語学校の教室は窓がないので、とにかく大雨が降るとうるさいです。先生も生徒も絶叫しなければなりません。15分ほどみんなで絶叫した後は、雨も少し小降りになりました。でも完全にやむことはなく、20時半に授業が終わると、生徒の皆さんは濡れながら帰って行きました。

この突然の雨というのが本当にすごいんですが、強風とたたきつけるような雨が同時にやってきます。大体雨が降り始める30分くらい前から風が吹き始めて、それがだんだん強くなっていきます。その風の激しさたるや、文字で表せば「どっどどう。どどう。」という感じで、風の又三郎に出てくるような風です。その後に叩きつけるような雨が降り始めます。ですから、又三郎級の風が吹き始めると、みんなで洗濯物を取り込んだり、玄関に出ている靴をしまったり、部屋の窓を閉めたりと、その後にやってくる横なぐりの雨に備えるのです。そして、運悪くその雨が長引いてしまうと、先日のような池が町の至る所に出現してしまうわけです。今日の雨はそんなに長くは降りませんでした。ですが、若干水がひきかけている道路にまた水がたまっているのではないか、という心配は消えません。明日はコピー屋に行かなければならないのに・・・。

藤波

2010年6月7日(月)コピー屋のおばちゃんに怒られて

先日の懸念は取り越し苦労に終わりました。今日の道路は比較的水が引いていて、何とか歩いてコピー屋まで行けそうでした。

というわけで、今日は徒歩15分弱の距離にあるコピー屋へ出かけました。

現在私がひいきにしているコピー屋は4軒あります。4軒も?とお思いになるかもしれませんが、4軒ないとやっていけないのです。コピー機の調子や、道の状態や、時間に応じて、その4軒の中からその都度選ぶわけです。

今日のファーストチョイスは、お母さんの店です。距離は4つの中で2番目に遠いのですが、コピーの質は比較的安定しています。そして、子どもが3人いて、コピーしている間その子ども達と遊べる、心なごむコピー屋でもあります。

水溜まりを避けながら、お母さんの店に到着しました。店は開いています。でも誰もいません。10分ほど待ってみましたが、帰ってくる気配がありません。仕方がないので、その先にあるもう一軒のコピー屋(距離は一番遠いが、質は4店中一番)に行って、そこで店番をしている17歳のお兄ちゃんと世間話をしながらコピーをしました。そして、帰りにお母さんの店の前を通ると、お母さんに呼び止められました。

 お母さん: どうして私の店じゃなくて向こうの店に行ったの!?
 わたし: だって、おばちゃんいなかったでしょ?
 お母さん: どうして待たなかったの!?
 わたし: 10分待ったよ。
 お母さん: じゃ、どうして隣の店の人に頼まなかったの?
 わたし: ??? 何を?
 お母さん: コピーを。
 わたし: だってその人のこと知らないもん。

その後おばちゃんは私の手を引っ張って、隣の美容院のおばちゃんを紹介してくれました。「私がいない時はこの人に頼みなさい」と何度も念を押されました。

というわけで、コピー屋の周りに知り合いがひとり増えました。次回は怒られないように、ちゃんとしたいと思います。

藤波

2010年6月11日(金)Japan Dayに向けての会議

今日はJapan Dayに向けて、生徒全員が集まっての会議がありました。

今年のJapan Dayは8月1日にすると、先日いつものように急に決定されました。準備期間は1ヶ月半ほどですから、十分とは言えませんが、今年は昨年と違っていつも通り大規模に行うため、去年とは気合いの入り方が違います。

Japan Dayでは、生徒達が出し物を考え、当日まで空いた時間を利用して練習を重ね、当日ステージ上で発表します。内容は茶道、歌、劇、ゆかたのファッションショー、IFEとたけし日本語学校の紹介、子ども達による歌などです。今日の会議では誰が何をするかが決められました。

これから約1ヶ月半の間、時々生徒にハッパをかけながら、Japan Dayに向けて準備をしていくことになります。

藤波

2010年6月12日(土)運ぶ

たけし日本語学校はテスト週間に入っています。

このテスト期間が終われば、私もちょうど1年間、たけし日本語学校で働いたということになります。この1年、限られた範囲ですが、いろいろなものを見ることができました。それでも、やはり日本の文化や考え方と違うものに出会った時の驚きというのはなくなることはありません。ベナン到着から1年が経った今でも時々驚かされるのは、ベナン人の「ものを運ぶ」という行為を目にした時です。

タクシーベナンではバイクタクシー(ゼミジャン)で何でも運んでしまいます。例えば、バイクに二人乗りし、後ろに座っている人が大きい本棚や、長さ5mはある棒や木を持って街を走っている、というような光景は当たり前のように目にします。車のドアを運んでいる人や、バイクに乗りながら、片手でもう一台のバイク(スクーター)を持って走っている人を見たこともあります。

コトヌーから北へ延びる幹線道路などは、大型トラックによっていろいろなものが運ばれます。それらのトラックは、いつ横転するかと見ているこちらがハラハラしてしまうくらい荷物を積みあげます。その大量の荷物を運んでいるトラックのタイヤは歪んでいますし、道路は穴だらけです。当然事故は起こります。たとえ多少の(?)リスクがあっても、大量の荷物を一回で運ぶことの方が大切なのです。そこにはもちろん、金銭的な事情があります。

タクシーでもいろいろなものが運ばれます。一度、後部座席いっぱいにパイナップルが詰め込まれているタクシーに遭遇した時は、思わず笑ってしまいました。もう一つのパイナップルも入る余地がないほど、びっしりとパイナップルが詰め込まれていたのです。それから、棚や大きい板やタイヤもタクシーで運びます。そういうものを普通に積んでしまうタクシーの運転手の寛容さがすごい!と私は思ってしまいます。コトヌーで暮らしていると、そういう日本ではなかなかお目にかかれない光景に出合うことができます。こういうのも全く違う文化を持っている場所で暮らすことの醍醐味だな〜と思います。

写真は、トイレットペーパーを運んでいるタクシーです。

藤波

2010年6月14日(月)祝!

今日は日本とカメルーンの試合がありました。

アフリカに住んでいるので、時差に悩まされることなく、W杯を見られる!と内心喜んでいたのですが、時差以上の強敵がいたことをすっかり忘れていました。停電です。

今日は昼過ぎから用事があって、山下先生と一緒に出掛けていたので、前半は見られませんでした。後半の途中でジャパンハウスに帰って来てテレビを見ると、なんと日本が勝っている!これはちゃんと応援しなければ、とテレビの前に座ったその瞬間、停電はやって来ました。

停電が回復したのは試合終了の2分前、後半のロスタイムでした。ですから試合が終わった瞬間は見ることができたのですが、テレビで試合を見ることができたのは5分足らずでした・・・。しかも、相手がアフリカのカメルーンだったので、あまり派手に喜ぶわけにもいかず、ちょっと小さく拍手をしたくらいです。

ベナン人のカメルーンに対する期待は非常に高いです。みんなカメルーンが勝つものと思っていたようです。ですから、カメルーンが負けた時は、周りのベナン人は「信じられない」という表情をしていました。そんな状況ですので、日本人の私がガッツポーズなどできるはずがありません。

しかし、5分しか試合を見られなかったとはいえ、そして派手に喜ぶことができなかったとはいえ、日本代表の勝利には大いに勇気づけられ、元気づけられました。それから、数名の生徒から私の携帯電話に「omedetougozaimasu」というメッセージがときました。自分達が応援している国が負けたのに、日本人に対して「おめでとう」と言えるその大人な態度に感服しました。とにかく、今日は非常にいい気分で眠りにつけそうです。

藤波

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