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NPO法人IFE

日本語教師の窓

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お便り 60 - 11月前半

藤波先生 編

2009年11月1日(日)雲

先月から、明らかに雲の様子が変わりました。空を眺めるのが日課になっている私は、必ず朝と夕方、空をチェックしますが、全体としてかたまりの雲が多くなってきたように思います。夕方の腹筋雲も最近は見かけません。変わりに、とても美しい青と赤のグラデーションを見ることができます。

雨期が終わっても夕方の空を楽しめそうなことに安心しながら、いよいよ大乾季(アルマタン)がやってくるのだな、と感じます。

藤波

2009年11月5日(水)オルーさん

たけし日本語学校で日本語を学び、その後日本の大学で勉強をしている生徒が数名います。奨学金の試験をパスした人、自分で日本の大学の教授にコンタクトをとり推薦を取り付けた人、さまざまです。その中にオルーさんという人がいます。現在オルーさんは信州大学で研究をしています。そのオルーさんが自身の研究の調査のために、ベナンに一時帰国しています。今日、数名のJICA隊員の皆さんと、たけし日本語学校に里帰りしました。

その時はちょうど、アムスさんとセポンさんとダベデさんの会話クラスの時間でした。いつも日本人の方がたけし日本語学校にいらっしゃった際は、授業を中断して生徒と日本人の方とでお互いに自己紹介や質問をして、できるだけたくさん会話をしてもらうようにしています。たけし日本語学校の生徒にとって、生の日本語に触れるまたとない機会なので、日本人のお客様が帰ってしまう前にできるだけ話をしようということです。今日も、1時間半以上、自己紹介や質問をお互いにして、かなり盛り上がりました。

オルーさんがたけし日本語学校で日本語を勉強していたのは6,7年も前です。日本に渡ってからは、それこそ日本語の勉強に大学の勉強にと必死だったのだと思います。オルーさんの日本人っぽい日本語を聞きながら、なんとなくその生活や友達にどんな日本人が多いのかを想像していました。
そして、今私が教えているたけし日本語学校の生徒といつか日本で再開できたら、日本語教師としてそれに勝る喜びはないなと考えていました。いくら日本に行きたいと言っても、簡単にヒョイと日本へ行けるわけではありません。どうしても奨学金が必要になるので、その試験にパスしなくてはなりません。それは途方もない倍率の試験だったりもします。もちろん、その生徒の目的意識などがはっきりしていることが大前提なのですが、それだけではなく、日本語力、基本的な学力なども問われます。現在留学を希望している生徒の皆さんが、将来、なんとか日本へ行けることを願わずにはいられません。

藤波

2009年11月6日(金)Merci Ship

Merci Ship世界には、アフリカを支援しようという様々な団体がありますが、今日は医療という面からアフリカをサポートしようとしている団体の仕事を見学してきました。

コトヌーには大きな港があります。そこには漁船、客船、貨物船など様々な船が出入りします。その港に数か月間停泊し、ベナンで医療活動を行っている船があります。その名をMerci Shipと言います。船内では欧米の医師や看護師が大勢働いていて、船を訪れた患者を診察し、症状によっては入院させたりもします。船内はもちろん冷暖房完備で、大きな食堂、ランドリー、娯楽室、病室、診察室、スタッフ用の休憩室、スターバックスまでありました。久々に見たスターバックスの店構え(?)に感動しつつ、そのプロジェクトの規模の大きさに愕然としました。各国のODAもそうですが、やはり規模が大きくて物や医療を提供するプロジェクトは、短期的にすぐに効果が見えるものが多いなと思います。病気や物資が不足して困っている人たちには、本当にありがたい支援だと思います。
逆に教育は非常に時間がかかる作業ですが、10年後20年後に、現地の人たちが自分達の手で病気を治し、物資を手に入れることができるようになる、という可能性があります。どちらも大切な活動であることは間違いありません。最終的には現地の人たちが自分たちで問題を解決できるようになった方がいいわけですが、そこに至るまでの10数年間、困っている人を見殺しにしてもいいかというと、決してそういうことにはならないからです。

何となく「支援」という言葉を使って来ましたが、私は最近この「支援」という言葉に若干違和感を覚えます。それは、自分が「ベナンの人々を支援している」という感覚があまりないからかもしれません。私はただベナンの人達に日本語を教えているだけです。こう言うと何だか素っ気ない感じがするかもしれませんが、本当にただ“たんたんと”日本語を教えているだけなのです。もちろん毎日の授業は全然たんたんとしてはいなくて、いい意味で毎日が生徒とのぶつかり合いみたいなものなのですが、ただ総じて言うと、「ただ日本語を教えている」という感じなのです。
たぶん私はある意味で自分のためにここで働いているのかもしれません。「ベナンの人々を助けるために」というよりも、これが自分のやりたい仕事で、アフリカが自分にとって非常に興味深い場所だったからここにいる、ということです。
こういう考え方がいいのか悪いのかまだよくわかりませんが、おそらく私達は、これからもたんたんと日本語を教えていくのだと思います。Merci Shipの中を見学しながら、そこで働いている医師や看護師の皆さんは、どんなことを思いながら日々働いているのかな〜と考えていました。

藤波

2009年11月7日(土)たけし日本語学校=託児所

子供クラス毎週土曜日と日曜日は、一週間で最もハードは2日間です。午前中から夜の9時頃までほとんど休む暇がありません。そして、特に土曜日は、一日が終わったら本当にへとへとです。なぜなら、子どもクラスがあるから・・・。
私達が昼間の最も暑い時間の授業を乗り切り、ほっとしたその直後、やつらはたけし日本語学校へやってきます。やつらはチョークが大好きで、私達が隠しておいたチョークをどこからか見つけてきて、黒板に幾何学的な模様を描いたり、チョークの粉を顔中に塗りたくって劇団四季のライオンキングみたいな顔にしてみたり、もう大騒ぎです。
たけし日本語学校の周辺に生息しているギャング共は、チョークだけでなく歌も大好きで、「世界にひとつだけの花」をしっかり覚えてみんなで歌います。もちろん集中力が持つのは15分足らずで、あとは追いかけっこが始まったり、新たなライオンキングが生まれたりして、子供クラスは徐々に学級崩壊の様相を呈してきます。
以前は私も山下先生も子ども達を追いかけまわしておとなしくさせることに必死でしたが、最近は若干諦め気味です。というよりも、大けがしたり物を壊したりしなければいいか、というような考え方に変わって来ました。ですから、ライオンキングが3匹になろうが4匹になろうが、あまり気にせずカラオケ気分でSMAPを熱唱したりしています。夕日を浴びながら歌うのって最高に気持ちがいいんですよ、これが。そうすると不思議なことに、何人かの子どもはまた一緒に歌いだしたりします。やっぱり大人が楽しそうに熱中して何かをやっているのを見せるのは大切なことなのね、などと思ったりします。

そんなこんなで子供クラスが終わります。もちろん歌だけではなく、少しだけ日本語も教えますが、子供が興味を持てなかったり、集中力が切れたりしたらすぐやめます。日本語が話せる子どもを育てるのが目的ではないので・・・。あとは歌を歌ったりじゃんけんをしたり、追いかけっこしたり、キャッチボールしたりします。というわけで土曜日の子どもクラスは、最もハードで最も楽しいクラスです。

午後6時に約1時間の子どもクラスが終わり、子ども達を無理やり学校の外に追い出していると、隣の家のお母さんが2歳位の女の子を連れて私達のもとにやって来ました。そして、山下先生に「ちょっとお願い」という感じでその子を手渡し、どこかへ行ってしまいました。あまりにも自然な流れだったので、山下先生も普通にその女の子を受け取ってしまったのですが、30分位経ってもお母さんは戻ってきません。結局山下先生は、自分でその子を「返却」しに行きました。率直に言って、非常におもしろかったです。あのお母さんは、たけし日本語学校を託児所と間違えたんでしょうか(笑)

藤波

2009年11月9日(月)ベナン的入院生活〜1日目〜

恥ずかしながら私、入院することになりました。この日記は退院後に書いているのですが、今回の入院は非常に貴重な体験だったので、日を追って出来事を書いていきたいと思います。

今日の午前4時ごろ、寒さで目が覚めました。この時期に冷えこむなんておかしいなと思いながら、再び眠りにつきました。朝7時に目を覚まして、起き上がろうとすると、体が動きません。腰痛がひどく、全身の筋肉が痛いのです。しかも鳥肌が立つほど寒い・・・。そこで初めて気が付きました、「あ、熱があるんだ」。明らかに風邪とは違う症状です。なんとか起き上がって、顔を洗いました。ご飯を食べようと思うのですが、なんとごはんが食べられません。これはちょっとまずいなと思いましたが、何とかパンを少しだけ食べて朝食終了。授業をしたら治るかもと思い、とにかく10時半からの授業をするために教室へ。しかし、30分でどうにも我慢できなくなって、結局病院へ。

病院へ着いて熱を測ると40度の熱。なるほど、寒いわけだ。というわけで個室のベッドに寝かされ、検査のために血をとられ、解熱剤(たぶん)を注射されると、あっという間に体中から汗が出て、熱が下がっていくのがわかりました。「これなら夕方には帰れるな。」とその時は思っていました。もちろんそれが甘すぎる考えであったことは、後でいやというほど思い知らされるわけですが。

その後、よくわからない薬を点滴され、あっという間に夜中の12時。さすがにその時は一晩くらいの入院は仕方ないか、という気分になっていました。
その夜は、熱が再び上がってきたためなかなか寝付けず、しかもひどい腹痛で、1時間おきにトイレに起きていたので、とても疲れました。でも明日は絶対に帰ってやる、というその思いだけでこの夜を乗り切りました。

藤波

2009年11月10日(火)ベナン的入院生活〜2日目〜

ベナンの病院のシステムは、日本の病院のそれとは若干違います。入院中に点滴や薬が必要な場合、患者は医者に渡されたリストをもとに近所の薬局で点滴や薬を自分で買い、それを医者に渡します。そして医者はそれを使って治療をするわけです。
わたしももちろんリストをもらったのですが、その量がすごい。3日間で点滴を15本ほど、その他にも薬を5〜6種類買いました。点滴の針を刺したまま外に出るわけにもいかないので、秘書のダベデさんやドライバーのイレネーさんにお願いして買ってきてもらったのですが、とにかく毎日何らかの薬や点滴を大量に買いました。病室の点滴の瓶の山を見るたびに、「いつ退院できるんだろう」と絶望的な気分になりました・・。

そんなこんなで二日目も朝の9時から点滴スタート。熱は相変わらず39度付近を行ったり来たり。腹も痛い。それでもなんとか帰ってやる・・と思いながら何だかよくわからない薬を点滴され続けました。おそらくビタミン剤やブドウ糖のようなものがメインだったとは思うのですが、それにしてもよくわからない薬を大量に体内に入れられるというのは、ものすごい恐怖ですね。
午前中、山下先生と寺嶋さんと数名の生徒がお見舞いに来て下さり、本などを置いていって下さいました。私が入院している間、私の代わりに授業をして下さった山下先生や、いろいろ身の回りのお世話をしてくれた秘書のダベデさん、本当にありがとうございました。そしてご迷惑をおかけしてすみませんでした。
というわけで、寺嶋さんが持ってきてくれた沢木耕太郎の『深夜特急』を読みながら点滴を受け続けました。

夜の10時を過ぎても、本日の点滴が終了する気配はありません。その日もすでに朝から5本程の点滴を終えていましたが、どうやら今日は夜通し点滴をするつもりらしいです。その頃になると、私の心境も少し変化してきて、もう好きなだけ点滴してくれ、という気分になってきていました。簡単に言うと、心配するのをやめたのです。ここは日本じゃなくてアフリカだから、アフリカにはアフリカの治療方針があるのだ。だから甘んじてそれを受ける、というような諦めの境地に達したわけです。体調も少しずつではありますが、良くなってきたような気がしていました。

藤波

2009年11月11日(水)ベナン的入院生活〜完結編〜

病院3日目、昨夜は比較的よく眠れました。腹痛も少しましになった気がします。相変わらず点滴は続いています。ひとつの点滴がなくなると、看護婦さんを呼ぶ。その看護婦さんが別の点滴をセットして帰って行く。またその点滴が終わると看護婦さんを呼ぶ・・・というサイクルを何度続けたでしょうか。永遠に続くような気さえしてきました。それでも、好きなだけ点滴してくれ、というあきらめの境地にいた私は、体内に投与され続ける大量の液体を全て受け止めてやる、という仏のような気分で点滴を受けていました。毎日大量の汗をかいてはそれが渇く、というサイクルを繰り返していたので、私の服とシーツは結構いやなにおいがしましたが、それもまあよしとしました。ベナンでこれだけの医療を受けられるだけで幸運なことなのです、本当に。だから着がえられなくて体が臭くなろうが、24時間点滴されようが、文句を言う筋合いはないのです。でも、絶対に今日帰ってやる、という気持ちだけは持ち続けていました。もうこれ以上薬を買わされてはかなわない、と思ったのです。ダベデさんも、この薬の量は異常だと思ったらしく、退院の交渉をしてくれました。その結果、なんとか今日中には帰れそうな雰囲気になってきました。ただし、点滴が全部終わったら、という条件付きですが・・・。

何とか今日帰れそうな雰囲気になってきた所で、本日のお薬リストをドクターからもらいました。そのリストの中にはしっかり点滴も入っていました。あれ、今日帰るんですよね・・?ちょっと多すぎませんか、と思いましたが、逆らうわけにもいかないので、再び購入。今日も点滴三昧です。

昼を過ぎても、当然点滴が終わる気配はありません。ただ、心なしか点滴を落とすスピードが速くなっている気がします。そんなことを考えていると、点滴の針を刺している辺りに激しい痛みを感じてきました。おそらく点滴の管が少しずれたのでしょう。右腕の前腕がどんどん腫れていきます。一応「痛いんですけど・・・」と看護婦さんに言ってみた所、予想通り「大丈夫!」とのお返事。それから3時間くらい我慢していたら、かなり腕が腫れてきて、今度は何も言わないのに看護婦さんが針の位置を変えてくれました。
すると、針の位置を変えた直後から点滴のスピードが激変しました。今までのが「ポタ・ポタ・ポタ・・」という感じだとしたら、午後4時頃を境にして「タタタタタ」になりました。私も結構点滴は経験があるほうですが、「タタタタタ」は見たことがありません。正直言ってびっくりしました。時間がないけどなんとか終わらせようという魂胆が見え見えです。さすがにムカッとして冷やかな目線を看護婦さんに送ると、「痛いか?」と聞いてきました。当然いきなりそんなペースで薬を入れられたら痛いに決まっているので、正直に「痛いです。」と答えると、予想通り「大丈夫!」とのお返事。んじゃ聞くなよ!(笑)と思いながら、また痛みに耐えていました。
それから「タタタタタ」が数時間続き、4時から7時半までの間に、残っていた大小5本程の点滴が終わりました。そんなにつじつま合わせみたいに点滴してくれなくてもよかったのに、と思いながら、やっと病院をあとにし、なんとかジャパンハウスまで帰ってくることができました。

ちなみに今回の病名はサルモネラ菌による腸炎とのこと。てっきりマラリアかと思っていたら、意外と身近な菌にやられたようです。いったいどこからサルモネラ菌とやらが私の体に入ったのか見当もつきません。ということはまたサルモネラ菌にやれる可能性もあるわけですが、とりあえずそれについてはまた感染してから考えたいと思います。とにかく、早く体の調子を戻せるようにがんばります。

藤波

2009年11月12日(木)復帰

今日から授業に復帰しました。まだ足に力がはいらず、フワフワした感じがしますが、熱もないのでおそらく大丈夫でしょう。授業をしながら完治させたいと思います。

生徒に会うたびに、大丈夫ですか?元気ですか?と質問され、若干恥ずかしいようなうれしいような不思議な気分ですが、とにかく自分が今いるべき場所に戻って来ました。遅れを取り戻すべくがんばります。

藤波

2009年11月13日(金)寺嶋農園の枝豆

60_13.jpgうちの寺嶋さんは、相変わらず毎日農作業に精を出しています。毎朝ジャパンハウスの片隅の畑(花壇)に水をやり、着々と農作物を育て、収穫しています。

今日は、ついに枝豆を収穫しました。収穫した枝豆は、もちろん茹でて塩をふってビールと一緒にいただきました。本当に日本の枝豆でした。言うまでもなくおいしかったです。

前回のとうもろこしに引き続き、枝豆の栽培にも成功した彼は、おそらく将来はベナンの農林水産大臣として働くことになりそうです。ちなみに現在は白菜を栽培中です。彼が白菜の栽培に成功した場合、そうです、私達は浅漬けが食べられるのです。彼ならきっとやってくれるはずです。私と山下先生は今から浅漬けを心待ちにしています。

藤波

2009年11月15日(日)JICAのイベント

JICAイベントベナンには日本のJICAから派遣されている隊員の皆さんがたくさん働いています。たけし日本語学校を訪ねてこられる隊員の方も多いので、時々一緒に話をする機会もあります。派遣されている人数が最も多い職種は、「助産師」ではないかと思います。正確なデータを見たわけではないのではっきりしたことは言えませんが、「助産師」や「保健師」といった職業方にはよくお会いします。やはり、ベナン人は子だくさんなわりに婦人科系の医療が発達しているとはいえないので、そういう面でのサポートをしようということなのかもしれません。

そのJICA隊員の有志の皆さんが、ベナン各地を定期的に回り、日本文化を紹介するイベントを催しています。今日はそのイベントがコトヌーで開かれるとのことだったので、生徒と一緒に行ってみました。

会場はコトヌー市内の中学校。前半は教室で空手、折り紙、習字、日本の遊びなどを子ども達に教え、後半は校庭の特設ステージで、簡単な日本語講座、隊員の皆さんの自己紹介などが行われました。その中で隊員の方から、急きょたけし日本語学校の生徒の皆さんにも壇上で自己紹介をしてもらいたいというオファーを頂き、生徒と一緒にぞろぞろと壇上へ上がりました。とりあえず私がメチャクチャなフランス語で何となくたけし日本語学校の存在をアピールし、その後、10人程の生徒が日本語で自己紹介をしました。もちろん私のフランス語の100倍は上手な日本語でしっかり自己紹介をしました。

イベントの締めは隊員の皆さんによる「よさこい節」の演舞。「よさこい節」というのは、金八先生のロックソーラン節と同じですよね、たぶん。とにかくあまりにもロックソーラン節が楽しそうでかっこよかったので、私はいつかたけし日本語学校でも踊ってやると心に決めました。

今日のイベントは、生徒の皆さんにとって、日本人と日本文化に触れるとてもいい機会になったように思います。それから、会場にいた小学生中学生の本当に楽しそうな、生き生きとした表情が印象に残りました。彼らは、おそらく今日初めて日本語や日本文化に触れたのだと思いますが、今日のイベントがきっかけになって、将来日本に行ったりする子が出てきたりするかもしれないなと思いました。

藤波

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